評価:
![]() 木村 栄文 朝日新聞社 --- (1997-05) コメント:こんなメディア人が存在したことだけでも知ってほしい。 |
オーディトリウム渋谷にて2月11日から開催されている、
公開講座 木村栄文レトロスペクティブに行き始めて、
三週目にして、やっと9プログラム12作品を見終えました。
加えて、今回公開されていない作品を2作品横浜の
放送ライブラリーに鑑賞してきました。
福岡県に産まれ育って、飛行機が好きな私の独断ですが、
その中では、「飛べやオガチ」が一番お気に入りの番組でした。
放送されたのは1970年ですが、実際に撮影されたのは、
1960年代後半が中心となっているため、
まだまだ日本が高度成長の真っ最中であった時代です。
第二次世界大戦まで1000人もの工員をかかえる前田航研という
福岡の航空機生産会社の社長である前田建一氏が主人公です。
彼は、終戦後占領下で、会社の飛行機をすべて失い、
趣味でもあったグライダーを触ることができない事態である、
民間航空研究すら禁止されていた時代を乗り越えて、
1960年代を高校講師として、生徒と人力飛行機制作に没頭します。
航空工学を指導する講師でありながら、飛行機製作が佳境にさしかかると、
仕事を放って、自宅隣にある製作所にはりつき、寝食を忘れ、
高校生のケツをたたいて、飛行機作りに没頭しました。
息子は冷たい目で見、同僚にはあきれられつつ、
前田さんが飛行機を作るときの目はいつもキラキラ輝いていました。
作業開始から三年をかけて、ついに飛行機が完成し、
競輪選手をパイロットとして、飛行に挑戦します。
しかしながら、事前に生徒に発破をかけていた、
「俺の設計図通りに作れば必ず飛ぶ。」
その言葉は幻となり、一号機が宙を舞うことはありませんでした。
その後も、チャレンジは続きますが、これから先は、
本作品をこれから見る方のために書きません。
このチャレンジの失敗後、前田さんと一緒に人力飛行機作りに没頭した、
第一世代の高校生たちは、社会人として福岡を離れていきます。
彼らは、その後帰省していましたが、三菱重工の社員になっていました。
仮に、1968年の18歳とすれば、今62歳になられるはずです。
現在、三菱航空機という三菱重工発の会社がMRJの生産を開始し、
間もなくYS-11以来、純国産機が日本の空を舞うことになります。
憶測でしかありませんが、前田さんの遺伝子が、そこにあるとすれば、
小さな失敗が、大きな憧れになり、現実になったと言えないでしょうか。
前田さんが挑戦を開始した1960年代、
人力飛行機で世界記録は100m以下の飛行距離だったそうです。
当時、前田さんはこの世界記録を大きく塗り替えようと励んでいました。
ちなみにその後の、前田さんと福岡第一高校の記録はこちらを参照ください。
http://www.fsinet.or.jp/~active-g/ogatismox.pdf
そのまた前の前田さんが飛行機にはまるきっかけになったグライダー作り。
この詳細データについても、西日本航空協会(現九州航空宇宙協会)の
ウェブサイトに掲載されていました。
http://www.geocities.jp/wjp_glider/what/index.htm
この番組での前田さんは、病を抱え、歩くこともかなり苦しい状態にありながら、
飛行機を見つめる目は、常に少年のように爛々としていて、
飛行場では、病人とはとても思えない状態で飛行機に寄り添って走っていました。
高度経済成長期は、過去の話のことだと批判するのは簡単ですが、
こんなに目が爛々としている10代の子供に負けない60代が、
今日本にどれだけ存在しているでしょうか。
これだけでも、非常に羨ましく感じて、
自分自身もそうありたいものだと強く思いました。
栄文さんの作品には、女性を描いたもの、男性を描いたもの、
どちらも多数存在しています。
だからこそ、見る人によって好きな作品が異なるはずです。
何しろ、その表現方法も作品によって全く異なっていますから。
けれども、どの作品も、放送されてから長い年月が経っていても、
通用する普遍性が盛り込まれていて、飛べやオガチでも、
放送後40年を超えても、ワクワクを私たちに伝えるのに十分なのです。
こんな映像の作り手に出会えてよかったとともに、
前田のおじいさんに画面を通して出会えたことに非常に幸せを感じます。
飛べやオガチについて素敵なブログを発見したので、思わずご紹介。
http://plaza.rakuten.co.jp/kajiya/diary/200807030000/
レトロスペクティブに行き、テレビ番組11作品を鑑賞し、
著書2冊を読了し、インタビュー記事数本を読んでみた。
そして、木村氏と仕事を共にした関係者周辺の方のお話を聞く機会に恵まれた。
しかしながら、まだまだ木村さんの表面にも触れられているように思えない。
彼が描いた家族、日本社会、そして世界、
やっとこさ、その雰囲気を匂っているくらいなのではないだろうか。
昨夜、菊竹六皷の生涯を描いた著書「記者ありき」を読み終わった。
そして、今晩、NHK ETV特集「もういちどつくりたい」というタイトルの、
木村栄文氏の最期の映像作品を作る過程を描いたドキュメンタリーを見た。
彼は、自らが主人公であるドキュメンタリー番組ですら、
その写り方を強烈に意識し、プロデュースしようと終始した。
パーキンソン病という重病に冒されながらも、
作品を常に作り続けるべく構想を練り続け、制作活動を止めなかった。
私はたまたまドキュメンタリー映画という世界に、少しだけ興味を
持ち始めたときに、木村栄文氏の作品に出会った。
初めて作品を鑑賞して、生まれ育った方言が縦横無尽に使われる
涙あり、笑いありのストーリーに惹かれて、
一作品ずつ自然に重ねてみてしまっていた。中毒化した。
しかしながら、決して何作品重ねて見ても飽きることを覚えない。
著書を読んでも、味わい深く、その取材力には感服せざるをえない。
表現者としてのモチベーションがどこにあったのか、私は知らない。
しかしながら、間違いなく言えることは、彼の作品に触れればふれるほど、
なぜか、肩の力が抜ける瞬間に気がつく。
決して、分かりやすいストーリーで、
視聴者を励ましている番組ではないにもかかわらず。
渡辺孝氏は、「もういちどつくりたい」で、木村栄文の作品、
彼の家族、そして彼自信の内部に迫っていった。
彼は、病に苦しみながらも、鋭い目線や、笑顔、ユーモアをきらしていない。
私にできることなんて、栄文さんの風下にもおけることがないくらい、
昭和の男をただただ尊敬するだけである。
しかし、遠すぎる存在だからこそ、惹かれてしまう。
何か、近い存在であるように、彼が自らをさらしているからかもしれない。
私たち、三十代や二十代の人間に、木村氏が伝えるものは大きいと思う。
そして、何かを感じ取って、社会にそれぞれの足跡を残す意義も大きいはず。
私は栄文さんから何をえたのか、これから長い旅が始まる。
評価:
![]() --- 現代人文社 ¥ 1,995 (2004-07) コメント:ノンフィクション映画をある程度見た人にとっては副読本になるだろう、制作者の視点。 |
「美しくて哀しいものを描いてきた。
僕のドキュメンタリーは、エッセイ風なんです。」
聞き手ー西田 節夫ー
放送文化 1998年4月号 p64-p67
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独特の作風とよく言われますが、木村さんご自身のドキュメンタリー感を
(以下インタビュー締め部引用)
ドキュメンタリーというのは、
本来は行方知れずに追いかけていくのが神髄だと思うんです。
結論より先に何が起こったんだ、追いかけてみようじゃないか、
というのが本当に面白いんです。
その点、僕は後ろ向きだと思うんです。
僕の場合はエッセイみたない感じになる。
つまり、構成物だから末尾は予定できるわけで、
この末尾をめざして、その間に曲折はあっても、
最後は感動的に美しく終わりたい感じがあるんです。
しかし、上っ面なものではなくて心にしみるような。
ところが、こういう行き方は、調査報道型の
ドキュメンタリーにはかなわない。
例えば、ペルー大使公邸人質救出事件の番組の
あれの現実のすごさというのは圧倒的でしょう。
例えばコンクールみたいなところでぶつかると、てんから勝負にならない。
だから、僕がいまからRKBのドキュメンタリーの若手に欲しいのは、
心にしみるような叙情派と、追っかけ型のテーマ屋と、
政経や科学に強いやつと、娯楽的なものを作れる腕きき。
この4人がそろえば、天下無敵とはいいませんが、10年はいけると思いますね。
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(以上引用終わり)
木村栄文氏の映像作品や、著書を読んでいるとと、
すべて賞讃していたり、すべて憤っていたり、
一つの感情で、主題を描かれているケースは少ないように感じる。
そこに描かれている人が、木村氏が英雄視している人であれ恥部に触れ、
水俣病のように暗いテーマであっても、笑顔をちりばめた構成を組み立てている。
上記のインタビューをはじめ、木村氏は、「美しくて哀しい」ものは、
人々の心に普遍的に響くものであるという持論にこだわり、
数々の作品を世に残したテレビディレクターでした。
その副次的な効果として、彼の番組を見た視聴者は、
それぞれがそれぞれの視点から、賛否両論を感じ、そのことで、
社会に対しての問題提起を生み出す種を蒔くことが、
木村氏のジャーナリストとしての使命感ではなかったのだろうか。
私は、木村氏が書いた、「記者ありき」「記者たちの日米戦争」にて
描かれたジャーナリストを読んでみて、そのように感じた次第です。
木村栄文さんの作品をこれまで、以下見てきました。
A:飛べやオガチ/57分 + いまは冬/35分 合計92分
B:鉛の霧/41分 + まっくら/ 48分 合計89分
C:苦海浄土/49分 + あいラブ優ちゃん/48分 合計97分
D:記者ありき 六鼓・菊竹淳/ 86分
F:むかし男ありけり /85分
G:絵描きと戦争 /約92分
H:桜吹雪のホームラン 〜証言・天才打者大下弘〜 /約77分
I:記者それぞれの夏〜紙面に映す日米戦争〜/約81分
いずれも、異なった視野で作られている番組ですが、
泣けるし、笑えるポイントがきちんと含まれています。
(E:鳳仙花〜近く遙かな歌声〜 /72分 は今週末鑑賞予定です。)
以下の記事で、木村氏は、もうやり残したことはないといいながら、
やっぱり撮りたいものがあると最後まで執念を燃やした木村さん。
私は、まだまだこれから、
どんどん木村栄文ワールドにはまっていきたいと思っています。
そこに何があるのかはわかりませんが、少なくとも、
木村さんが、ここが面白いんだよと教えてくれるような気がしています。
評価:
![]() 木村 栄文 朝日新聞社 --- (1997-05) コメント:木村栄文の番組を見た後に読むことをお勧めします。 |
評価:
![]() 木村 栄文 角川書店 --- (1991-12) コメント:戦争、メディア、語られているのは第二次世界大戦時期の話ですが、指摘は現在にも十分に当てはまる話になっています。 |
苦海浄土、あいラブ優ちゃん、鉛の霧、まっくら、むかし男ありけり
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