回天の門 藤沢周平著 読了
561ページの力作を読み終わり、以下のあとがきを読んで、
腹の底から嗚咽が湧き上がってくることを止める事ができませんでした。
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著者は長い間、清河八郎ははやく来すぎた志士で、
そこに彼の悲劇があったのではないかと考えていた。
八郎が最終的に到達した倒幕挙兵という考え方が真に熟するのは、
慶応二年の薩長同盟以降だろうと思われるからである。
しかしその後考えは変わって、八郎の悲劇は、
八郎が草莽の志士であった事実そのものの中に、
すでに胚胎していたのではないかと考えるようになった。
維新期の草莽の末路がどういうものであったかは、高木俊輔氏の
「幕末の志士」に明瞭に記述されている。
明治維新は、草莽からあますところなく奪ったが、
報いるところはもことに少なかったのである。
八郎は策を弄したと非難される。
だが維新期の志士たちは、争って奇策をもとめ、
それによって現状の打開突破をはかったのである。
策をもって人を動かすのが山師的だとするなら、
当時の志士の半分は、その誹りを免れないのではないだろうか。
一、二例をあげよう。
謹直な真木和泉でさえ、大和への攘夷親征を画策する中で、
守護職松平容保を京都から遠ざけるために、偽勅の工作をした。
慶応三年十月、薩摩藩の西郷、大久保は、幕府を挑発するために
江戸から関東一帯に騒乱を起こし、また岩倉具視とはかって
討幕の密勅なるものを偽造し、薩摩、長州ニ藩の藩主父子にくだした。
これを山師的策謀と言わないのは、時代が煮つまって来て、
手段を顧みるいとまがなかったという一面があるにせよ、
西郷や大久保が結局は当時の幕藩体制の
内側にいた人間だったからだとは言えないだろうか。
ひとり清河八郎は、いまなお山師と呼ばれ、策士と蔑称される。
その呼び方の中に、昭和も半世紀をすぎた今日もなお、
草莽を使い捨てにした、当時の体制側の人間の
口吻が匂うかのようだといえば言い過ぎだろうか。
八郎は草莽の志士だった。草莽なるがゆえに、
その行跡は屈折し、多くの誤解を残しながら、
維新前期を流星のように走り抜けて去ったように思われる。
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これが、この作品を貫くテーマと言えます。
彼の行く末に、私も読書中さまざまな想いが去来しました。
最終的に、非業な死を遂げる清河八郎氏は、
生まれながらにその最期まで決まっていたのかもしれないと思ったりしました。
しかしながら、それをどこかで受け入れながらも、
自らがやるべきことのために、多くの賛同者を必死になって募り続ける。
そして、世の中を少しでも切り開こうとするその姿勢、
私たち平成の時代を、他人に文句ばかり入っている人びとに、
爪の垢でも煎じて飲んでほしい。(もちろん私を含めて)
そんなことを感じた壮大な作品でした。
何かに行き詰まったときに、また手にしたいと思います。
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評価:
![]() 藤沢 周平 文藝春秋 ¥ 790 (1986-10) コメント:ぜひ時間があって、将来に何か疑問をもっている学生さんに読んでほしい、そう思える作品でした。 |