黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
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夫の育休、最初はとるだけでも良くないですか?

コネヒト株式会社は夫が育休を取得した508名のママの回答をもとに、

過ごし方が夫婦で練られていない質の低い育休「とるだけ育休」が発生している実態と、

それを防ぐ方策を取りまとめた。

(概要)

・男性の育休義務化が推進されている中、育休の質の議論が後手に回っている

・現状でも、質の低い「とるだけ育休」が発生している

・一方で、育休をうまく活用でき育休満足度が高まると、夫婦幸福度が向上する

・育休活用のカギとして、「育休の過ごし方7つの法則」と育休準備のポイントがある

http://news.connehito.com/entry/proposal

 

 

この調査をもとにした報道が、NHK他いろいろな報道機関でなされている。

わずか508件のサンプルで一般化してよいのだろうかという疑問を別にしても、

個人的な感覚として、子育てに対して準備期間が乏しい父親にとっては、

致し方ない結果のように思えてくる。

 

母親は、妊娠から身体の変化によって子どもを産む準備がなされる。

そして、子どもが生まれてからも自らの感覚の変化により、

子ども中心の生活を余儀なくされる側面が、生物学的に多く存在する。

 

一方で、父親は子どもが生まれることによって、身体に変化が生じるとしても、

女性に比べては穏やかであり、精神的にも仕事などその他の要因によって、

子どもを育てる姿勢が乏しくなってしまうのは、外交的な生物としては、

避けられない側面があるのは紛れも無い事実である。

 

 

だからこそ、あくまでも育児期間中は、親になるための一里塚にすぎず、

特に男性にとっては、母親となる妻の適切な助言がなければ、

なかなか自分から積極的に育児参加するのは、困難では無かろうか。

 

少なくとも、我が身を振り返ったときに、子どもが生まれてから

一年以上は、妻に何度もなんどもため息をつかれ、

父親としての非協力的な姿勢をダメ出しされた。

 

仕事を中心にするだけに長らくいきてきた姿勢を、

そう簡単に変化させられずに、子どもが存在していることを

十分に受け止められない現実があった。

 

しかしながら、半年・一年と月日を重ねていき、

妻のアドバイスにより、子どもと接していくなかで、

子どもからの反応が増えれば増えるほど、親として子育ての喜びを感じ、

より積極的に参加しようという意識が強くなっていった気がする。

 

親にとって、育児の時間はそう短いものではなく、

また他の模範によって、学んでいけるものでもない。

子どもと両親が時間を過ごしていきながら、あり方を模索するものである。

 

だからこそ、育児休暇という社会制度が存在したとしても、

両親にとっては、あくまでも子どもに時間を避けるための猶予期間でしか無い。

 

その間に、いろいろな体験を踏まえて、子育てのスタイルを模索することが

一番大事であり、闇雲に「子育ての質」を求めるのは、

本末転倒では無いだろうか、というのが私の感覚である。

 

いろんな父母の子育て役割分担があるだろうし、

その成長過程も夫婦によって、子どもの育ち方によっても変化する。

 

だから、「とるだけ育休」という言葉に惑わされることなく、

いろいろな経験を積む時間として、育児休暇を活用することができれば、

父親にとっても十分意味のある期日になるのではないだろうか。

 

むしろ、こうやって「育休のあり方」にハードルをつけることで、

企業側にとって、育休を取らせない雰囲気を助長してしまう

副作用が生じることを、私は一番懸念する次第である。

 

もっと、父親の育休が騒がれない日本社会にならないと、

母親の子育てに対する負担も決して減っていかないのでは無いだろうか。

 

JUGEMテーマ:子育て

社会 | 23:56 | comments(0) | - | - | - |
子育ては管理職としてのキャリアアップにつながる。

今、息子は1歳9か月。

動きも日々活発化し、様々なことに興味関心を持つようになってきた。

しかしながら、まだ満足に日本語を発することはできずに、

擬音語を使い、Yes、Noの反応を示すのが精いっぱいである。

 

やんちゃ坊主の彼とコミュニケーションをとるにあたっては、

ご飯をわざと投げ捨てたり、2か月の妹の目に手を入れようとしたり、

怒らざるを得ない行為も頻繁に生じるのだが、

その理由を本人が納得できない限り、なかなか止めようとしないため、

行動を抑止するためには、それなりに工夫を必要とする。

 

どうしても歯止めが必要な行動については身体で止めて、

それ以外のことは見過ごしながら、その行為を行うことが、

本人にとって利益にならないことを遠回しに伝えるために、

別の利益を与えたり、不利益になるようなことを仕向けたりする。

 

これによって、「あ、これはやっちゃダメなんだ」と理解して、

別の行動を行うように振り向ける過程は、

親にとって、多くの学びを得られる機会となり、

また同時に子どもの成長を感じるタイミングともなる。

 

 

と、子どもを育てている親にとっては至極当たり前に経験することながら、

これは社会人として部下を持つ管理職にとっても、

よいトレーニングになる過程だなと、身をもって感じている。

 

なかなかアドバイスに耳を傾けない部下がいるとする。

厳しい口調で、行動を抑制しようとすれば逆効果となり、

さらに部下の気持ちは、こちらの意向とはほど遠いものになってしまう。

 

そうであるならば、アドバイスを実行する結果として、

メリットを与えるべきなのか、不利益を前提とするべきなのか、

ケースバイケースではあろうが、即効性を考えると聞かなかったことの

罰を与えるのが、一般的な日本企業なのではなかろうか。

 

けれども、子育てで考えてみると明確になるが、

親子の関係はずっと続いていくので、何らかの罰を与えれば与えるだけ、

それが蓄積されていき信頼関係は崩れていくのが一般的であろう。

 

子どもに親の言うことを聞いてもらおうとするのではなく、

子どもが思う方向性を、親にとって間違っていないと考える道に

いざないつつ、あくまでもその子がやりたい道を尊重するのが、

目指すべき子育て像と、多くの教育に携わる専門家は指摘する。

 

そうであれば、企業の管理職にとっても、

会社として目指すべき企業理念は譲れないまでも、

それ以外の道しるべにとっては、自分で判断するのではなく、

あくまでも社員それぞれに任せて、出来るだけ社員が気持ちよく

持前を発揮できるような環境を作ることに注力すべきである。

 

 

子育てを一生懸命している親が、管理職として部下の信頼を集めるのか、

信頼を集めている部下が、子育てをうまくやれる親になるのかはわからない。

 

けれども、この関係性は必ず相通じるものであるというのは、

私自身、子育てに携わる時間が増えれば増えるほど、

社会で自らが属している組織に対してストレスが減ってきたことからも、

間違いなく痛感している感覚である。

 

 

有名人の父親の育児休暇が社会で取り立てられる日本だが、

それ自体が、まだまだ育児と企業・組織運営の間に大きな壁があることを

露呈している事実であり、そのようなことがニュースにならない

世の中になることを、一人の父親として切に願う今日この頃である。

 

JUGEMテーマ:社会の出来

社会 | 00:46 | comments(0) | - | - | - |
「無敗の男」中村喜四郎氏に学ぶ、勝つ選挙の戦い方
評価:
常井 健一
文藝春秋
 ¥ 2,090 
(2019-12-16)
コメント:なにが無敗なのか、それだけ気になる人は読む価値あり。


常井健一著「無敗の男 中村喜四郎全告白」が、

与野党問わず政界などを中心に非常に注目を集めているとのこと。

 

この著書には、これまで世の中に対して広く語らなかった

中村喜四郎氏のメッセージが多く含まれ、

読み応え溢れる著書なので、多様な視点で注目が可能である。

 

だが、ここはあえてタイトルの「無敗」にある

衆議院選挙における選挙区14回当選というポイントに絞り、

なぜ、中村喜四郎氏が選挙に強いのかを本文から列記してみたい。

 

0.選挙に強い人生の先輩に学ぶ

 親族、同窓生など経験者のやり方を虚心坦懐に聞く

 

1.選挙区内の家庭をくまなく自分の足で回る

 一戸建てはもちろんのことアパート、マンションまで

 

2.地元の偉い人に頼らない後援会組織を作る

 あくまでも本人の意思で応援するのチーム構成

 

3.後援会名簿は他人に頼らず自らで管理する

 候補者本人と有権者の距離を出来るだけ近づける

 

4.繰り返し有権者との対話集会を開く

 選挙前後に限らず定常的にミニ集会を各地域で開催する

 

5.誰も聞く人がいなくても街頭演説を続ける

 決まった場所に辻立ちすることで街の変化を認識する

 

6.家族総出の選挙を行う

 当たり前のことと思われるが表立ってやるのはなかなか大変

 

7.選挙事務はごく少人数の未経験者に任せる

 選挙について分からない人は自らの方針がないのが強み

 

8.選挙期間中はとにかく人目につく行動を取る

 肉声を至るところで発するのはもちろんスタイルも重要

 

9.秘書は地元とのメッセンジャーに徹し課題を探る

 とにかく有権者の声なき声を探るために後援会を活かす

 

10.自らへの辛辣な意見を求め、それを糧に活動する

 好評価する声ではなく、厳しい意見こそ真摯に耳を貸す

 

11.後援会組織には、企業を求めずあくまでも個人参加に絞る

 組織を頼ると支援する一人一人の意思の力が弱まる

 

12.政治活動だけの事務所を作らない

 自宅もしくは自らの属する企業事務所を拠点とする

 

13.政治に頼らずとも生計を立てられる収入源を持つ

 庶民感覚を持ち、出来るだけコストを抑える術

 

14.毎日が選挙活動

 徹底した「地域回り」と「活動報告」を繰り返す

 

15.有権者の声が政治を動かす原動力

 総理、大臣にならずとも、政治家として出来ることを追求する

 

これ以外の選挙に勝つ術に、この著書に書かれていることは、

それこそ挙げればきりがない。

 

ただし、選挙に対して当たり前に言われてきたことを

当たり前に続けられる国会議員は極めて少ないのが現実である。

それを愚直に続けているからこそ、中村喜四郎氏が14回の当選をしている。

 

私も8ヶ月後に選挙を控える1人の身。

しっかり中村氏の実践を学び行動したい。

読書 | 09:20 | comments(0) | - | - | - |
テレビで見たたけど〇〇〇だよねという会話が嫌いな理由。
私は、テレビで見たけど〇〇〇、新聞で見たけど〇〇〇という会話をする人が苦手である。

ある一人の人が生活しているだけで、いろいろなことを見聞きしているはずである。
一年中、理由あって家の中にじっといないといけない人を除けば、
景色の移り変わり、周囲から聞こえてくる人の声、様々な情報源は存在している。

テレビや新聞などのマスメディアによってもたらされる情報は何十万、何百万という人が目にしている情報である。
確かに、その情報に接していない人にとっては耳寄りかもしれないが、
不特定多数向けに発信されているので他の人が知りうる可能性が高いのも事実である。

私は、面と向かったその人とその人でなくてはいけない会話をしたい訳で、
他人が知っていそうな会話を媒介にすると、頷く他なくなる可能性が高いという雰囲気が苦手である。
情報に取得しようとする意思が低ければ低いほど、残念ながら情報を得ることに対する感度は低下する。
逆に、日常に溢れる当たり前の事実でさえも、何か情報を得たいと考える人にとっては貴重な材料となる。

テレビや新聞などマスメディアから得た情報を又聞きして、自らの意見なしでそれを垂れ流す人は、
自らの情報収集能力がないことを公言しているようなものなので、やめた方が良いと思われる。

何故、このような現実を気にすべきかといえば、
インターネットと携帯電話の普及により、情報
を個々人で取得することへのハードルが下がったからである。
それまでは、テレビをしっかり見たり、新聞を読むだけで、世の中に対する情報のアンテナ確度を高めておく必要があった。
しかしながら、現代では個人所有の携帯電話を通し、その人が興味を持つだろうメディア情報は、自らの画面に現れるようになりつつある。
つまり、そこには自らが情報収集するための手間は一切必要がなくなりつつあるのが実態である。

だからこそ、メディアが拾えないパーソナルな情報を収集して、
そこから社会を見渡してみる努力が現代社会を生き抜くためのスキルとなりつつある。
その行為を繰り返して、自分なりに情報収集、情報発信している人のもとには、
同じように巷にない情報を求めようとする人が集まってきて、さらに新しい情報を得やすい環境が作られる。
逆に、情報をただ他者から得ようとだけする人のもとには、稀有な情報は集まりにくくなる。

情報が溢れているからこそ、その人にしか語ることの出来ない情報を集めることは、
現代社会を生き抜くために必要不可欠なスキルなのである。
大きく考えると、そんなスキルを持っていませんと公言している人が苦手なのは、
その人はただ情報を私から奪い取ろうとしているのではないかと疑心暗鬼になるからかもしれない。

もちろん、改めて考えてもそれはオーバーリアクションであるのが正直なところで、
何と小さな器の持ち主なのかと眉を潜められるのが正直なところかもしれない。

ただし、情報を集めることは生きていく最低の術というのは、
戦国時代など日本でも歴史的に繰り返されてきた事実であり、
天然資源の乏しい日本で生きていくためには必須のスキルであることは、
もっともっと多くの日本人が意識すべきことではないだろうかと、私は思うのである。

テレビを見て満足するよりも、
テレビに取り上げられるためにはどう生きるのか、
そんな意識を少しだけでも持ったほうが、
世の中の変化に惑わされずに独自の道を歩いていけるのではないか。
少なくとも私はそうでありたいと思う。
(決して自己顕示をしたいという訳ではないことを強調しておきたい)
つぶやき | 14:00 | comments(0) | - | - | - |
お祓いを繰り返し受けると身近になる神社への参詣
結婚式、子どもの戌の日参り、初宮参り、
などなど節目節目ごとに神社へのお参りを欠かさないようになりました。
もちろん、神道が盛んである宮崎の妻と一緒になったことが大きな要因ですが、
私自身も職業柄、神社への参詣頻度が飛躍的に増えました。

神社にて神主さんからお祓いを受けると、
その名の通り、罪や穢れを取り除く行為をしてもらっている訳で、
肩の力が軽くなる感覚を覚えることが多分にあります。

人間が生きて生活しているだけでも、小さな命を犠牲にしている訳で、
厳密に考えてみると自然界に対して様々な罪を背負っていることは紛れもない事実です。
また穢れは気枯れとも表記するようですが、死や月日の経過などにより、パワーがなくなるものは沢山存在します。

それらの負のエネルギーをリフレッシュするのが、神道で言われるお祓いという儀式のようです。

困ったときの神頼みと言えば、「神様、〇〇をお願いします」という、
お賽銭箱と鈴のセットではただ一方的に神様に頭を下げている雰囲気が濃厚になりがちです。

しかし、賽銭箱を超え神社の社の中に入り、神棚を直前にして神官さんに
お祓いをしていただく機会が増えれば増えるほど、
神様との対話という表面的な場面を通して、
自らと心の中で対話することが神社でお参りする意味ではないかと思えてきます。

日本では長年に渡って、伊勢神宮や高野山、お遍路さん巡りが
市民の生活文化の一部に溶け込んだのは、
神社に行くという旅を通して、自らを省みる機会を作ることこそ、意味があったのではないでしょうか?

余りに気軽に賽銭を入れて、個人的なお願いを神様に告げたところで、
神様も困るでしょうし、自分の心も整理すら付かないのが現実です。

神社をお詣りするしきたりに縛られず、
せっかくお詣りしようという気持ちが芽生えたのならば、
せめて鳥居をくぐって賽銭箱の前に行くまでには、
自分の気持ちを整理して、いろいろな自らの過ちを、
虚心坦懐に考えてみることこそ、神社の役割なのではないか。

私は、家族と節目節目に神社に参詣させていただきながら、
そんなことを思えるようになってきました。

もちろん、まだまだいつも実現できている訳ではありませんが、
気持ちに余裕があるときには、日頃の自らの反省を
今一度行う機会として、神様との対話を有意義に使わせていただこうと思っています。
つぶやき | 19:41 | comments(0) | - | - | - |
学校の成績が上がる方法は何ですか?という愚問
こんな釣りタイトルに引かれてアクセスする人が今の日本でも沢山いるのでしょうか?
きっといると思います。

私は、この6年ほど受験を控えた中学生と一緒に勉強していますが、
本人以上に親が真剣になって「どうしたら成績が上がりますか?」と私に聞いてきます。

そこで、ちょっと冷静になって考えて欲しいのです。
というのは、私が高校入試をした24年前から、公立高校に受験生が挑む問題は基本的に変わっていません。(社会を除く)
つまりは、受験生やそこに向けた中学生を教える学習塾などもほとんど変わらず同じことを教えているんです。

その25年の間に、社会人として必要とされるスキルは変わっていないのでしょうか?
大企業や銀行に入れれば一生安泰の時代でしょうか?
また、公務員で定年まで働いて楽しいでしょうか?
一つの仕事に就いたとして、求められる業務スキルが20年不変でしょうか?
20年前パソコンやインターネットを使えこなせなくても仕事は出来ましたが、
オフィスワークで、それが出来ない人は働けますでしょうか?

つまり、残念ながら学校が求める学習スキルと、
世の中を生きていくために働く人に求められるスキルは、
年々乖離してその差が激しくなっているのが現実です。

確かに、小学生、中学生、高校生で学ぶ、
集団生活や基礎的学習能力、勉強する習慣付け、
学校生活で得るもの全てが無駄とは否定しません。
しかしながら、少なくとも、受験に向けた勉強がどの程度意味を持つのか、
5年間中学生と共に受験を眺めてきた私には疑問は増える一方です。

だからこそ、特に高校受験生までの勉強が苦手としている子どものお母さん方から、
「うちの子、どうしたら成績が上がりますか?」
という質問には、いつも本心を語っていないのが現実です。

いろいろな学習指導者が語っている通り、
受験はテクニックであり、学習内容やテスト形式が殆ど変化していない
高校受験(ペーパーテスト)においては、
受験に出る問題に慣れて、解けるコツを覚えるかどうかで点数や、合否が決まるのが現実です。

だからこそ、「出来るだけペーパーテストに対する
時間を費やすことをやめた方がよい」
それが私が、今中学生の保護者の方に声を大にして言いたい本心です。

勉強が得意な子は当たり前のことながら、
苦手である子は尚更、受験勉強以外のことに、
時間を費やして、中学生にしか出来ないことをやって欲しいと強く思います。

確かに、一つの目的に向かって集中するために、
受験勉強をするというプロセスから得るものもあるでしょう。
高校卒業までは、テストに追われるために、
その日暮らしを難なくやり過ごすために、
テストの乗り越え方を受験を通して身につけるのも無駄ではありません。

けれども、大学入試もAO入試など、目先のペーパーテストに寄らないものが増え、
大学以降の生活では覚えるものから、考える試験機会が増えつつあります。
そして、日々の仕事の大半は記憶よりも、考え方を問うものばかりです。
頭で覚えるだけの記憶は、インターネットや技術で代用が可能です。

成績が上がるための術を求めていて、先の将来が明るかった時代は終わりました。
今は、答えがない明日をどうやって過去の出来事から考えていくかが問われている時代です。

学校の成績を上げるためにお金を使って、
古い考えを押し付ける塾の先生に払うならば、
これまでに世の中になかったことを広めようとする
若い才能の持ち主にお金を払って、その人の生き様を観察してください。

若い才能溢れるプロゴルファーを観てもよい、
年少でJリーグで活躍するサッカー選手を応援してもよい、
年配の指揮者と互角に演奏する若いピアニストのコンサートに出掛けてもよい、
ベンチャー企業を率いようとする20代の起業家のコンテストを観るのもよい、
とにかく本物に触れることにお金を掛けて欲しいです。

今、多くの公立の小学、中学、高校で教えられる大半は、
過去の成功事例であり、今現代に活かされるものは微々たるものです。
それはお金を払うべきものではないのだから、
それに追従してテスト成績を上げるためにお金を掛けるのは間違っている。

私は、自ら勉強が苦手な子どもに学習指導しているからこそ自責を含めて繰り返します!
社会 | 19:56 | comments(0) | - | - | - |
年賀状の効用
年賀状を出す人が年々少なくなっているそうである。
スマホの普及、SNS利用者の拡大、ハガキ・切手代金上昇要因はいろいろあるだろう。
が、根本的には手書き文化の縮小が要因となっているように感じる。

現代日本において学校生活を終えて以降、手書きで文字を書く機会は極端に減っている。
仕事でパソコンを使う職場にいる人は、手書きしなくても仕事が済む人が大半だろう。
そんな方にとっては、自分の名前を書くのは役所に用事がある時くらいではなかろうか。
(年末調整など職場で済む書類も税金手続きに絡むこと)

手書きで、自分以外の人に気持ちを伝える機会が減れば減るほど、
それを受け取る人の気持ちが、他の行為よりも意義深いものになるのではないか。
私は、年賀状を受け取りながらそんな気持ちを年々強くするようになっている。

ただし、どんなに年賀状を出す人が減っていて、受け取る数が少ないからと言って、
読み手の興味を惹かない内容を書かれたものでは意味をなさない。

難しそうな文章が綴られただけのもの、
表面に宛名シールが貼られているもの、
印刷屋、コンビニなどの定型イラストだけを裏面印刷されただけのもの、
前年こちらから住所を案内しているにも関わらず訂正されていないもの、
要するに手抜きの年賀状であるならば送らない方がマシではないか。

私は、職業柄近隣の方に印刷した年賀状を送ることが出来ないこともあり、
この数年は下手な文字で手書きで宛名を書いているが、
お一人お一人短い時間であっても、その方を思い浮かべる時間が作られる。
お元気でいらっしゃるだろうか、
そんなことを思いながら、裏面に一言コメントを添える。

ハガキをお送りすることで、出し手の気持ちが相手に届かなかったとしても、
自分自身に相手への気持ちを思いやる余裕が出来ることが、
年賀状など、ハガキによる挨拶を行う最大の価値ではないのだろうか。

世の中がギスギスすればするほど、
何かの価値を求めて自らの行動を行いがちだが、
それでは相手に伝わらないのが残念だが現実である。

日頃忙しく過ごしているからこそ、
年を超える時くらい、じっくりと腰を据えて、
来年に想いを馳せようと年賀状の習慣が続いているのではないか。
そんなことを思ってみれば、世間様が止めるから、
面倒だから年賀状を出さないという人はともかく、
年賀状の効用は案外大きいものであると、私は感じている昨今である。
社会 | 20:23 | comments(0) | - | - | - |
黒田官兵衛
今、黒田官兵衛について書かれた歴史小説を何冊か読んでいます。
何故、この人に虜になったのか、それは以下の吉川英治による「黒田如水」の一節に感銘を受けたからに他なりません。
-----
全国、どこの城にも、かならず評定の間というものはある。
けれどもその評定の間から真の大策らしい大策が生れた例は甚だ少ないようだ。
多くは形式にながれ、多くは理論にあそび、さもなければ心にもない議決におよそ雷同して、まずこの辺という頃合いを取って散会を告げる。 
 三人寄れば文殊の智というが、それは少なくとも一と一とが寄った場合のことで、零と零との会合は百人集まっても零に過ぎない。
時代の行くての見えない眼ばかりがたとえ千人寄ってみたところで次の時代を見とおすことは出来ないが、
評議となって列座すれば、誰ひとりとして、 
(それがしは、めくらである) 
 と、いう顔はしていない。 
 そのくせ信念もなければ格別の達見も持ってはいないので、ただ自己をつくろうに詭弁と口舌の才を以てすることになる。
従って、評議は物々しくばかりなって、徒らに縺れ、徒らに横道に入り、また徒らに末梢的にのみ走って、
結局、何回評議をかさねても、衆から一の真も生れず、そしていつまでも埒はあかないという所に陥ちてしまうのだった。 
-----
この作品は、吉川英治が1943年に発表した作品であり、
戦時中の雰囲気にかなり影響されている作品と思われます。
上記の引用分は、作品冒頭にあり、現代の会社組織などにも十分当てはまる指摘です。

私自身、35歳を超えて組織に属してからは会議に出る機会が増えました。
時代が右肩上がりに成長している時には、突拍子もない意見は求められず、
会議の席は出席者の意見を調整する場で終始していれば良かったでしょう。
しかしながら、世の中の変化が著しいものになると会議は意見調整の場になっては何の意味も持たなくなります。

突拍子もない意見こそ、その時代の変化を反映するものであったりするので、
そんな意見は現実的ではないと一言で否定していては、世の中に変化に追随できる結論は見出せません。

しかしながら、残念ながら多くの組織においては異論を言う少数派は疎まれるのが事実です。
そんなことは、現実的ではないと一笑に付され取り上げられないどころか、発言者の存在まで疑われたりします。
自分の命の危機が、会議の席で決せられる状態であった戦国時代のことであってもこの始末です。
ましてや、会議において命が取られることはなさそうな現代日本においては言わんやです。

しかし、私は戦国時代の豊臣秀吉を支えることとなる黒田官兵衛を描いたこの作品において、
太平洋戦争の敗色濃くなる現実が直視できていたであろう吉川英治が、
そのことをもちろん直言できない中で作品中で語らしめたのが上記の解説ではなかったのかと思わざるを得ません。

今、日本経済はバブル崩壊以降、決して成長著しいとは言えない時代が続き、
それに呼応するように、公共部門においてもなかなか改革が進まないのが現実です。

そこで、改めて織田信長、豊臣秀吉が活躍した時代に自らの武功によって地侍から出世を遂げた
軍師と呼ばれる竹中半兵衛や黒田官兵衛の活躍を眺めてみた時に、
現代日本で彼らの活躍の隙はきっとないだろうと思わざるを得ません。

2人ともに、自らが当初支えていた美濃、御着という国では決して正当な評価をなされませんでした。
というか、彼らの実力を認め、それを使いこなせる城主に恵まれていませんでした。
しかし、その戦略を発揮する能力を聞きつけた全国制覇を目論む信長・秀吉両氏に認められ、
その配下に従い軍師としての活躍を十二分に発揮することになりました。

現代の成長著しいベンチャー企業もそうですが、合議制の会議ではなく1人の優秀なイノベーターが新しいサービスを作って企業の存在価値を大きく上げていきます。

移民を受け入れようともせずに、人口減少している資源が乏しい国家が、今まであった考え方に固執して発展しないのは、
ギラギラした国家が周りに控えている現代アジアの現実を見回して自明のことです。

しかし、その胃の中の蛙である人々にとっては、そんな当たり前の現実がなかなか分からないのが残念ながら今の日本なのではないでしょうか。

私は、戦国時代の黒田官兵衛を描いた時代小説に引き寄せられた要因は、
これまでの寄らば大樹の陰であった毛利勢に属しているのも不安で、
急激に勢力を伸ばしつつある新興勢力の織田勢につくのも不安であった、
小寺家で1番若い家老であり、唯一旗印を明確にしていた彼の存在に、
現代日本を生き抜くヒントがありありと存在していることを感じたからではないかと思っています。

黒田官兵衛は、祖父の時代から目薬売りの繁栄により勃興した新興勢力であり、
古い価値観に固執していた小寺家の重臣とはそもそも考え方が合いませんでした。
しかし、そこに流れていた価値観は、彼が守る民衆のために出来るだけ血を流さない世の中を作りたいという使命でした。
だからこそ、どんな苦境に陥っても、その考え方がぶれずに、家来たちの信頼を維持し続けられたのだと思われます。

翻って、現代の政治を考えてみても、市民の生活に何が本当に必要であり、それ以外の問題には多少目を瞑るか、それが問われているように思います。

何でも出来るは、何も出来ないことと等しい。

黒田官兵衛から、学ぶべきことを学ぶための苦慮は1年以上の時間を掛けても損は無さそうです。
読書 | 20:11 | comments(0) | - | - | - |
目線を変えて物事を見ることの大切さ
一昨年、私は長男を得た。
子どもが出来た当初は決して育児に積極的に参加したとは言えないが、
徐々に子どもと過ごす日常機会は当たり前ながら増えていった。

昨年の4月には、子どもは保育園に入り、
親子2人で出かける機会も徐々に増えてきた。
車に乗り、動物園に出掛けたり、図書館、公園などに遊びに行った。

色々な場所に子連れで出掛けることによって
これまでも存在していた公共の施設について、
すでに訪れたことがある場所でも、使い手としての目線が変化した。

トイレにはオムツを替えるための設備は設置されているか、
歩くのがおぼつかない子どもが転ぶことのないよう、
路面の段差は急なものではないか、階段にスロープが低い位置にあるか、
などなど上げればキリがないが、これまで全く気が付かなかったことが気になるようになった。

これは、公共施設だけではなく飲食店などの民間企業が営む場所でも同じで、
子どもを中心に世の中を眺めてみると、決してその視点から設計されている
場所があまり多く存在していないことを考えさせられる。
逆に言えば乳飲み子を抱える親にとって、
少しだけでも子どもに対する配慮がなされている施設は
非常に有難い存在で、そのことがサービスに対する評価を大きく上げる。

身体が不自由である、障がいを抱える方、高齢の方の気持ちを簡単に感じることは、
そう簡単にはいかないが、行動が制約される親になることはそれに比べると容易である。

その時に、感じる社会への疑問こそ、
世の中を少しずつ良くするための課題を見出すための
大きなヒントになるのではないか、
そんな視点を常に持っておけば、子どもとの生活は発見に満ちている。

普段何気なく使っているものも、その目線を変えてみることの大事さを教えられている子育て始めの日々です。
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新成人の皆さんへお祝いの言葉

新年、明けましておめでとうございます。

2020年(令和2年)に20歳を迎える皆様へ、

少し先輩の社会人としてお祝いの言葉を送ります。

 

1995年当時、10%しかなかった携帯電話の普及率は、

2000年にはすでにおよそ80%に達して、

みなさんが生まれる頃には多くの人が携帯を持つようになりました。

ただし、今では普通に使われているインターネットの利用者は

まだまだ少なく多くの人はその使い方をわからない状態でした。

 

目に見える変化として、スマートフォンの普及や

インターネットを使った様々なサービスが増えてはいますが、

日本では経済規模は20年間ほどんど変わっていないといえ、

一人当たりのGDP(国内総生産)は、ほぼ同じ金額です。

一方で、中国ではこの間に20倍の数字になっています。

 

日本で長く生活していて、海外の生活に接したことがない人には

なかなか分からないことでありますが、世界から見た

日本の存在感は毎年毎年薄くなっているのが現実で、

その間に、中国をはじめとするアジアの各国は、

急激に世界に対する影響力を強めているのが現実です。

 

40年近く日本で生活をしてきた私の感覚からしても、

その時の大人に教えられる、学校での教科、社会の仕組みは、

ほとんど変わっておらず、社会の変化に十分対応できているのか、

非常に疑問が持てるのが現実です。

 

つらつらと説明してきましたが、何が言いたいのかといえば、

自分で学んでいこうとしない限り、世界の変化に

取り残されてしまうのが、私たち日本で生きる人々の現実なのです。

 

日本は、日本列島ができて以来、歴史に記録が残る縄文時代から、

常に大陸の人々に、社会を維持するルールを学びながら、

様々な発展を遂げてきました。もちろん経済的な発展も含めて。

 

決して恵まれているとは言えない自然からの恵みの中で、

いろいろな知恵を重ね、挑戦を重ねて、世界に向けて

自らの存在価値を発揮しようと頑張ってこられたのが日本人の先輩方です。

 

私は、別に世界に飛び出せとみなさんの背中を押している訳ではありません。

ただし、「今置かれている環境が十分なものである」とは決めつけないで欲しい、

そのことを願わずにはおられません。

 

日本ではすでに約3割の方が65歳以上の高齢者で、

今までの価値観にとらわれずに、どんどん勉強して、

時代の変化に合わせて、自らを変えていこうと意気込む人の割合が、

残念ながらどんどん減っているのが現実です。

 

だからこそ、あなた方これからの日本を築いていこうとする若者は、

少ない人数で、日本全体を変えていくことができるチャンスなのです。

 

先に世の中に出ている大人たちが、どんな批判をしようとも、

その人たちが経験した以上の変化を自分の背中に受けて、

世に飛び出していこうともがく、その羽ばたきを決して緩めないでほしい。

 

どんなに怒れられようとも、自分が世の中のためになると決意して、

動きだした取り組みを、他人の声によって諦めないでほしい。

 

私自身が、子どもの頃から怒られ続けながらも、

自分が信じる道を進んできたと言えるから、このメッセージを

これからの日本を作っていく新成人の方に送ります。

 

「面白きこともなき世を面白く すみなすものは心なりけり」

 

高杉晋作の辞世の句と呼ばれている一句です。

世の中を面白くないと捉えるのも、自分自身の心であるならば、

面白いと捉えることができるのも、その自分次第です。

 

「明日はきっと今日より面白くなる」そう信じて今日を生きてください。

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