黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会が減るかもしれない。
そう思ってつけたタイトルです。
ちなみに、管理人は東京都在住です。
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HAC(北海道エアシステム)の活かし方

会計士事務所主導の再生計画が議論されていますが、

どうしたって継続的な赤字であるならば、

一旦清算すべきでしょう。収益を生み出さない会社で

安全で快適な公共サービスが維持できないのは、

国鉄の失敗例で皆様懲りたでしょう・・・。


私は、同じSAAB340の飛行機を運航する

モンゴルのEznis航空と提携して、抜本的な企業理念を

変えることを提案します。

道民の足を旗頭に北海道に安住していも、

現に搭乗率が50%に満たない状況では、

スタッフのモチベーションすら向上しないはずです。


いっその事、発展途上国であるモンゴルに飛行機共々、

丁稚奉公にスタッフの人と一緒に出向くくらいの、

変化が必要なのではないでしょうか。


ちなみに、Eznis航空は、ANAと提携しています。

いっそのこと、JALとの関係も希薄化しているため、

ANAさんを仲立ちにしてみるもの面白いかもしれません。


私は、北海道にわずか一ヶ月の滞在期間でしたが、

函館から旭川まで車で往来しました。

結果感じたのは、一般的な飛行機利用者の少なさです。

お金に余裕がない道民が圧倒的に多く、遠路でも車で移動します。


その考え方を簡単に変化させるのは容易ではありません。

だからこそ、長年に渡って、北海道道内の民間航空会社は、

継続的に事業に行き詰まりを見せているのだと思います。

それを今更小手先に改革しようと意気込んだところで、

時間が解決するわけもありません。


会社の営業範囲は限られているかもしれませんが、

飛行機が飛べる空は限られていません。

スカイマークが、反対轟々されながらも、非効率路線から

即座に撤退を繰り返して、

現在は他社と比較しても高収益企業であることを

今一度関係者の方には肝に銘じてほしいものだと切に願います。


JUGEMテーマ:マーケティング

航空 | 07:56 | comments(0) | - | - | ログピに投稿する |
筑紫の磐井 田中博著より。
磐井は遅蒔きながら人心の掌握の大事さに気づこうとしていた。
言えることは、彼らがこの国に住まうことを幸せと思うかどうかの一点にかかっている。
この国に生まれれば、命が守られ、充分な食べ物にありつくことができる。
この国に住めば、不自由なく暮らせるための田畑と雨露をしのぐ家とが保証される。
そのためには働かねばならぬ。働いてもらわねばならぬ。
しかし、働こうにも働く仕事がなければどうなるか。
その仕事を与えるのが、国造の手腕ではなかろうか。
読書 | 22:42 | comments(0) | - | - | ログピに投稿する |
油屋熊八モチーフの小説「別府華ホテル」佐和みずえ著 読了。
油屋熊八について、つぶやいていたらあまり知られていない人
との反応でしたので、氏の紹介を含めて、
ノンフィクションよりもよっぼど興味が持てそうなこの一冊をご紹介いたします。

まずは、この著のあとがきにある油屋熊八氏の生涯から。
1863年 現在の愛媛県宇和島市に米問屋の長男として生まれる。
1870年 平民に苗字が許され、熊八の家は「油屋」を姓にする。
1876年 小学校を卒業し、父のもとで米の商売を習いはじめる。
1890年 宇和島郡三崎町の町会議員になる。
 この年は日本全国に不況の嵐が吹き荒れ、熊八は米の相場師になるため、
 一念発起して大阪に出る
1897年 株相場で失敗、大損失を受ける。
 妻を残して、渡米を決意。ときに三十五歳。
 当地でキリスト教の教義に感銘を受け、洗礼を受ける。
1900年 三年間のアメリカ生活を終え、帰国して再び大阪に居を構える。
1912年 明治天皇が崩御し、株価が変動する。
 熊八は株相場にみきりをつけ、妻ユキのいる別府に赴く。熊八四十九歳。
1913年 それまで妻が営んでいた亀の井別館を引き継ぎ、経営に専念する。
1918年 第一次世界大戦が終結し、観光ブームが興る。
 熊八は親しくなった宇都宮則綱、梅田凡平らとともに、別府宣伝に力を注ぐ。
1924年 別府町に市制が施行され、別府市となる。
 同年、熊八は亀の井ホテルを洋式ホテルとして新築オープンする。
 また東京駅に別府の全景を描いた油絵を飾る。
1925年 富士山頂に別府宣伝の看板を立てる。
1927年 ホテルの自動車部に大型バスを導入して、ガイド嬢を考案する。
1928年 アメリカから世界日曜学校大会(キリスト教の世界大会)に
 出席を依頼され、熊八の代理で梅田凡平が渡米する。
1929年 別府、阿蘇、熊本、雲仙、長崎を結ぶ
 「九州国際遊覧幹線道路開発期成会」が発足。
 これは太平洋戦争によって即実現とはならなかったが、三十五年後に開通した
 「九州横断道路」の原型となった。
 同年、アメリカのロサンゼルスで開催された世界ホテル業者大会に出席。
1931年 熊八らの提唱で「別府温泉祭り」が始まる。
 同年、「全国大掌大会」を開催する。参加者を往復旅費付きで別府に招待した
 (熊八は第二十位だった)。同年、奥別府の志高湖、城島高原、飯田高原を
 視察し、同地の開発を市長に提言する。
1933年 志高湖畔に大分県最初のキャンプ村が開設される。
 同年、ドイツ製水上飛行艇を導入して、遊覧飛行を始める。
1935年 三月二十四日、脳溢血で斃れる。二十七日永眠。享年七十三歳。
1941年 太平洋戦争が勃発し、第二次世界大戦に拡大する。
 この年以後、昭和二十年の終戦まで、別府観光の灯りが消える。
1953年 かねてより計画されていた油屋記念公園が完成。

と、簡単な略歴を見ただけでも小説になりそうな人だとお感じでしょう。
そして、現に大分では、油屋熊八をドラマ化にしようとする動きがあるそうです。

この著書は、タイトルとおり、熊八氏が亀の井ホテルの運営に関わり、
様々なアイデアを実践していく事で、別府を観光の町にしていくことが、
小説の中心となっています。
今も多くの観光客を国内外から集めている別府や湯布院、
その発展に、油屋熊八氏がいかなる貢献をしたか、この小説を読めば概観できます。

とくに破天荒なエピソードを本文中からご紹介(以下引用)。
熊八郎というのが、熊八氏の小説中の名前です。
華乃というのは、小説中熊八氏の娘です。辰子というのは妻です。
徳平というのは、凡平氏のことだと思います。
------------
「よし、俺は出る。そして当選するぞ。こン別府の名前を富士山より高く宣伝しちゃる」
いつの間にか熊八郎の目尻は吊り上がっている。
いつもの血色の良い顔が、さらに真っ赤に上気していた。
このところ娘にお株を取られっぱなしで
少し影の薄くなりかけていた熊八郎だが、選挙ばかりは華乃にはできないことだった。
女性にはまだ参政権がなかったからだ。
「それじゃ、熊さん、決まりじゃの」
「うむ。辰子、華乃もいいな、俺は市会議員に立候補する。
当分、ホテルのことは、おまえたちに任せるぞ」

「はい」
辰子と華乃は神妙にうなずいた。
うなずきながら、華乃の頭はまた別のことも考えていた。
熊八郎が別府を富士山よりも高く宣伝する言った言葉に閃くものがあった。
富士山は日本を代表する山である。
この富士山と別府の名前を並べてはどうだろう。
「山は富士、湯は別府・・・・・」
華乃が言葉を探しながら言いかけると、
「おっと、それでは語呂が悪い。山の次は海じゃ、海」
と、熊八郎が娘の頭の中を読んだように応じた。
「山は富士、海は・・・海は瀬戸内、湯は別府」
「それじゃ!」
華乃と熊八郎は思わず両手を打ち合わせた。

(中略)

その夜、熊八郎と徳平は珍無類とも言える道中を、身振り手振りを交えて語った。

二人は大阪で下船した後、東海道線に乗って富士山に向かった。
富士山頂に例のキャッチフレーズを書いた看板を立てるためだったが、
その際、富士山頂にひと握りの土地を購入し、そこに看板を立てた。

この看板が登山客の間で評判になり、地元の新聞に報道されると、
二人は一週間の旅行予定を急遽変更し、全国各地の名勝地を徒歩で巡ることにした。
同じ看板を立てるためである。
伊豆、箱根、日光。ここぞと思う駅で汽車を降りて看板作戦を展開し、
秋田県の十和田湖畔にまで至った。
そこでUターンすると、帰りは新潟から日本海を見ながら京都に出て、
出発点の大阪から乗船して別府に帰ってきたのだった。

「文句を言う人はいなかったの?」
一部始終を聞いて、華乃と辰子はあきれ返った。
「文句どころか、わしらが別府宣伝隊じゃち言うと、
みんな面白がって集まってくれた、なあ、徳さん」
「ああ、どこでン好きなとこに看板を立てていいち言うてくれたひとまである」
看板を立てていて、通りかかった警官に挙動不審者として怪しまれ、
署に引かれて尋問を受けたこともあれば、旅館の主人に招かれて、
話を乞われたこともあった。
ある町では詐欺師に間違われ、半鐘まで鳴らされたという。
「じゃが、誤解じゃちわかると、みんな親切にしてくれた」

「それもこれも『山は富士、海は瀬戸内、湯は別府』がよかったんじゃ。これを見ちくれ」
徳平が持ち帰った静岡の地元紙を拡げた。
そこには富士山頂に看板を立てる熊八郎と徳平の写真が掲げられていた。
別府の温泉マークを染め抜いた羽織を着た二人を、
リュックサック姿の登山客が取り巻いている。看板にはあのキャッチフレーズ。
静岡ばかりではない。はるばる別府から温泉の宣伝にやってきたというので、
どの町でも新聞記者が興味を持って記事に仕立て、それだけでも大変な成果であった。
「これで別府は富士山と並ぶ日本一の観光地じゃ!」
と、旅の疲れもなんのその、二人は気炎を上げた。

------------
現在、マスメディアを使ったリリースによって、
商品を告知する手法はかなり一般的ですが、それによって町を売り込む方法を
全国的に展開した人はほとんどいなかった時代、熊八氏の行動は興味深いものです。

お金がないなら、知恵を出せ。
たくさんの経営書にも当たり前に書かれていることかと思いますが、
行動するには、たくさんのメンツをつぶさないといけないものがあります。
何が大切な事で、何が不要なメンツなのか、
それがしっかりと認識できていなければ、人々も行動を賞讃してくれません。
とっても勉強になったマーケッティングの教科書でした。
この著書もあまり知られていないようなので、ぜひとも手とってみてください。

JUGEMテーマ:マーケティング
評価:
佐和 みずえ
石風社
¥ 1,575
(2006-11)
コメント:歴史、ビジネス、案外結びつくものです。昭和の初期まで破天荒な人が多かったからこそ、日本は面白かったのでしょうね。

読書 | 12:07 | comments(0) | - | - | ログピに投稿する |
「山田方谷 雑感」樋口公啓氏 平成24年度孔子祭記念講演

本日、4月22日湯島聖堂にて、孔子祭の記念事業として、

公益財団法人斯文会主催の記念講演会が開催されました。

講師は、山田方谷研究者で、元東京海上火災保険(株)社長の樋口公啓氏でした。

講演内容は、以下の通りです。

1.山田方谷とは

2.藩政改革

3.思想の遍歴

4.方谷の臨終

5.河井継之助の臨終

6.西郷隆盛の場合

7.乃木希典の場合

8.方谷の死生観


聴講者の大半が、斯文会の会員でいらっしゃることもあり、

山田方谷については一定の知識をお持ちだろうという前提のもと、

山田方谷氏の生涯についての解説の後に、

彼の思想、朱子学、陽明学、仏教、道教等々について時系列に解説されました。

そして、仏式で行われた葬儀について、枕元におかれた

元藩主からの賜り物と、王陽明全集について触れられました。


続いて、陽明学徒とされる、河井継之助、西郷隆盛、乃木希典、

そして、三島由紀夫についてもその最期と陽明学について、

解説を行っていただきました。


その流れにひきつづき、山田方谷の最期について、

彼の十字架の一つである、

彼が対新政府行為についての責任を熊田恰取らせた事にふれ、

前述の4者との差異を含めて解説されました。


ここの講演内容については、樋口氏の著書

「山田方谷の思想と藩政改革」に詳しく解説されているので、

省略するとして、まとめとして、今、山田方谷が注目される

要因を触れられていました。


山田方谷は、その政治手法としては、王陽明が行った事を、

その自体に即して実践しただけかもしれないが、

その改革の本質を突き、義を追求し、自ら率先して

実践していったからこそ、彼は上杉鷹山が行った改革を

上回る、大きな改革を達成する事が、

できたのではないかとまとめていらっしゃいました。


また、今の時代、混迷の政治経済の時代環境の中で、

多くの経済人や社会的リーダー達が山田方谷に対して、

関心を持つ人々が増加している要因は、

現在の時代が彼のような人材を求めているからであると、

新聞社のインタビューに回答されていたとお話しされていました。


命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困ります。

そういったとされる西郷隆盛の優れた人物の正反対をいくような、

現代の政治家が国を導いていく事は難しいと指摘されていました。


山田氏の指摘は、大変、耳に突き刺さるものがあり、

自らも、お天道様に恥じない行為をつらなくてはならないと、

考えさせられた非常に意義深い講演でありました。


陽明学徒であった有力者として、

華々しくも多くの人を巻き込む最期を遂げた、

河井、西郷、乃木、三島由紀夫と、

寿命を全うした、山田方谷との異なりという側面から、

様々な示唆をいただきました。


本日の講演をもとに、改めて樋口氏の指摘を再構築し、

自らの社会人生活およびセカンドライフの構想作成に

活用させていただきたいと考えています。

山田方谷氏の指摘は150年経っても有効な事がよいかどうかは

この際触れない事にして、非常に有意義なことだと思います。

だからこそ、多くの人々に知ってもらうためのお知恵を拝借できたら幸いです。


JUGEMテーマ:政治家

評価:
樋口 公啓
明徳出版社
¥ 3,150
(2011-02)
コメント:ビジョナリーカンパニーも引用されています。まったく歴史研究書としては異文化の一冊です。

山田方谷 | 22:53 | comments(0) | - | - | ログピに投稿する |
人間的魅力の研究 伊藤肇著 日経ビジネス人文庫 読了
前日読了の「現代の帝王学」の内容と重なる部分は多いですが、
より濃縮され、なおかつ伊藤さんの関心をもつエッセンスがより含まれ、
参考書などの表記も多いように感じました。

これから、人生を灯すロウソクとなるような書籍を探したいと考えている、
若いビジネスパーソンにはとっておきの本と言えるのかもしれません。

私は、中国の歴史書にはほとんど知識を持ち得ませんが、
満州国立建国大学に学んだ伊藤さんの文章は、
たくさんの中国の故事が登場し、そのわかりやすい解説からも、
思わず原典にあたってみたくなる魅力を得られます。

加えて、書に触れることの大切さも随所に触れられています。
そんな一つの例として、以下本文から引用します。
---------
もともと、一冊の本には毒がある。
それから悲しみがある。もし、そういった毒も悲しみも見落としてしまうような
読み方なら、はじめから読まぬほうがましだろう、
高橋和己自身、それを次のように説明している。
「強い反発を覚えながら、反発させるものが同時に魅力となって、
いつしか生涯の伴侶になるという関係が、生身の人間関係だけでなく、
人と書物との間にもあり得る。
いや、むしろ、反発させ、苛立たせ、叱責し、睨みすえるような
迫力を持たない書物は、一時、それに溺れることはあっても、
年輪のふくらみとともに意外に無縁なものとなってしまっていることが少なくない。
書物との関係も一方的なものではなく、やはり相互的なものではあるまいか。
そして、この強い愛情共存のうちに、
いつしか、『論語』が『私の古典』となっていった。」
---------

実に味わい深い文章です。
私も、やっと最近読書の楽しみを覚えつつありますが、
まだまだ数から質の転換に達し得ていない状態です。
しかしながら、同じ本でも読むタイミングによって、
趣がことなってくるのは、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を三度読了し、
感じ得たところでもあります。

伊藤さんの文章は厳しい中にも温かさがある。だからこそ、
長い時間をかけても、多くの社会人の人々に愛されているように感じます。
JUGEMテーマ:ノンフィクション
評価:
伊藤 肇
日本経済新聞社
---
(2000-11-07)
コメント:社会人で何かしらの壁にぶつかった方には、とっておきのバイブルになると思います。

伊藤肇 | 11:05 | comments(0) | - | - | ログピに投稿する |
現代の帝王学 伊藤肇著 プレジデント社 読了

まず、自らで選んだ本ではありません。

師から紹介されなければ手にすらしなかったタイトルのジャンルです。


所謂、成功本として手に取ろうとするならば、止めるべきです。

しかし、この書にはたくさんの箴言や世の名を残している人々の

エピソードが裏表から綴られております。

人間を知るに大変興味深い本であると痛感しました。


私は、本について書く場合、一つの内容を取り上げるのですが、

この本からは得るべきポイントが多すぎて絞り込めません。

帝王学として以下三つの章立てから書かれております。


第一章.原理原則を教えてもらう師をもつこと

第二章.直言してくれる側近をもつこと

第三章.よき幕賓をもつこと

この中でもかなりの割合を、師について書かれていますので、

その中から一つだけ紹介します。

以下、孔子と道元にみる教育の原理の項目から引用。

----------------

『随聞記』には、曖昧な表現は一つもない。常に断定である。

「主人いわく『霧の中を行けば、覚えざるに衣しめる』と。

よき人に近づけば、覚えざるによき人となるなり」とか

「君子の力、牛に勝れりといえども牛とあらそわず。

われ法を知れり、かれに勝れたりと思うとも、

論じて人を掠め難ずべからず。

もし、真実に学道の人ありて法を問わば、法を惜しむべからず。

ために開示すべし、しかれども、三度、問われて一度答うべし。

多言閑語することなかれ」

とか、どの章もビリッとわさびがきいていて、快刀乱麻を断つ鋭さである。

近ごろの学者が書くような「ああでもない」「こうも思われる」

というような、要するにどうでもいいような文章とは違って、

一言一句が肺腑を抉り、心懐に徹する。

さらに「・・・・・・また、身を惜しまずして

『百尺の竿頭に上りて、手足を放って一歩進めよ』というときは。

『命あってこそ仏道も学すべけれ』といいて、真実に知識に随順せさるなり。

よくよく思量すべきなり」

<師から「百尺の竿頭に上って手を放せ」といわれたときに

「命あってのものだねですよ。手を放したら落ちて死ぬじゃありませんか。

死んだら、仏道も何もないでしょう」といって師のいうところに随われない。

そういうところが仏法のわからないものだ>ときめつけている。

師はあやふやなことは一切いえない。弟子からきかれたら、

「これはこうだ」と明確に裁断しなくてはならない。

そのためには「決定」が必要となってくる。

仏法における原理原則を身につけ、一番最後のところで開き直ったものを

もっていなくてはならないのだ。

それがないと、この道元のような発言は絶対にできないのである。

----------------


上記は、原理原則を教えてる師についての文面ですが、

二十年以上にわたって多くの人々に読まれているこの著書は、

人間の行動について、原理原則について、数多くの事例に触れながら、

明確な解説がなされているので、トップを目指さない人間にとっても、

大変に有意義に読み進める事ができました。

そして、思わず感動に涙を流してしまう事もちらほらでした。


一冊の優れた書物に出会い、それを繰り返し読んでいける事は

幸せなことであるといった箴言が登場しますが、

まさにそういった一冊の書物であるように思います。

これからも、何らかの人生の転機で手に取ってみたいと思います。

きっとまた違った得るものを見いだせると思います。

JUGEMテーマ:ノンフィクション

評価:
伊藤 肇
プレジデント社
¥ 1,890
(1998-10)
コメント:長い間多くの人に読まれているだけの哲学深い一冊です。

伊藤肇 | 12:07 | comments(0) | - | - | ログピに投稿する |
江藤新平-増訂版- 毛利敏彦著(中公新書)読了

江藤新平、佐賀の乱で死刑になった人でしょ?

そんな認識の方は、まず一読してください。はっきりいいます。レッテルです。


同著で、私が江藤の行動にもっとも関心を持ったのは自治に関する施策です。

以下第一章から引用です。

------

さらに、江藤は、民政全般にわたる開明的な近代化政策を立案した。

佐賀大学教授杉谷昭氏によって学界に紹介された「民政仕組書」には、

「村仕組」「村寄合規則」「町仕組」「町組合規則」「市令郡令職制」

「郡政規則」「商社の大意」「工社の事」「陶器仕組の事」「繁昌の仕組」

「飛脚屋の仕組」「証印税の仕組」の十二項目にわたる詳細な腹案乃至計画と、

「貧院の事」「老幼院の事」「病院の事」「学校の事」の四項目が挙げられている。


まず、「村仕組」の冒頭で、「一町一村の仕組みが行き届かざれば、

闔国(こうこく)の民事整わず候。民事整わざれば、四民安堵の基本立たず候」

と宣言されている。ここでの「一町一村の仕組み」とは、

町村毎の住民自治組織を指すから、

江藤によれば、住民自治こそ「四民安堵」の基本だったわけである。

------


上記は、一度東京にて活躍した後に、佐賀に呼び戻され、

明治維新下で、藩が亡くなる過程で「県」としての政治体制に

移行する際に、江藤が活躍して政治システムが形成される初期段階の施策です。


それから、140年が経過した日本においても、未だに住民自治のあるべき姿が

模索されている今日この頃、果たして江藤新平に及ぶべき政治家が、

どの程度存在するのかと、大変考えさせられたトピックであり、

まさに明治維新に江藤という人が居た事の奇跡を考えさせられました。


私は、彼が生まれ育った佐賀(鍋島藩)の隣に位置する久留米藩(有馬)の

地域の出身ですが、江藤新平が明治の世の中に、貢献した事実については、

ほとんど知識を持っていませんでした。

しかしながら、まず、この毛利敏彦さんの新書一冊を読むだけでも、

どれだけ現在日本の仕組みづくりに貢献した人であるかを知るには十分でした。


もう少し、江藤が奮迅して形作った「この国のかたち」について考えながら、

今を生きていることの課題について考えていけたらと思った好著でした。

JUGEMテーマ:政治家

評価:
毛利 敏彦
中央公論社
¥ 798
(1987-05)
コメント:副題の悲劇を書いている本ではありませんので、あくまでも彼が今の日本に如何に貢献しているか、それを知るための本です。

江藤新平 | 00:33 | comments(0) | - | - | ログピに投稿する |
由美香・流れ者図鑑・白 THE WHITE 平野監督北海道自転車3部作 鑑賞

ポレポレ東中野にて、オールナイトしてきました。

監督失格』 × ポレポレ東中野企画【性と死と旅】の第二夜の上映です。


前週、「監督失格」を見て、大胆かつ繊細な、感傷的かつ客観的な

平野勝之監督をさらに見たいと思い足を運んでみました。


最初の作品は「由美香」です。

そう監督失格でも主人公となる林由美香さんから付けられたタイトルです。

この映画は平野監督と由美香さん二人で東京から礼文島まで、

自転車旅道中の「エンターテイメント作品」です。


当時不倫関係にあった二人ですが、ドロドロ感は全くなく、

初々しくも、ちょっと複雑な恋愛関係といったところでしょうか。


最初は、平野監督一人で出かけるつもりだった自転車旅行に、

由美香さんが突然同行することになります。


それまで、ほとんど運動していなかった由美香さん、そして精神的にも

そんなにタフでなかった彼女は、旅の始まりから、

自転車を漕いでは涙を流し、ストレスを溜めては酒で散らす。

そんな日々の積み重ねではありながら、1000キロ超を投げ出すことなく、

日本最北の地まで自分の力で到達します。(仙台から苫小牧はフェリーです。)


一方の平野監督は、由美香さんを長く片思いで想い続け、

6年後、久しぶりの再会で付き合うことになり、

思わず溢れる笑みの中、万端の準備で、同僚に見送られ新宿を出発します。


由美香さんは、劇中でも語っていますが、それまで数ヶ月以上、

彼氏と続いたことがなく、どうしても相手のことを想えなくなってしまう。

一方、平野監督は奥さんが既にいることもあり、女性に対しては

熱くなる部分もありつつ、冷静に受け止める度量もある。

そんな大人の恋愛が色濃く表現されている作品でした。


もちろん、この作品自体が、AVの企画という側面もあるため、

たくさんのSEXシーンがあります。

そのシーンの変遷だけ見ても、きちんと二人の関係が見えてきて、

何か複雑な想いを観客に与えるものがありました。


しかし、作品を通して、クスって笑えるところが多々あるのは、

仕事仲間としての信頼関係ができている二人ならではなのかもしれません。


道中で偶然出会う、旅人、トラック運転手、船乗り、

そんな周囲の登場人物も、作品のスパイスになっていて、

思わず旅に出たくなる、そんな作品でもありました。


私が見終わった際に感じたのは、

社会は複雑なんだけれど、たまにはそんな呪縛を解き放って、

自然に身を任せてみるべきなのかも、

って放浪者男子風な感想を持ちました。

こんなだから所帯持てないのかな(笑)



次の作品は、「流れ者図鑑」です。

由美香さんと、礼文島への旅の後「終わった」心を切り替えるべくなのか、

平野監督は、演劇をやっていたことがあり、

まだまだ慣れない映像の作り手である松梨智子さんとともに、

再び北海道に自転車でAV撮影旅行に出かけます。


AV監督としてのデビュー作は、林由美香さんで、まさにプロフェッショナルと

仕事をしてきた平野監督は、その分野の全くの素人である松梨さんと、

仕事をすることに覚悟はしていたと思いますが、

やはりその難しさは、大きいものであったと全シーンで感じる作品です。


一方、松梨さんも平野監督に弟子入りというよりも、女性として好かれたい

という意識が強かったのか、自分の感情を脇におき、

必死にいい女になろうと務めるのですが、どこか空回りして、

そのもどかしさが最後にはどんどん痛々しくなってくる。


端的に言えば、間違いなく重い映画です。「由美香」とは違い、

ほとんど笑えない。ただただしーんとした映画館の雰囲気でした。


平野監督は、当初は目的地すら決めていなったのですが、

結果的に同じ目的地に達したということは、やはり由美香さんの影が

大きすぎるものだったことが、旅の混迷の主因なんだと感じました。


もちろん、この作品には非難囂々なのかもしれません。

しかしながら、松梨智子さんはその後多くの映画作品を世に出し、

役者としても活躍されながらも、負の側面から活動を休止されたことは、

もしかしたらこの作品から流れが始まるのかもしれません。

http://www32.ocn.ne.jp/~bake/robakun_index.html


やはりそこは平野監督は、松梨さんに情が移った瞬間もありましたが、

仕事人としては冷徹であったと言えるかもしれません。

それが、北海道を自転車で旅する最中でありつつ、

AVという本職の制作であったことも、

二人のイライラの要因であったことはまぎれもない事実でしょう。


しかし、この作品は、よい意味でドキュメンタリーなんだよなと、

ふと思ったりもしました。監督がカメラが壊れて、道路に叩き付けるシーンがある

映画なんて、どれだけ存在するでしょうか。

作品の主役に向かって回し蹴りをしつつ、制作意図を裏表から演者に伝える

映像作品はそう多くないと思います。

そういう面からだけでも、価値ある作品だと私は感じました。

うん。ドキュメンタリーの大御所、安岡卓治氏がプロデューサーであることも納得です。


私がドキュメンタリー映画が好きなのは、

観客に何か疑問を与えるものであることです。

まさに、この作品はその代表例であるのかもしれません。



最後の作品は、「白 THE WHITE」です。

平野監督は、実家のある静岡県の浜松市から北海道の礼文島まで、

2000キロ超をひたすら自転車で一人で走破するドキュメンタリーです。


導入部分には、平野監督の奥さんがその準備風景とともに、

ナレーションを行っていますが、あとは、監督の言葉がたまに入るだけ。

ただひたすらペダルを漕ぐ男の映画です。

冬山装備で、東京の自宅にも立ち寄らず北を目指すのですが、

仙台でなんと盲腸になり、手術、入院を余儀なくされます。


ドクターストップ、周囲の警告にも関わらず、驚異的な体調回復と

強い目的意識のもとに、再び北を目指します。

「由美香」では仙台からフェリーに乗りますが、この作品では、

さらに東北の太平洋岸を北上します。


東北地方太平洋沖地震による津波によって壊滅的な被害を受けた

田老町などの場所が次々に登場します。

そのリアス式海岸の道のりはひたすらに山道であり、

人影、車の通行もまばらな中を、雪の中ただ北へ向かう。


そして、北海道に入ってからは、記録的な豪雪の中を、

民家の庭先にテントを張り、飼い犬と戯れる監督は、どこか可愛い。

休憩先の旅館で出会った従業員の女性スタッフに恋をしてしまうのも、

その彼女をイラストにする監督も、ふいに観客の笑顔を誘ってくれます。


そして、道北を疾走するラストは、ただひたすらに吹雪舞うなかを、

自然の音だけで、たしかに何も語るものの必要ないシーンでした。

(オールナイトの最後でちょっと試される大地でした・・・。)


うん、感想はまさに「男の映画」でした。



同じ目的地(礼文島)、同じ撮影方法(自転車に乗りながら撮る)

だけれども、その作られる前の想いも、その行程も全く異なり、

見るものに与えるものも喜怒哀楽大きく括っても全く異なる。

まさに、ドキュメンタリーの醍醐味だなと思ったオールナイトでした。


これらの作品には、たくさんの旅人が登場します。

彼らは、自転車だったり徒歩だったり、バイクだったりで旅をします。

しかし、私たちも、もちろん人生という旅の途中にあるわけで、

目に見える彼ら彼女らに憧れる感覚はどこかしらにあるのではないでしょうか。


「由美香」の途中で、平野監督が、AVを撮ることが目的な自らを省みて、

すべてを投げ出して彼らのように旅をしてみたいと語る場面があります。

私も、そんな瞬間は多々存在しました。

けれども、実際には彼ら旅人も投げ出せない何かがあるからこそ、

どこかしらの目的地を目指し続ける訳で・・・。


うん、でも旅に出たいね。

JUGEMテーマ:ノンフィクション

評価:
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マクザム
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(2006-12-22)
コメント:大人の恋をしている人には見ていただきたい、そんな印象です。

映画 | 10:09 | comments(0) | - | - | ログピに投稿する |
桃まつり 壱のすき 鑑賞。
桃まつり、渋谷ユーロスペースにて開催中のプチ映画祭です。
http://www.momomatsuri.com/
企画紹介はパンフレットより。
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「桃まつりは、自ら映画を製作• 配給•宣伝する、
女性監督たちの集まりです。
2006年の初夏に映画美学校卒業生有志の
女性たちにより発足しました。
現在は映画学校に限らず毎年メンバーを募り、
一つのテーマに沿って短編を自主製作し、
各地で上映しています。
一年の充電期間を経て、2012年再始動。
今年で4回目の開催となります。」

桃まつりの目指すところは、大きく3つあります。
(内容は省略)
届けたい映画を撮り、自ら上映の場を作り出していくこと。
女性監督による才能のショーケース
東京以外の場所での映画づくり
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素敵な試みですね。
私はこの春初めてこの企画を知りました。

今日は以下三つの作品を鑑賞しました。
「帰り道」竹本直美監督
「フィガロの告白」天野千尋監督
「the place named」小森はるか監督

作品個別の感想は、これから見られる方のために触れずにおきますが、
それぞれにテーマとか、震災とか、様々なものを
背景に作品制作がなされていて、
いろいろな感情を与えてくれる作品になっていました。

普段、スクリーンにて目にする作品は、
多くが著名な監督によって制作されたり、
多数の実績をもつ専門企業によってサポートされていたりします。

けれども、桃まつりで上映される作品はほとんどが、
監督と監督に近い人々で仕上げられているものです。
もちろん、たくさんの映画館で上映される作品と異なり、
いろんな批判すべき点もあるけれども、愛すべき点もたくさんあります。

そんな女性監督の作品に触れてみてはいかがでしょうか
今年のテーマ「すき」ですが、
私が今日鑑賞した三作品だけとっても、その表現は多様なもの。
きっとほかの六作品も違った「すき」が表現されているはず。
とっても楽しみです。
映画 | 23:42 | comments(0) | - | - | ログピに投稿する |
マーガレット・サッチャー 鉄の女 鑑賞
彼女は、市長でありながら、食料雑貨商のお父さんの下に生まれた。
幼い頃から、父の方針で、
他人様の動向に合わせることを強く諌められる。
女らしい教育を受けることなく、オックスフォードに進み、
男に伍して政治の道を志すことになる。
初めの下院議員選挙に敗れるも、その機会に、生涯の伴侶と出会う。

そんなストーリーから始まるのが、この作品です。

私は、彼女の名前と大衆一般的な功績を知る程度で
深くその足跡の深くを知りません。
だからこの映画で当時するストーリーだけが、
現在の彼女の評価材料です。

この映画は、
彼女の政治的な功罪にスポットを当てつつ、
家族からの目線を中心にストーリーを描いています。

物価など一般庶民の感覚を共有しつつも、
家庭を蔑ろにしていることに家族に非難され、
改革を強行することを国民や同僚政治家からも快く思われない、
そんな女性であり、
引退後も絶えずそのプレッシャーに苛まれ続けたという。

それは、多くの人に知られている事実でしょう。
そこにあったのは、信頼する夫の存在と、
世の中の人々のために政治があるべきだと考え続けた
父の行動がこの映画の軸かもしれません。
以下は、父の言葉について、サッチャーが語る言葉です。
「考えが言葉になり言葉は行動となる。
それはやがて習慣になってその人の人格を作る。
そして人格はその人の運命となる。

考えが人を創るのよ。」
彼女は、まさにこの言葉を信じ、国民のために、
自らが何をすべきかに政治生命を貫いた人であったようです。

まだまだサッチャー氏には知らないことだらけ。
少しだけ書籍に当たってみたいと思います。
自らの政治生命にしか汲々としていない
日本の政治家を考えるためにも。
映画 | 20:23 | comments(0) | - | - | ログピに投稿する |

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