黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
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農聖 石川理紀之助氏を秋田に尋ねて。

長崎県の波佐見から、東京で飛行機を乗り継いで遥々秋田県潟上市を訪れた。

地上交通で向かえば1500km、日本横断に近い。

 

書物でこの人物の功績を知り、なんと常人離れした聖人であるのかと驚かされたが、

日帰りでこの地を訪ねた甲斐があり、目の前に広がる現実はその驚嘆を超える感動があった。

 

現在も石川氏のご子息が生活されている一角に、

石川理紀之助氏の足跡を紹介する潟上市郷土文化保存伝習館が作られている。

 

蔵書を保管する蔵の大きさや、学問を修めたい人々に対して作られた建屋の数々、

百年を超えて今でも食べられる備蓄米、石川氏が何度も各地で書かれた箴言の数々、

全てにおいて私の心を揺さぶるものであった。

 

特に、石川理紀之助氏が発した言葉で、世に最も有名なこの言葉を読んだ時、

思わず涙を抑えることが出来なかった。

『寝て居て人をおこすこと勿れ』

 

世の中には、他者を指導しようと先生という立場にたって、

訓を唱える人は歴史上にも数多存在する。

しかし、成人して他者から教えを請われるようになってから殆どの生涯を、

教えられる人の立場に立って、

日常の食事がかつかつなほど厳しい家庭環境を置いた状態で、

農民の暮らしをより良くしようと、

田んぼに囲まれて努力し続けた人は、そこまで多くないだろう。

 

石川氏は、自らが婿養子に入った秋田県の潟上市(旧山田村)から、

全国各地の農民に請われて教えに訪問した先々で、

一貫して自らの行動で範を示し、

他者にやらせるだけということをやらなかった人だった。

 

婿養子に入った石川家はもともと裕福な地主であったが、

数代前から没落し、借財が多く、殆どの田んぼも質に入っている状態であった。

その状態から、周りも驚くほど真剣に働き、

僅か5年間で借金を返して質田の質を取り去ってしまった。

自らの家を立て直しただけでなく、村の青年たちと勉強会を作り、

農業、家計、村の政治などに語らいあい、研鑽を続けた。

 

時代は明治維新期、世の中が騒然としている中で、それに動じず、

住民の助け合いを呼びかけ、村の将来を考えて行動することで、

周囲からの協力も集まり、石川家を復興させる後押しになった。

 

石川家を豊かにするには山田村が豊かになるようにしなければならないという考え方が、

彼自身に自然に生まれたことがその後の一生を左右したようである。

 

石川氏は、自らが望まなかったにも関わらず何度も役人として働き、

農民のやる気を育み、その地域の良さを活かしながら、

お互いに交流し合うことを土台として、秋田県の農業行政に大きな貢献をしている。

 

しかし、養父が身体を弱くしたことを契機に、

山田村に戻り再び農業に専念することになった。

明治維新後、階級がなくなったとはいえ、農民の生活環境はさほど変わっていない。

しかし、上からの締め付けがなくなったため、働く意識は下がり、

生産物を作ることに比べて他者から買うことが増えているので、

経済環境は厳しくなる一方であった。

 

まずは溜まっていた村の借金を返済することを目的として、

山田村民の会『山田経済会』を石川氏が責任者となって設立した。

毎朝3時に起きて収穫法などを学び、養蚕などの副業を促進、

倹約による貯蓄を図るとともに、産品を村民でまとめて売り必要品をまとめて買うことで

村全体の収支を改善、堆肥はこれまでの2倍にして田の増収を目指した。

 

村民相互で取り組みを奨励するために、

5日ごとに夜会を開き進捗状況を確認しあい、

冠婚葬祭の質素さを村全体に守るように指導した。

一方で、年に一回は村民全員が一堂に会し、

仕事のまとめを行い、餅を食い酒を飲んでお互いの労をねぎらいあった。

 

3年間の取り組みで、村の借金は大きく減り、

各家々の家産は急速に改善し、

遂に僅か5年間で村の借金は全て返済出来るという見通しがついた。

石川氏はその頃、別の村に農政指導に出掛けるものの、

土地の人間のやる気のなさに、1ヶ月で山田村にもどってきた。

改めて山田村の村民の努力の成果を認め、

それを世に示すことが自らの存在価値だと思い至る。

 

そこで、生まれ育った土地で日当たりの悪い田に入り、

小屋を建てて、貧乏小作人の生活を始める。

12時間働き残りの時間を睡眠と食事・雑用にあて、

目覚めると働き、空腹になると食い、眠くなると横になるという日々を過ごした。

食べ物は粗末な米と野菜中心、

粗末な小屋は修理を繰り返し、徹底的な勤労、節約の生活を送った。

 

この田んぼは地主から借りたものであるが、3年間で返済した上に、

新田を開墾し、苗木を多数植え、雑穀を余分に収穫するに至った。

 

石川氏は、山田村経済会で村民に要求した通りの生活を送ることで、

自らでそれが間違いないということを実証することで、

借金を特別な方法で返したのではない、山田村の村民の行動の正しさを確認したのであった。

 

このような、理論と実践を両立させる石川氏の行動を冷ややかな目線で見ていた人も、

数々の実績を上げている事実から、評価を変えるようになってきた。

近隣の村々から志のある若者たちが、農村の将来や経済、

和歌などについて学び合うために、石川氏のもとを訪れるようになってきた。

 

山田経済会が出来て9年後の明治27年には東京で開かれた

第一回全国農事大会に出席し、

幹事長の前田正名から「日本一の老農」と紹介されるほどになった。

大日本農会長の委嘱により、九州各地を巡回講演した。

 

彼を賞賛するものが増える一方で、山田経済会のやり方を踏まえて、

独自で農業発展を志す人物が出てくるためにはどのようなことが必要かと、

石川氏は50歳を契機に考えるようになった。

 

そのような折、秋田県中の農業調査を数年間掛けて完了し、

勲章を授与されたのち、旧知の前田正名より明治34年に手紙が届いた。

宮崎で開田事業が完成させるために無報酬で指導に出向いてくれないかという懇願であった。

 

肉体的、経済的な負担から同志を集めることの難しさを想定しつつ、

正名氏の手紙を見せたところ、7人の賛同者が集まった。

決死の覚悟のもと、明治35年4月秋田を出て、

宮崎県の霧島山麓の事務所で1日も休みなく半年間必死に働くことを皆で誓いあった。

ただし、長年村民で協力しあった山田村のやり方がいきなり通用する訳もなく、

指導に来た人間自らがあるべき行動をすることで、

自然にその土地の農民を導いていくという方針が取られた。

指導方針は、以下の通りであった。

-----

1.指導に来たのだという考えを捨て、この部落の一員となりきって行動する。

2.部落の欠点、ここの人々の劣っていることを決して口にしない。

欠点をなおそうと思ったら、私たちの生活、行動で気づかせるようにしていく。

3.農業のことについて聞かれても、自分の知識、体験で断定的な話をしないようにすること。

-----

 

石川氏は、日本各地で死の直前まで数々の農村の経済的な立て直しに貢献した。

彼が直接手を下したのではなく、その土地の農民の心を変えて、

労働の尊さを伝え、借金を減らし貯蓄を行うことの意義を身を以て教えて歩いた。

 

 

 

以上羅列的になってしまったが、石川氏の功績を紹介したのだが、

秋田を始め、各地の農村指導のエッセンスに、

2016年の現代にも通じる点が多々存在する。

 

私は、これから都市部ではない自然に囲まれた地方にて生きていく覚悟を決めた。

だからこそ、石川理紀之助氏の功績に学ぶことが非常に多いと考えている。

 

ある土地に長らく住んでいらっしゃる人々の気持ちを、

余所者が変化させることは非常に難しい。

けれども、『至誠にして動かざるもの未だ有らざるなり』

吉田松陰の言葉だが、他にも多くの教育者が同様の言葉を発している。

 

この古くから言い伝えられる箴言を信じて、まずは自らを律していきたい。

石川理紀之助

JUGEMテーマ:モチベーション

地域 | 22:07 | comments(0) | - | - | - |
ビジネスに最も必要な要素は継続性。

熊野筆

このブログで約3か月前に筆屋さんが会社にやってきたことを綴った。

それからきちんと間隔を開けられて、

再び広島ナンバーのマツダボンゴがやってきた。

やはりビシッとノリが効いたワイシャツをまとったセールスマンが再訪された。

会社では消耗頻度が高い方だけの注文になってしまったので、

前回よりも少ない筆の購入数だったけれども、

こうして定期的に足を運んでいるからこそ、

継続してビジネスが成り立っているのだと感じた朝の出来事だった。

 

様々なお仕事が日夜生まれては消えているのだろう。

それはともかくとして、物を売って買って、サービスを提供して購入して、

たった一度の取引で、お互いに満足を得ることは実は困難なことではないだろうか。

 

企業対企業取引における売り手の立場になって考えてみると、

初めての取引に際しては、取引条件をまとめたり、

商品やサービスの仕様詳細を詰めたりと、

既製品を売るにあたっても細かい調整を行ったのちに、

初めて代金回収まで至る。

その手間を含めると、相当にシステマチックな取引以外では、

最初から商品やサービスの対価だけで利益を得るのは困難だろう。

 

また企業対消費者取引における買い手の立場になって考えてみると、

初めて訪問したお店で自分にとってお気に入りの商品に出会い、

その商品が考えていたよりもお値ごろであることは、

結構難しい状況であり、多くの消費者は良いお店・良い商品に出会うまでに、

多くのお店を訪れ、商品を購入した結果を踏まえてから、

一つの購入機会を成功させるプロセスをマスターできるようになっている。

 

例えば、Amazonで一つの商品を買うようになったお客さんは、

品揃え、販売価格、商品購入のプロセス、支払い方法、

到着までの時間、配送状況、商品購入ごのアフターフォローなどを

トータルに判断し、何度も繰り返し利用するようになっているにいる。

全ての判断は一瞬だとしても、多くの過程を踏まえていることは間違いない。

 

インターネットによるビジネスが進展する中で、

一瞬にして商品やサービスの提供が可能になった

と考えるビジネスパーソンは多いだろう。

しかしながら、きちんと利益を出している会社の大半は、

何度も何度も繰り返し買っていただけるお客様の満足を最大にすることを

目的にその仕組みを考えて、一つ一つのサービスを提供している。

 

たった一人の移動筆屋さんの動きをしっかりと考えるだけで、

ビジネスの本質とは何かを想像することができる。

 

そこにはもちろん前提知識は必要かもしれないけれど、

ビジネス本を読んで学んだ机上の知識よりも、はるかにすぐに使える姿がそこにはある。

 

仕事を創り出すのは簡単な作業ではない。

しかしながら、一つ一つの誰でもできるような作業をやっていたとしても、

それを長い時間継続することができるならば、

もしかしたら新しいビジネスが生まれるかもしれない。

 

私は、常に可能性を見出したいと強く思っている。

それは私が、たった一ヶ月だったけれど、

全く縁もゆかりもない北海道の地で、航空写真販売という全く知識もない

訪問販売業を体験したからだ。

 

どんな仕事であっても、その仕事を理解してくれるための努力をして、

それが必要な人を探すことが必要なのだ。

セールスマンの基本的な要件は、

仕事を続ける意識を持つことだと私は捉えている。

何故ならば、すぐに売り手責任を放棄する人から買いたい人は少ないからだ。

 

売れない商品を売る努力をして初めて、

売るためにはどんな作業が必要なのかを理解出来る。

また、人々がいかに商品を無意識に選択しているのかを感じることができる。

 

当たり前のように存在している仕事はすべてみんな、

始めた人もしくは受け継いだ人が、売れる努力をして今日存在しているに過ぎない。

そのことを思い描くことができる人だけが、新しい仕事を創り出せるのではないだろうか。

JUGEMテーマ:経済全般

経済 | 20:42 | comments(0) | - | - | - |
職場の同僚と呑んでいますか?もしくはご飯をご一緒してますか?

昨夜は、職場の先輩と二人でお酒を酌み交わしておりました。

今の会社に勤めて3ヶ月、もっと早く意見交換するべきでしたが、

私が思うにベストなタイミングをチョイスして居酒屋に向かいました。

 

先輩は入社時期がわずか先であることは置いておいて、

20年以上の人生経験が豊富であり、土地のことは非常に詳しいわけで、

職場で今置かれている状況が、決して本人のポテンシャルを

全面に汲んだものではないはずだと大口を叩いてしまいました。

 

俺よりも遅く入ったお前が言うなと批判されてもおかしくないところですが、

先輩は迎えにいらした奥さんに何度も「今日はいい酒だった」と零されていました。

なんと、お代まで払っていただいたにも関わらず・・・・。

 

私は、社会人デビューした広島時代、職場の先輩に週に3回近く

夜ご飯を食べに行こうという名目で、ビールをご一緒させていただきました。

もちろん仕事の愚痴もその場で出てくるのですが、

具体的な仕事に対するアドバイスもたくさんいただきました。

 

そして、その積み重ねによって自分自身への信頼をいただき、

先輩のお仕事に同行させていただきながら、

どうやってお客様の心を掴んでいくのかを実地で学ばさせていただきました。

 

先輩にとっても後輩を連れ出すのは、決して楽なことではなかったと思いますが、

後年、先輩にあの時期はこれまでの仕事人生で一番楽しかったと、

最大級の賛辞をいただきました。

 

そう考えると、今の職場では仕事を共にする仲間が皆一緒に、

プライベートで出かけることはそんなに多くありません。

 

もちろん、仕事は仕事、私生活は別だという考え方もあります。

けれども、ある人の強みとか弱みとか、仕事という緊張感のない場所でこそ、

明らかになる要素もあるのではないでしょうか。

それを理解した上で、仕事に一緒に取り組めば、チーム全体の効率は上がるはずです。

 

少し古いプレジデントオンラインでの記事ですが、

稲盛和夫氏が創業された京セラでは、社内コンパを推進しているという内容がありました。

http://president.jp/articles/-/14817

あれだけの規模の大企業ですら、日本的な繋がりが大切だと世界中の社員を集めて、

定期的に飲みニケーションを行っているのです。

 

中小零細企業になればなるほど、

一人一人の仕事に対する会社全体への影響力は大きくなります。

 

様々なミスで仕事に対する落ち込みをなくしている時に励ます機会、

逆にプライベートで良いことがあった時に喜びを分かち合う機会、

仕事がなかなか進まないので辛いからこそ、社員の奮起を誓う機会、

飲み会の効能は、その時その時で異なりますが、

参加メンバーの喜怒哀楽を共有する時間であるはずです。

 

私は今の職場でも、過去の職場でも、社長とお酒を飲みながら、

たくさんの昔話を聞きました。

仕事がうまくいかなかった時どんなことを考えていたのか。

今ここに至るまでに誰が助けてくれたのか。

日頃は飄々としている姿に見える社長も、いろいろな苦労の末に今がある、

そんな当たり前の事実をわかった時、髪の毛が・・・・・・(以下自粛)

 

中小企業においては、社長の考え方が会社の考え方に近くなるのは当然です。

だからこそ、目先の仕事への指示を一旦脇に置いても、

社長の考え方を社員に伝える機会は本当に重要です。

 

また、もしも社長への考え方を理解出来るベテラン社員さんがいるならば、

その人を伝導者にして社員に伝えていくのも有効でしょう。

 

フィロソフィーとかクレドとかそんな用語を使わずとも、

長い時間続いている企業は必ず取り組んでいるはずです。

仕事の場面以外に、社員全体がまとまるためのきっかけ作りを。

 

会社はどこを目指していくのか、そして一人一人の社員はどんな強み弱みがあるのか。

これをじっくり話し合うにより良い機会は飲み会の席ではないでしょうか。

別にアルコールは必須ではありません。

 

宴席で誰が皆のことに気を配っているのか、誰が良く食べるのか、

頼むものにコスパを考えるのは誰なのか。

そこからつかみ取れる情報は本当に無限大です。

 

給料がどんどん上がっていく社会が右肩上がりの高度成長期ですら、

中小企業では一杯やっていくかと赤提灯に集っていたわけです。

 

今では、給与という人参で釣れなくなっているこのご時世です。

職場のモチベーションを上げるために、まずはチームメンバーの

言いたいことを共有出来る場所作りとして、飲みに行くことの意義を考えてみませんか?

 

居酒屋シルクロード

 

もちろん、この文章は特定の人に向けているわけではありませんが、

社長とか部長とか課長とかチームリーダーとか、

組織を率いている方向けに書いたつもりです。

JUGEMテーマ:モチベーション

JUGEMテーマ:人間関係

 

経済 | 07:45 | comments(2) | - | - | - |
思ったことをそのまま言うことの難しさは必ず克服できる。

標語

 

数日前から考えさせられている。

自分の気持ちを率直に告げることが出来ることがどれほど恵まれていることなのだろうかと。

世の中には言いたいことが言えない人々が沢山いる。

かといって、自らが思ったことを何の責任も持たずにペラペラと放言するのも何か違う気がする。

要するにある程度の「空気を読む」必要性を感じるわけである。

しかし、空気を読むにしても、自分自身の気持ちに不正直のままに、

思ってもいないことを周りに伝えていたら、いつかは思いと行動にズレが生じるだろう。

だからこそ、身の回りの『空気』と、今の自分の気持ち、

そして身の回りと自分自身の本来あるべき姿をよくよく考えた上で、意見表明すべきなのだろう。

ただし、考え過ぎていると、意見表明する機会を逸してしまい、

すでにその意見が無意味になってしまいかねない。

 

夏目漱石時代から、日本人が自らの意見を持っているにも関わらず、

それを素直に表明出来ない人々が悩んでいる事実が、

良いのか悪いのか迷いを吐露する人は絶えない。

明治の文明開化は、欧米の個人主義を輸入したので、

一人一人が意見を表明することの意義を「学問ノススメ』によって強く訴えられた。

そこからかなりの時間が経つけれども現代の日本人でも、

周りの人との調和を気にして、あまり自分の意見を主張しない人が多い。

しかし、本当にそれが自分自身のためになるのだろうか。

 

私は思うのだ。 日本国民統合の象徴である、

天皇陛下に学ぶことが沢山あるのではないかと。

天皇陛下は、自らの意思を広く国民に表明された。

そのことが政治的に取られると、自らの行為が憲法を犯してしまうために、

意見を幾重にもオブラートに包みながら。

 

天皇陛下は、皇后陛下とともに皇太子時代から、

世界各地の戦争跡を訪れ慰霊を行い、 日本各地の災害被災地を訪れ被災者を励まされた。

膝を折り、その土地の人々と同じ目線に立たれて。

 

その一方で、自らも宮家以外からお妃を入れられ、

子息にもその行為を認められ宮家の恋愛のハードルは確実に下がった。

今でも運転免許証を持ち、自らでシビックのハンドルを握られていた。

 

自分自身の行動を束縛されざるを得ない宮家という存在のリーダーである天皇陛下は、

自らが生きる権利を得るために不断の努力をなさっている。

まさに、日本国憲法を体現されていると言ってまったくおかしくないのだ。

権利は、それを主張することで初めて効果を発揮する。

黙っていても何も得られる保証はない。

 

天皇陛下は、自らの意思を表明されるとともに、

思ったことを言うことの大切さを国民に伝えようとされているのではないか。

 

少子高齢化により日本中で人口が減り続けるなか、

日本銀行が市中から証券を購入するというイレギュラーの行為を行って、

どんどん国債を引き受けるために、その発行額に歯止めが掛かからない。

結果として、政府として何が本当に最もやりたいことで、

何をやらざるべき事なのか国民に分からなくなりつつある。

 

思ったことを誰かに表明するためには、自分自身で何が伝えたいのか、しっかり考えることが必要。

伝わらない内容をどれだけ告げようと、誰もそれを受け取ってくれなければただの徒労に終わる。

 

私はこう思う。

その結果、これがやりたくてこれが出来ない。

だから誰々にどうして欲しい。

まずはこのフォーマットをマスターすることから始めれば、

思ったことを少しずつそのまま言えるようになるのではないでしょうか。

もちろん誰にでも意見表明することは困難でしょう。

だから始めは、一番気持ちを伝えやすい相手に対してボヤいてみることからで良いのです。

ただし、そこで立ち止まってしまったら、あなたを擁護してくれる人は増えていきません。

他の人があなたの意見を確かに納得できると認めてもらうには、

誰かの想いが含まれていなければなりません。

みんなが自分勝手に意見していても、特定のグループはまとまりませんから、

複数の人々のためになる意見でなくては大勢に広まりません。

少しずつ、少しずつ、日々の練習を積み重ね、

オリンピックに向けてタイムを縮めていくアスリートのように、

私の言いたいことを伝える練習をやってみましょう。

 

天皇陛下が自らの意思を伝えられるのに、

どれほど苦慮されているのかを考えながら。

http://www3.nhk.or.jp/news/special/japans-emperor/

 

社会 | 06:30 | comments(0) | - | - | - |
右耳に現在、左耳に歴史、右目に田舎、左目に都会を意識して今を生きる。

私は、長崎県の波佐見という焼き物の町で、

4月末から暮らし始め、5月上旬から陶磁器製造職人の見習いをしています。

月曜日から土曜日までほとんど職場にて立ちっぱなしですが、

同じように春先から波佐見で働いている方に比べれば、

かなりの職場以外の方と接していると自負しています。

 

電話やLINEでのやり取りを含めると、東京・波佐見合わせて、

金曜日夜から日曜日夜にかけて15人以上の方と5分以上会話しました。

(8割以上は呑みながらなので内容は濃くはないですが・・・)

職場、これまで仕事してきた同僚、これから仕事で関わる人々、波佐見の人々など、

そのやり取りはかなり広範囲に及んでいるはずです。

 

会話の内容は、仕事に関わるものが多いのですが、

その内容もこれからのこと、これまでのこと、

私が知っている範疇のこと、直接は知らない歴史的なこと、様々です。

 

私は、幼い頃から歳上の方のお話を伺うことに全くの抵抗がなかったので、

35歳の今になっても、数々の先輩から多方面のお話を伺うことは、

楽しくして仕方ありません。それが自らの血となり骨となることを疑いませんので。

 

表題にあげた通り、過去現在(将来)、都会田舎、様々な視座を持って、

人々と会話をしていくと、一つ一つの単調な話題でも深みが生まれてきます。

 

会話とはキャッチボールなので、誰かが投げたボールに対して、

適切なボールを投げ返さないとそのラリーは続かない状態となり、

面白いだろう会話もどんどんつまらなくなってしまいます。

 

また、自分よりも年下の人に会話する機会がそんなに多くのないので、

気を抜いてしまうと、偉そうに上から目線での会話になってしまう点は、

要注意であることは会話をした翌日に反省しています。

 

東京で9年以上生活してきて、それまで接点を持たなかった人と、

いかに関係性を築いていくのかというスキルは多少身につけたつもりです。

それを田舎である波佐見でもしっかり活用しつつ、

飲みニュケーションが必要不可欠である田舎なりの人々の繋がり方を

しっかり意識しながら、波佐見生活4ヶ月目の日々を送っています。

 

 

たくさんの人が都会から田舎に生活の中心を移して、

自分の境遇を理解してくれないと悩みを抱えていることでしょう。

ちなみに、私は波佐見に生活の拠点を移してそんな悩みは一ミリもありません。

 

なぜそんなことを言い切れるのかといえば、一期一会という言葉を

強く意識して、一瞬一瞬に意識を集中しようと思っているからです。

 

初めて出向いた飲み会の席ではとりあえず、

美味しいお酒や食べ物に意識を集中して、

何かしらの接点がありそうな一人の参加者との会話を

一生懸命こなしてみようと注意します。

 

一人と深く仲良くなれたならば、必ずその人のお知り合いに接する機会が生まれます。

しかし、不特定多数の人々と浅い関係になったとしても、

改めて知人を紹介しようというレベルに達するのは困難の極みでしょう。

 

まずは自分が立っている目先にどんな感動があるのだろう、

その意識に忠実になって、一つ一つの出来事に意識を集中してみる。

そこで出会った人々に、その想いを自分なりの表現で伝えてみる。

 

そこから出会いの深みが生まれてくるのではないでしょうか。

 

私は13歳で新聞配達を始めることで仕事人のキャリアをスタートしました。

そのきっかけがそうさせたのかはわかりませんが、

決まった一つの世界でも色々な可能性が広がることを強く信じています。

 

ビジネスチャンスがないないと嘆く前に、

自分が出会っている普段の出来事をしっかり掘り下げてみてはどうでしょうか。

 

歴史的に見て、将来的に見て、ビジネスとして見て、プライベートとして見て、

どんなプラス面・どんなマイナス面を持っているのか、

視座を変えてみると、案外気づかなかった価値に気がつくかもしれません。

 

特に人間はそれが濃厚に言えます。

ある仕事では十分なポテンシャルを発揮できない人であっても、

ある側面では、その人にしか成しえない成果を生みだしたりします。

 

多様な価値観は、多様な可能性を見出します。

限定されてた閉ざされた価値観では、どんな底力がある人でも、

ある瞬間的な結果だけで判断され、本来の持ち味を見つけることは困難です。

 

今日よりも明日は絶対に楽しい1日になる。

そう心に強く意識を持って、出会う出来事を多面的に考える癖を身につけたいものです。

それこそが、自分自身の可能性を高めてくれると私は信じています。

 

以下の写真は、2016年7月3日に仏画家である中田恭子さんと16名の画家によって

波佐見町の水神宮に奉納された天井画です。

華やかで、非常に力に溢れた素晴らしい作品でした。

水神宮天井画

JUGEMテーマ:モチベーション

つぶやき | 23:57 | comments(0) | - | - | - |
西郷隆盛に託され江戸城総攻撃を止めたのは、ある老婆蓮月の一句だった。「あだ味方 勝つも負くるも 哀れなり 同じ御国の 人と思へば」無私の日本人 磯田道史著読了。

この本「無私の日本人」には、穀田屋十三郎、中根東里、大田垣蓮月という

三人の人物について書かれた三つの史伝が収録されている。

 

無私の日本人というタイトルが付けられているが、

私がこれらの人に感じたのは、「公心ある日本人」という想いである。

 

私心をなくすこととイコールになるのかもしれないが、

自らが関わる多くの人々を思いやって行動するというのが、

江戸時代の日本人の生き方ではなかったのか、そういった投げかけが、

磯田氏が紹介されている人物の足跡から伝わってくる。

 

2016年の現在、自分のことよりも他者のことを考えて、

自らの生活を成り立たせていると胸を張って言える人は少ないだろう。

いや、実際には客観的にはそういった行動を取っていた、

過去の日本人さえ、自分自身が他人様のために役に立っていると、

自負して行動した一般人は微々たる数のはずである。

 

もちろん、世界中と貿易を行い、日々の生活を他国との関係に

依存している日本という国が、他国で暮らす人々の考え方に

影響を全く受けないことは難しい。

そうはいっても、日本という国の歴史が育んできた、

他者に慈しみを感じ、自分のやりたいことを抑えてまでも、

公の立場に立って行動するという生き方は、

これからも尊重されて欲しいと私は願っている。

この著書のあとがきで、磯田道史氏が記されている通り。

 

この著書では、穀田屋十三郎という商人、

中根東里という儒学者であり詩文家、

大田垣蓮月という歌人であり陶芸家の三人が取り上げられている。

 

彼ら彼女らは三者三様に波乱万丈の人生を歩んでいるのだが、

若い頃に多くの苦労をしてそこで得た徳を持ってして、

晩年に市井の人々と交流を図り、惜しまれてこの世を去った点は共通している。

 

人間は葬式に来てくれた人の数で人生を評価されると言われたりする。

けれども、どれだけ多くの人々が来たからといっても、

その人が広範囲の人々の人生を変化させたかどうかはわからない。

 

そんな数的な問題ではなく、自らの意思で、

他者のために長期間にわたって何らかの仕事をして、

その結果、誰か一人でも人生をよりよく導いたとすれば、

それは大いに賞賛に値する人生を送れたと言えるのではないだろうか。

 

政治家はこうあるべきだ、経済人はこうしなくてはならない、

学者はこのような生き様をして欲しい、ジャーナリストなら云々、

医者ならこんな・・・、

多様な生き方について誰かが望まれるあり方を気にしているときりがない。

 

それは、決して2016年現在の日本人に限られず、

ありとあらゆる時代に、ありとあらゆる国家で暮らす人々が、

どことなくプレッシャーを受けなければならない人間の宿命だろう。

 

もちろんそんな他者からの期待があったとしても、

自らの判断で、自らの責任で、自らに関わる人々に対して、

どのように接したら良いのかを真摯に考えて、

その結果、一歩ずつ継続的に行動しようとする人々からは

何らかの大きな成果を上げることができるはずだ。

 

この著書の中でも、最も世に知られていないだろう

中根東里のエピソードの一部を本著から紹介したい。

以下、本文p250より引用。

―――

東野はこれ華やぎたり

谷風はそれかおりたり

ここに酒を飲むあり

かれに肉を食らうあり

すでに飽きすでに酔う

我が心をして楽しましむ

 

これを聞いて、無我が笑った。

「面白いことをいいますね。彼らが勝手に飲んで楽しんでいるだけでしょう。

それでなぜ、こっちまで心が楽しくなるのですか」

 

「楽しくなりますよ。自分をひたすら無にしてごらんなさい。

我は彼になり、彼もまた我になるというように、

気持ちの垣根をとっぱらってしまえば、

自分の物ではないものはなくなりますよ。

 

自分にこだわれば、富貴貴賎、長寿短命、幸不幸、生死、福禍、栄辱

みな気になって、かえって苦しんでしまいまずが、

いっそのこと自分を無しにしてしまえば、みな同じでしょう。

 

人をきちんと育てたり、戦いをとめたり、乱暴を禁じたり、

虐めをなくしたりすることは、ほんとうはちっとも他人ごとではなくて、

自分のやまいを治しているようなものですよ」

 

「それはそうですが、聖人でもないと、そんな考え方はできませんよ。」

 

「そんなことはありません。なにも、はじめから聖人だけにかぎることはない。

わたしたちも勉めるべきではないでしょうか。

みな、それぞれ、できるところで、心の中の美しい玉をみがけばいい。

玉には大きい小さいがあって、聖人のように大きい玉は磨けないかもしれないが、

小さな玉でも磨けば美しく光る。

そういう玉を心の中に磨いていく。

それが人の生きるつとめではないかと思っているのです。」

―――

 

中根東里は、学問から書・剣・槍・弓道・柔術・鉄砲から

天文学まで達人の域に達するも仕官しようともせず、

誰かに教えを持って学費を稼ごうともしなかった。

近隣のものの世話で小さな庵に住んで近所のものに講義をした。

身近な例えを使い飾った言い回しをせず即実的なことを話した。

そこで著を記すこともなく、遺品というものがほとんどない状態で亡くなった。

 

けれども、彼が終の住処とした佐野という町を、

250年後の現代に磯田道史氏が訪ねた時に、出会った老人がこう応えたそうだ。

「東里先生でしたら、あちらのお寺におられました」

 

これが本当の先生であって、一つの道を極めた人の功績と言えるのではないか。

 

何か立派な言葉が残っているでもなく、名所があるわけでもなく、

子孫が残っているわけでもなく、世代を超えて愛されるその後影が。

JUGEMテーマ:自分が読んだ

読書 | 07:04 | comments(2) | - | - | - |
今の日本人に最も不足しているのは働く意義ではないのか? 〜磯田 道史著 無私の日本人「穀田屋十三郎」読了〜

阿部サダヲ主演 映画「殿、利息でござる!」の原作である

磯田道史氏「無私の日本人」所収の「穀田屋十三郎」をやっとこさ読了した。

 

この映画を見て、この原作を読んだ知人が言っていた。

家が傾き一家離散するほどのお金を集めるのは大変だっただろうと。

 

私は、その話を聞いた時にはもちろん同意だったけれども、

この作品を読んで最も感じたことは、

既得権益を変えようとすることの方が並大抵なことではないだろうと、

お金ではない社会への一矢の困難さである。

 

金は天下の回りものという言葉がある。

お金は交換の手段でしかなく、お金自体の信頼がなければ、

全く価値を持たない存在になってしまう。

 

しかしながら、人間が生きている限り、

どんな境遇であろうとも社会的な決まりがあるわけで、

これは何人たりとも逃れられない縛りであり、

ある社会範囲の中で、一旦決まってしまうと変えることは困難である。

 

この「穀田屋十三郎」という実際にあった物語は、

仙台藩下の宿場町「吉岡宿」という土地が、藩の方針によって、

厳しい生活を余儀なくされている市民の暮らしを少しでも改善するために、

いろいろな知恵を絞って、仙台藩に自らのお金を貸し出して、

その対価としての利子を得るとともに、

厳しい取立てを少しでも緩和しようと奮闘した話である。

 

もちろん、現在の価値に換算して3億円を決して裕福とは言えない

地域の一般市民9人が集めたのだから、かなり困難な作業だったに違いない。

古くから吉岡宿の惨状を変えようと思っていた浅野家では、

主人はもちろんの事、使用人までもが自らの生活を切り詰めてまで、

将来の事業開始に備え資金を貯めていた。

 

そんな吉岡宿の苦しい市民生活をどうにか救いたいと、

同じ思いを持った人間が奮迅して、なんとか3000両もの大金を集める。

そうして藩に対して、ベストなタイミングで資金貸与の相談をするものの

けんもほろろに断られ、一旦嘆願書はそのまま戻されてしまう。

 

それでも資金集めを行った賛同者たちは諦めず、

自らの想いを理解してくれる橋本代官に出会い、懇願し続ける。

橋本代官は、浅野家の心がけを聞くに及び、

自らの処遇が厳しくなることを覚悟で本藩の重役を説得し、

ついに、藩に領民がお金を貸すことを認めさせる。

 

そこまで展開が何とかうまくいったにもかかわらず、

次は藩が利子を払わない状態になるという最悪の状態になるが、

資金提供を行った貸主たちは、自らの支配者である藩に対して取立てを行い、

ついに念願であった藩からの利子を勝ち取ることに成功した。

 

その過程では、多くの役人がそんな事例がないから、

支配される側が藩に対して資金を貸し付けるなどは不可能と断っていた。

一旦嘆願が採択されたのちも、円滑に事業が進むことを妨害し続けた。

 

なぜならば、

役人は現状行っている作業を変えることを好まない人々である。

このため、百姓は年貢を納めるだけのものであり、

藩が百姓からお金を借りるなんていうことがあってたまるかという、

姿勢をなかなか変化させることが困難であったからだ。

 

これは、別に江戸時代が特殊なのではなく現代の役人も、

前例にないことを彼らの支配下から提案されることを好まない。

だからこそ、市民側を向いた役人はなかなか出世できない。

 

そんな数百年続いていても脈々と受け継がれる役人との対峙こそが、

一般市民が最も難しい社会的な抵抗と言えるだろう。

現に、投票する前に発表される世論調査に従って、

概ね当選者が決まる首長選挙が日本全国で繰り返されているのだから。

 

西郷隆盛が私淑する庄内藩の人々に言ったという。

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るものなり」

これは、現代にも当てはまる人間が捉われやすい業を、

一言で明確に表した言葉である。

 

逆に言えば、それができるのであれば、

社会に対して大きな影響力を持ち得るかもしれない。

それこそが、私がこの記事のタイトルで示した

「働く意義」として考えなくてはならないという基準である。

 

「働く」のはお金のためであり、地位・名誉を上げるためであり、

名前を世の中に知らしめる道具であると、自覚有無に関わらず、

日々を送っている日本人が如何に多いだろうか。

 

しかし、仕事をやっている最大の利用は、

本来自らがやり続けても苦にならないから、

突き詰めて言えば「楽しいから」であるはずなのだ。

 

仕事自体が楽しくないからこそ、別の理由を課してしまっている。

お金とか自らの保身とかポストであるとか・・・。

 

吉岡宿で生活困窮する人々を少しでも減らそうと強い目的を持ったから、

多くの賛同者が日々の生活費を切り詰めてまで、

一生懸命に働いて、全体で議論を積み重ねたのである。

 

その姿勢は2016年現代にも必ず通じるものがある。

仕事で多くの人々と力を合わせている意義は何なのか。

それをとことん追求する会社だけが、結局永続出来るのではなかろうか。

無私の日本人

JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政

評価:
磯田 道史
文藝春秋
¥ 637
(2015-06-10)
コメント:映画を見ていても見ていなくてもこの原著を読んで、2016年の現実に置き換えてみてほしい。働き方に必ず大きな示唆が得られるはず。

読書 | 00:14 | comments(2) | - | - | - |
地方経済を恒常的に回すには地方の人が自らの頭で考えて動く他ない。都会の智慧者に頼るな。

地方創生が国の方針として謳われ、自治体として限界点を迎える前にどうにかしないといけない、

そう考えている人々は、日本中に沢山存在している。
この地方を元気にしたいと声を出している人に、私は全力で問いたい。
あなたの頭で考えて、自分の責任で動いていますか?と。

私は、東京都から長崎県の東彼杵郡波佐見町に移住した。
この土地には、自分の頭で考えて、自分達なりに、

どうしたら他者を惹きつけることが生まれるのかを

一生懸命に追求している人々が沢山いる。
私は、そんな熱い人々に影響され、俺もなんかやんなきゃ存在価値が埋没してしまう、

そう発破を掛けられる日々を過ごしている。

 

一方で、私の生まれた場所である、福岡県の八女という土地を垣間見ると、

もちろん自分の頭で考えて行動している人は存在するが、
東京とか福岡といった外部の知恵に頼ってしまっている所が他所者の私にはありありと見えてくる。

その一例を私は、グリーンピアという元々国が作った施設の

今の状態から直感的に垣間見ることになった。
厚生省が年金資金運用基金にて建設したのがこの施設の始まりで、

経営素人の役人が資金をふんだんに投下した結果経営不振に陥り、

民間企業に売却された二箇所以外の施設は、地方自治体に譲渡され、

現在はさらに民間企業が買収し運営している土地も存在している。

 

グリーンピア八女は、国の外郭団体による運営を外れた後に、

黒木町が運営を行っていたが市町村合併により八女市の運営主体になり、

現在実質的な運営は東京に本社がある民間企業が担っている。

2010年、八女市が上陽町、黒木町、立花町、矢部村、星野村を

吸収する形の合併によりかなりの面積の自治体となった。
確かに合併によって良くなった点もあるだろうが、現実として旧町村地域の発展が、

自治体運営としては疎かになりつつあるというのが、この土地を外から見た私の感覚である。

 

そんな八女市が指定管理者として西洋フード・コンパスグループに

運営を委託しているのがグリーンピア八女などの公的保養施設である。

(他にもべんがら村、池の山山荘なども同社が受託している)

運営委託当初は、施設の独自性を見出す努力がなされ、

実際に窓口にいらっしゃる方の気遣いも細かいものがあった。
しかし、先日久しぶりにグリーンピール八女の温泉施設を訪れると、

売りでもあった八女茶のお風呂はなくなり、

高齢者が転んでも大丈夫なように設置されていた洗い場の畳も撤去され、

露天風呂などに入ってくる温泉湯量も絞られていた。


その他夏休みで利用者は増えていたが、プール横に併設されているバーベキュー場は、

運営スタッフ数は限定され飲食を扱う場所としては、

決して綺麗とは言えない状態でサービス提供されていた印象だった。

 

ホテルの売店やフロントを通っても、スタッフから挨拶をもらうことは殆どなくなってしまい、

お客様が前にいようと何も声を掛けない状態になってしまっている。
売店のお土産メニューも頻繁に更新されている様子はなく、

大きなポスターを掲げられている商品がどこに陳列されているのかも分からない状態である。

挙げればキリがないが、とにかくにして施設運営に熱がなく、

サービスとして再び利用したいと他人にオススメできる施設とは言い難い。
現在は新しく建設されたサッカーコートなどのハコモノの効果により利用者が増えているが、

果たして持続的な運営が維持できるほどの売上を、

10年後を過ぎても見込めるかどうかは疑問である。

私は、グリーンピア八女の現実を招いた諸悪の根源は、

運営主体の責任感が存在しないことにあると断言したい。
国がお金を出して作ったという点から始まり、自治体の合併による責任者の変遷、

民間企業が買収した訳でもなく、

一定の費用を得て期限終了までそつなく運営をすればよいという指定管理制度。

 

こんな要素全てに『責任感』というもののカケラを感じなくて済むように仕組まれてしまったのが、

パッとしない現状をもたらしているものと考えられる。

グリーンピア八女の例は、決して例外とは言えず、

八女市は今後どのような方向性を目指していこうとするのか全体像がイマイチ見えてこない。
それは、責任感ある主体の活躍が目立っていないからなのではないかと、

私は外部から見る限り感じざるを得ない。

木下斉さんに限らず多くの識者が何度も指摘されているように、

地方創生できる地域は、その土地に暮らす人が都会の意見とお金に頼り過ぎず、

自発的に運営していこうという意識が高い土地であるだろう。

 

葉っぱビジネスで注目を集め続ける上勝町などは最たるもので、

いろどりの横石社長が1人で自腹で料亭に通って、

「つまもの」というビジネスの種を探してきたことが今の成功に繋がっている。
困難に喘ぐ地方鉄道の再生は、

他業界からやってきた公募社長の手腕に寄るところが大きい印象であるが、

そのリーダーの行動を信頼している自治体の後押しがあるからこそ、

多くのこれまでにない動きが生まれているのが現状である。

昨日のいすみ鉄道社長ブログを読んでいただければ良く分かる)


ある地域が歴史的に見て、どこに強みがあり、どこに弱みを持っている、

そして経済的にどこに可能性があり、どこに限界がある。
それをしっかり部外者の意見を交えて考察した上で、

現実の難しさと、将来の希望的ビジョンを見据えて、

どんな街を自らの手で作っていこうかと考える地域人グループの力からしか、

困窮する地方経済は再生していかない。

時代がどんなに変遷しても、その土地の自治をメインに国作りをし続けている日本では、

あくまでも経済行動の主体は人々が生計を立てる地域を主体にせざるを得ない。
インバウンドによる経済がいくら盛り上がったところで、

人々の意識としてその地域に生計を立てている人の合意形成によって、

経済を動かすことをずっとやってきた事実を簡単に変化させるのは容易ではない。

ちきりんではないが、自分の頭で考えて行動する地域経済からしか、

独自性を維持し続けられるアイデアは生まれてこない。


東京など都市部に生活している人々は、その土地の経済合理性に従って物事を思考する訳で、

それは山間部などの地方経済にそのまま当てはまるはずがない。
加えて、都会の知識に頼るという行動に逃げてしまう自治体の人々に、

他者を惹きつけるような魅力が湧いてこないという側面もある。

江戸時代、260年に渡って江戸幕府という大きな日本の柱はあるものの、

六十余州と呼ばれる多くの地域によって経済行動が営まれ、他藩との交流をしつつも、

原則的にその地域はその地域の中で経済を成り立たせようと将軍以下人々は行動した。
まだまだその江戸時代が終わった時代から200年も経過していない日本では、

市井の人々の行動形態に大きな違いはない。
もちろん、過剰に集中する都市部生まれの住民は、

それとは全く別の論理で行動しているのは言わずもがなではあるが。

私は、波佐見に辿り着くまでに、日本列島いろいろな地域を旅してきた。
やはり旅をして楽しいのは、他の土地では味わえない人情豊かな人々との交流に他ならない。

 

運営主体が革新的な東京の会社であったとしても、

そこに働く人々の意識が入らないサービスは浮き足立つものであり、

遠方からくる人々に感動を与えられるものとはならない。

 

全くスマートでなかったとしても、くしゃくしゃに笑ったおばちゃんが、

美味しい肴をつまみに地酒をサービスしてくれる居酒屋に、

私は人を呼び寄せるヒントを求めたい。

 

どんなに実績を持っているコンサル先生に地方が良くなる処方箋を求めるより、

地方で少しでも自分の力で人を呼んでいる人をじっくり観察して、

自分なりにその意味を考えて、それを活かして行動していった人にこそ学ぶべきだ。


あ、そういえば波佐見に移り住んで、

地元の居酒屋に1人で出掛けたことがないので、今週末出掛けてみます!

JUGEMテーマ:地域/ローカル

地域 | 06:47 | comments(2) | - | - | - |
政治は結果責任。都知事選に呆れる時にこそ読みたい一冊〜田中角栄の遺言 小室直樹著 読了〜

巷では田中角栄本が話題になっているそうである。

私は、数年前から田中角栄自著を含めて読んでいるので、

降って湧いた現代の人の著書には興味がない。

むしろ、より違った視点から田中角栄という政治家を知りたいと思い、

本人に鋭い考え方が認められていた小室直樹氏の本を手にしてみた。

 

2016年現在の日本において、自分の発言に命をかけている政治家が

どの程度存在するのであろうか。

そして、国民の生活を思い描き、政治を動かそうと意識して、

国会に立ち、官僚と向き合っている政治家が何人いるだろうか?

選挙の時には、有権者に都合の良い言葉を言う政治家はごまんといるけれど、

それを行政を動かしている役人の前で言えるのだろうか。

 

そんなことを悶々と考えている暇があるならば、

田中角栄という稀代の政治家が何を考えて、どう行動して、

どのような成果を残したかを振り返った方がよっぽど意味がある。

 

田中角栄という人物を追った人々は無限と思えるほど存在するが、

民主主義という原理原則に立って、田中角栄という日本の政治家を

しっかりと分析した人物はそう多くないのが現実である。

それをやり切ったのが、小室直樹さんだからこそ、この著は一読の価値ありだ。

 

小室直樹さんは、この著書の終わりにこう言っている。

---------------------

田中角栄こそ、現代日本における唯一の立憲政治家であり、

唯一のデモクラシー政治家であった。

それを、ここで見てきたように、

前近代的・暗黒裁判ともいうべき蛮行によって死に至らしめた。

では、それによって日本政治は何を得たのか。

政界は四分五裂の時代を迎え、議会で自由な議論を通じて国策を決定する気運は、

もはや見る影もない。立憲政治の終焉である。

さらに、国権は政治家不在、官僚がこれを簒奪し、法律を作り、解釈し、

施行するのは役人の一手販売と堕してしまった。デモクラシーの窒息である。

また、絶対主権の所有者であるはずの国民はどうか。

誤解を恐れずに戯画化して言えば、公益・国益といったものの重要性、

否、存在そのものを忘れ、「個人の原理」と「集団の原理」を

同次元に説くマスコミの”無知”にまんまと乗せられ、

私利・私益以外に、その関心を示すところがほとんどない。

冷戦時代、つまり”核の傘”によって、まがりなりにも平和が維持されていた時代なら、

まだそれでも救いはあった。

だが、米ソ二大軍事大国のタガが素っ飛んでしまった今日の”乱世”において、

わが国の政治は、政治家はこれで良いかの。

いつ、どこかの国の核ミサイルが日本に飛んでくるかもしれないというのに。

――――――――――

 

政治資金を巡る舛添氏の辞任による東京都知事選が行なわれているが、

誰の目に見ても争点のない選挙戦が行われている中で、

どの候補者に投票すべきかわからないという声が聞こえてくる。

もちろん一義的には都知事になった人の資質が悪いのだろうが、

その人物を選んだのは、他ならぬ都民であるから、他者に責任をなすりつけできない。

誰が当選したとしても今後も、「政治家の資質」を問う声は止まないだろう。

 

しかし、この著書のサブタイトル「官僚栄えて国滅ぶ」で、

小室直樹氏が明確に指摘しているように、政治家は結果責任が問われるものなので、

その手法に品行方正を求めること自体が本来ナンセンスなのである。

官僚は政治家が決めた方針に則り、法律に即したやり方で、

物事を淡々と進めるが、変化する社会に合わせて対応することは不得意である。

 

それを理解した上で、変わりゆく社会に合わせて政治を変化させていくのが、

政治家の仕事であり、有権者の求めるようにカッコよくに物事を

だらだらと進めていくことは政治家本来のあり方でない。

 

この著書の後半は、田中角栄という政治家を世の中から抹殺した

ロッキード事件の裁判の不法性について紙面が割かれている。

この文章を理解できる方は、映画「ショーシャンクの空に」を見て、

快哉を叫べる方だろう。

 

裁判は正しい手続きによらなければその結果は認められるものではない。

政治は結果が良いことが最も大事であり、手段を問うと結果がぶれる。

 

そんな当たり前の民主主義ルールが疑わしい日本という国において、

何が大切なことなのかを、小室先生は繰り返し訴えていらっしゃる。

 

一言でまとめると、「情緒とルールをしっかり分けろ」ということだろう。

人間社会を営むにあたっては情緒は必要不可欠だけれども、

物事を動かしていくためには決められたルールを厳格に運用することが必要だ。

このバランスを取ることしか、世の中をうまく梶取る方法はない。

 

そんな政治家よ、田中角栄に続いて再び来れと小室先生はまとめられている。

道は遠いのかもしれない。けれども誰かが理想を求めない限り、

永遠に求める社会は実現しない。

 

数学科を卒業し、経済学の道を進み、政治学を研究した小室直樹さんの

社会への指摘は辛辣な中でも、どこか愛情あふれている。

今一度、彼の全盛期の本を手に取って現代社会への参考書としてみたい。

評価:
小室 直樹
クレスト社
---
(1994-06)
コメント:田中角栄という政治家がどんな意味で唯一無二であったのか、政治学者という側面から理解してみたい方に一読の価値あり。

読書 | 00:30 | comments(0) | - | - | - |
田舎の中小企業にいま必要な人材は、単純な仕事を掛け合わせるアレンジャー。

アレンジャーという言葉をイメージできない方に解説しておくと、

元の素材を引き出して、それをよりよく活用できるように仕立て直す人、

私はそんな意味でこの言葉をイメージしている。

 

もっとも使用頻度が高い意味は、音楽の編曲家である。

作曲家のメロディーに伴奏をつける人のことを言うそうである。

その他金融の世界では、証券化の際に斡旋人となる証券会社または、

協調融資をする場合の取りまとめ金融機関の事を言うようだ。

 

私は、長崎に居を移してから、それまでおよそ10年ほど携わった

インターネット通信販売に関わる企業様からの相談を、

長崎・佐賀・福岡の企業担当者さんから頂いた。

現状ではなかなかネット通販の売り上げが立たないが、

どうしたら成長軌道に乗せていけるだろうかという内容である。

 

私は、いずれも各企業さんの置かれている環境を整理することから、

会話を始めたが、その視点は新鮮だったようで、各担当者さんからは、

最初の感触としては悪くない反応を頂戴した。

 

それまで話を聞いたコンサルタント及び通販サイト関係者は、

一般論としてのアドバイスはしてくれるが、自社のこれまでに即した、

今後の方向性については明確な返答をくれなかったとの事だった。

 

地方の中小企業の多くは、何かしら新しい取り組みを行うにあたっては、

同じ地域に拠点を置く同業者にアドバイスを求めるほか、

具体的な仕事内容の相談を行うことができる相手は極めて少ない。

 

都市部で流行っている新しいサービスを展開しようと考えても、

都市で実績ある専門家にコンサルを依頼すると、大きな費用負担が生じる。

 

かなり業績好調な企業はともかくとして、これから伸び悩む既存事業を

転換しようと考える企業にとって、相談相手は皆無である。

なぜならば、そのような企業は銀行すら相手にしてくれないのが実態だから。

 

地方経済は、労働者数からだけ考えても、かなりのウェートを中小企業に拠っている。

地方の中小企業が新しいことに果敢にチャレンジし、

売り上げを増やし、労働者を増やしていかない限り、経済は発展しない。

 

そんな地方の中小企業にもっとも不足しているのは、具体的に自社の企業の

弱み強みを分析し、これから芽がでる可能性を導いてくれる存在である。

 

私は、現在陶磁器製造業にてアルバイトとして働いているが、

インターネット通販サイトという側面で多少なりとも

中小企業の方にお役に立てるノウハウを持っている。

 

同じように、都市部で長らく働いていらっしゃって、

地方に移住された方の中には、それまでのキャリア以外の分野で働きつつも、

長年携わったお仕事のキャリアを有効活用できる人も多いのではないだろうか。

 

そんな眠っているキャリアを持った人材こそ、

変化を求めつつも、なかなか現状打破ができずに困っている

地方企業さんに生かす仕組み作りが求められているのではないか。

 

だからこそ、まずはこの企業にはこれが強み・これが弱みという分析を行い、

不足している部分に必要な人材をマッチングさせる

アレンジャーが一番不可欠な存在である。

 

アレンジャーが見つかれば、自社が目指す方向性がはっきりするし、

誰に助けを求めて良いのか、どうやって変革を行っていけば良いのか、

羅針盤が明らかになってくる。

 

地方の元気は、中小企業の盛り上がりから。

当たり前の事実であるが、それを動かしていくのは、

アレンジャーであることに気がついた私は、

力はないなりに、アレンジャーとしてのスキルを磨いていきたい。

タブレット

現代の人は知らないだろうが、昔単線の鉄道ではこのタブレットが活躍した。

行き違いでの衝突を避けるためにこの通票を利用して一区間には一つの列車しか

走れないように制御を行っていた。

つまり、タブレットがあることで単線であれ衝突を避けて安全運行を行うことができたのだ。

過去小さな鉄道路線は、大きな信号装置を使わずとも、安全運行する仕組みがあった。

 

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経済 | 20:42 | comments(2) | - | - | - |

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