評価:
![]() 伊藤 肇 日本経済新聞社 --- (2000-11-07) コメント:社会人で何かしらの壁にぶつかった方には、とっておきのバイブルになると思います。 |
まず、自らで選んだ本ではありません。
師から紹介されなければ手にすらしなかったタイトルのジャンルです。
所謂、成功本として手に取ろうとするならば、止めるべきです。
しかし、この書にはたくさんの箴言や世の名を残している人々の
エピソードが裏表から綴られております。
人間を知るに大変興味深い本であると痛感しました。
私は、本について書く場合、一つの内容を取り上げるのですが、
この本からは得るべきポイントが多すぎて絞り込めません。
帝王学として以下三つの章立てから書かれております。
第一章.原理原則を教えてもらう師をもつこと
第二章.直言してくれる側近をもつこと
第三章.よき幕賓をもつこと
この中でもかなりの割合を、師について書かれていますので、
その中から一つだけ紹介します。
以下、孔子と道元にみる教育の原理の項目から引用。
----------------
『随聞記』には、曖昧な表現は一つもない。常に断定である。
「主人いわく『霧の中を行けば、覚えざるに衣しめる』と。
よき人に近づけば、覚えざるによき人となるなり」とか
「君子の力、牛に勝れりといえども牛とあらそわず。
われ法を知れり、かれに勝れたりと思うとも、
論じて人を掠め難ずべからず。
もし、真実に学道の人ありて法を問わば、法を惜しむべからず。
ために開示すべし、しかれども、三度、問われて一度答うべし。
多言閑語することなかれ」
とか、どの章もビリッとわさびがきいていて、快刀乱麻を断つ鋭さである。
近ごろの学者が書くような「ああでもない」「こうも思われる」
というような、要するにどうでもいいような文章とは違って、
一言一句が肺腑を抉り、心懐に徹する。
さらに「・・・・・・また、身を惜しまずして
『百尺の竿頭に上りて、手足を放って一歩進めよ』というときは。
『命あってこそ仏道も学すべけれ』といいて、真実に知識に随順せさるなり。
よくよく思量すべきなり」
<師から「百尺の竿頭に上って手を放せ」といわれたときに
「命あってのものだねですよ。手を放したら落ちて死ぬじゃありませんか。
死んだら、仏道も何もないでしょう」といって師のいうところに随われない。
そういうところが仏法のわからないものだ>ときめつけている。
師はあやふやなことは一切いえない。弟子からきかれたら、
「これはこうだ」と明確に裁断しなくてはならない。
そのためには「決定」が必要となってくる。
仏法における原理原則を身につけ、一番最後のところで開き直ったものを
もっていなくてはならないのだ。
それがないと、この道元のような発言は絶対にできないのである。
----------------
上記は、原理原則を教えてる師についての文面ですが、
二十年以上にわたって多くの人々に読まれているこの著書は、
人間の行動について、原理原則について、数多くの事例に触れながら、
明確な解説がなされているので、トップを目指さない人間にとっても、
大変に有意義に読み進める事ができました。
そして、思わず感動に涙を流してしまう事もちらほらでした。
一冊の優れた書物に出会い、それを繰り返し読んでいける事は
幸せなことであるといった箴言が登場しますが、
まさにそういった一冊の書物であるように思います。
これからも、何らかの人生の転機で手に取ってみたいと思います。
きっとまた違った得るものを見いだせると思います。
(C) 2019 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.