黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
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夫の育休、最初はとるだけでも良くないですか?

コネヒト株式会社は夫が育休を取得した508名のママの回答をもとに、

過ごし方が夫婦で練られていない質の低い育休「とるだけ育休」が発生している実態と、

それを防ぐ方策を取りまとめた。

(概要)

・男性の育休義務化が推進されている中、育休の質の議論が後手に回っている

・現状でも、質の低い「とるだけ育休」が発生している

・一方で、育休をうまく活用でき育休満足度が高まると、夫婦幸福度が向上する

・育休活用のカギとして、「育休の過ごし方7つの法則」と育休準備のポイントがある

http://news.connehito.com/entry/proposal

 

 

この調査をもとにした報道が、NHK他いろいろな報道機関でなされている。

わずか508件のサンプルで一般化してよいのだろうかという疑問を別にしても、

個人的な感覚として、子育てに対して準備期間が乏しい父親にとっては、

致し方ない結果のように思えてくる。

 

母親は、妊娠から身体の変化によって子どもを産む準備がなされる。

そして、子どもが生まれてからも自らの感覚の変化により、

子ども中心の生活を余儀なくされる側面が、生物学的に多く存在する。

 

一方で、父親は子どもが生まれることによって、身体に変化が生じるとしても、

女性に比べては穏やかであり、精神的にも仕事などその他の要因によって、

子どもを育てる姿勢が乏しくなってしまうのは、外交的な生物としては、

避けられない側面があるのは紛れも無い事実である。

 

 

だからこそ、あくまでも育児期間中は、親になるための一里塚にすぎず、

特に男性にとっては、母親となる妻の適切な助言がなければ、

なかなか自分から積極的に育児参加するのは、困難では無かろうか。

 

少なくとも、我が身を振り返ったときに、子どもが生まれてから

一年以上は、妻に何度もなんどもため息をつかれ、

父親としての非協力的な姿勢をダメ出しされた。

 

仕事を中心にするだけに長らくいきてきた姿勢を、

そう簡単に変化させられずに、子どもが存在していることを

十分に受け止められない現実があった。

 

しかしながら、半年・一年と月日を重ねていき、

妻のアドバイスにより、子どもと接していくなかで、

子どもからの反応が増えれば増えるほど、親として子育ての喜びを感じ、

より積極的に参加しようという意識が強くなっていった気がする。

 

親にとって、育児の時間はそう短いものではなく、

また他の模範によって、学んでいけるものでもない。

子どもと両親が時間を過ごしていきながら、あり方を模索するものである。

 

だからこそ、育児休暇という社会制度が存在したとしても、

両親にとっては、あくまでも子どもに時間を避けるための猶予期間でしか無い。

 

その間に、いろいろな体験を踏まえて、子育てのスタイルを模索することが

一番大事であり、闇雲に「子育ての質」を求めるのは、

本末転倒では無いだろうか、というのが私の感覚である。

 

いろんな父母の子育て役割分担があるだろうし、

その成長過程も夫婦によって、子どもの育ち方によっても変化する。

 

だから、「とるだけ育休」という言葉に惑わされることなく、

いろいろな経験を積む時間として、育児休暇を活用することができれば、

父親にとっても十分意味のある期日になるのではないだろうか。

 

むしろ、こうやって「育休のあり方」にハードルをつけることで、

企業側にとって、育休を取らせない雰囲気を助長してしまう

副作用が生じることを、私は一番懸念する次第である。

 

もっと、父親の育休が騒がれない日本社会にならないと、

母親の子育てに対する負担も決して減っていかないのでは無いだろうか。

 

JUGEMテーマ:子育て

社会 | 23:56 | comments(0) | - | - | - |
子育ては管理職としてのキャリアアップにつながる。

今、息子は1歳9か月。

動きも日々活発化し、様々なことに興味関心を持つようになってきた。

しかしながら、まだ満足に日本語を発することはできずに、

擬音語を使い、Yes、Noの反応を示すのが精いっぱいである。

 

やんちゃ坊主の彼とコミュニケーションをとるにあたっては、

ご飯をわざと投げ捨てたり、2か月の妹の目に手を入れようとしたり、

怒らざるを得ない行為も頻繁に生じるのだが、

その理由を本人が納得できない限り、なかなか止めようとしないため、

行動を抑止するためには、それなりに工夫を必要とする。

 

どうしても歯止めが必要な行動については身体で止めて、

それ以外のことは見過ごしながら、その行為を行うことが、

本人にとって利益にならないことを遠回しに伝えるために、

別の利益を与えたり、不利益になるようなことを仕向けたりする。

 

これによって、「あ、これはやっちゃダメなんだ」と理解して、

別の行動を行うように振り向ける過程は、

親にとって、多くの学びを得られる機会となり、

また同時に子どもの成長を感じるタイミングともなる。

 

 

と、子どもを育てている親にとっては至極当たり前に経験することながら、

これは社会人として部下を持つ管理職にとっても、

よいトレーニングになる過程だなと、身をもって感じている。

 

なかなかアドバイスに耳を傾けない部下がいるとする。

厳しい口調で、行動を抑制しようとすれば逆効果となり、

さらに部下の気持ちは、こちらの意向とはほど遠いものになってしまう。

 

そうであるならば、アドバイスを実行する結果として、

メリットを与えるべきなのか、不利益を前提とするべきなのか、

ケースバイケースではあろうが、即効性を考えると聞かなかったことの

罰を与えるのが、一般的な日本企業なのではなかろうか。

 

けれども、子育てで考えてみると明確になるが、

親子の関係はずっと続いていくので、何らかの罰を与えれば与えるだけ、

それが蓄積されていき信頼関係は崩れていくのが一般的であろう。

 

子どもに親の言うことを聞いてもらおうとするのではなく、

子どもが思う方向性を、親にとって間違っていないと考える道に

いざないつつ、あくまでもその子がやりたい道を尊重するのが、

目指すべき子育て像と、多くの教育に携わる専門家は指摘する。

 

そうであれば、企業の管理職にとっても、

会社として目指すべき企業理念は譲れないまでも、

それ以外の道しるべにとっては、自分で判断するのではなく、

あくまでも社員それぞれに任せて、出来るだけ社員が気持ちよく

持前を発揮できるような環境を作ることに注力すべきである。

 

 

子育てを一生懸命している親が、管理職として部下の信頼を集めるのか、

信頼を集めている部下が、子育てをうまくやれる親になるのかはわからない。

 

けれども、この関係性は必ず相通じるものであるというのは、

私自身、子育てに携わる時間が増えれば増えるほど、

社会で自らが属している組織に対してストレスが減ってきたことからも、

間違いなく痛感している感覚である。

 

 

有名人の父親の育児休暇が社会で取り立てられる日本だが、

それ自体が、まだまだ育児と企業・組織運営の間に大きな壁があることを

露呈している事実であり、そのようなことがニュースにならない

世の中になることを、一人の父親として切に願う今日この頃である。

 

JUGEMテーマ:社会の出来

社会 | 00:46 | comments(0) | - | - | - |
学校の成績が上がる方法は何ですか?という愚問
こんな釣りタイトルに引かれてアクセスする人が今の日本でも沢山いるのでしょうか?
きっといると思います。

私は、この6年ほど受験を控えた中学生と一緒に勉強していますが、
本人以上に親が真剣になって「どうしたら成績が上がりますか?」と私に聞いてきます。

そこで、ちょっと冷静になって考えて欲しいのです。
というのは、私が高校入試をした24年前から、公立高校に受験生が挑む問題は基本的に変わっていません。(社会を除く)
つまりは、受験生やそこに向けた中学生を教える学習塾などもほとんど変わらず同じことを教えているんです。

その25年の間に、社会人として必要とされるスキルは変わっていないのでしょうか?
大企業や銀行に入れれば一生安泰の時代でしょうか?
また、公務員で定年まで働いて楽しいでしょうか?
一つの仕事に就いたとして、求められる業務スキルが20年不変でしょうか?
20年前パソコンやインターネットを使えこなせなくても仕事は出来ましたが、
オフィスワークで、それが出来ない人は働けますでしょうか?

つまり、残念ながら学校が求める学習スキルと、
世の中を生きていくために働く人に求められるスキルは、
年々乖離してその差が激しくなっているのが現実です。

確かに、小学生、中学生、高校生で学ぶ、
集団生活や基礎的学習能力、勉強する習慣付け、
学校生活で得るもの全てが無駄とは否定しません。
しかしながら、少なくとも、受験に向けた勉強がどの程度意味を持つのか、
5年間中学生と共に受験を眺めてきた私には疑問は増える一方です。

だからこそ、特に高校受験生までの勉強が苦手としている子どものお母さん方から、
「うちの子、どうしたら成績が上がりますか?」
という質問には、いつも本心を語っていないのが現実です。

いろいろな学習指導者が語っている通り、
受験はテクニックであり、学習内容やテスト形式が殆ど変化していない
高校受験(ペーパーテスト)においては、
受験に出る問題に慣れて、解けるコツを覚えるかどうかで点数や、合否が決まるのが現実です。

だからこそ、「出来るだけペーパーテストに対する
時間を費やすことをやめた方がよい」
それが私が、今中学生の保護者の方に声を大にして言いたい本心です。

勉強が得意な子は当たり前のことながら、
苦手である子は尚更、受験勉強以外のことに、
時間を費やして、中学生にしか出来ないことをやって欲しいと強く思います。

確かに、一つの目的に向かって集中するために、
受験勉強をするというプロセスから得るものもあるでしょう。
高校卒業までは、テストに追われるために、
その日暮らしを難なくやり過ごすために、
テストの乗り越え方を受験を通して身につけるのも無駄ではありません。

けれども、大学入試もAO入試など、目先のペーパーテストに寄らないものが増え、
大学以降の生活では覚えるものから、考える試験機会が増えつつあります。
そして、日々の仕事の大半は記憶よりも、考え方を問うものばかりです。
頭で覚えるだけの記憶は、インターネットや技術で代用が可能です。

成績が上がるための術を求めていて、先の将来が明るかった時代は終わりました。
今は、答えがない明日をどうやって過去の出来事から考えていくかが問われている時代です。

学校の成績を上げるためにお金を使って、
古い考えを押し付ける塾の先生に払うならば、
これまでに世の中になかったことを広めようとする
若い才能の持ち主にお金を払って、その人の生き様を観察してください。

若い才能溢れるプロゴルファーを観てもよい、
年少でJリーグで活躍するサッカー選手を応援してもよい、
年配の指揮者と互角に演奏する若いピアニストのコンサートに出掛けてもよい、
ベンチャー企業を率いようとする20代の起業家のコンテストを観るのもよい、
とにかく本物に触れることにお金を掛けて欲しいです。

今、多くの公立の小学、中学、高校で教えられる大半は、
過去の成功事例であり、今現代に活かされるものは微々たるものです。
それはお金を払うべきものではないのだから、
それに追従してテスト成績を上げるためにお金を掛けるのは間違っている。

私は、自ら勉強が苦手な子どもに学習指導しているからこそ自責を含めて繰り返します!
社会 | 19:56 | comments(0) | - | - | - |
年賀状の効用
年賀状を出す人が年々少なくなっているそうである。
スマホの普及、SNS利用者の拡大、ハガキ・切手代金上昇要因はいろいろあるだろう。
が、根本的には手書き文化の縮小が要因となっているように感じる。

現代日本において学校生活を終えて以降、手書きで文字を書く機会は極端に減っている。
仕事でパソコンを使う職場にいる人は、手書きしなくても仕事が済む人が大半だろう。
そんな方にとっては、自分の名前を書くのは役所に用事がある時くらいではなかろうか。
(年末調整など職場で済む書類も税金手続きに絡むこと)

手書きで、自分以外の人に気持ちを伝える機会が減れば減るほど、
それを受け取る人の気持ちが、他の行為よりも意義深いものになるのではないか。
私は、年賀状を受け取りながらそんな気持ちを年々強くするようになっている。

ただし、どんなに年賀状を出す人が減っていて、受け取る数が少ないからと言って、
読み手の興味を惹かない内容を書かれたものでは意味をなさない。

難しそうな文章が綴られただけのもの、
表面に宛名シールが貼られているもの、
印刷屋、コンビニなどの定型イラストだけを裏面印刷されただけのもの、
前年こちらから住所を案内しているにも関わらず訂正されていないもの、
要するに手抜きの年賀状であるならば送らない方がマシではないか。

私は、職業柄近隣の方に印刷した年賀状を送ることが出来ないこともあり、
この数年は下手な文字で手書きで宛名を書いているが、
お一人お一人短い時間であっても、その方を思い浮かべる時間が作られる。
お元気でいらっしゃるだろうか、
そんなことを思いながら、裏面に一言コメントを添える。

ハガキをお送りすることで、出し手の気持ちが相手に届かなかったとしても、
自分自身に相手への気持ちを思いやる余裕が出来ることが、
年賀状など、ハガキによる挨拶を行う最大の価値ではないのだろうか。

世の中がギスギスすればするほど、
何かの価値を求めて自らの行動を行いがちだが、
それでは相手に伝わらないのが残念だが現実である。

日頃忙しく過ごしているからこそ、
年を超える時くらい、じっくりと腰を据えて、
来年に想いを馳せようと年賀状の習慣が続いているのではないか。
そんなことを思ってみれば、世間様が止めるから、
面倒だから年賀状を出さないという人はともかく、
年賀状の効用は案外大きいものであると、私は感じている昨今である。
社会 | 20:23 | comments(0) | - | - | - |
地方活性化の肝は今も昔も変わらず地域産業を築くこと。

私は、もう20年以上にわたって九州の片田舎から、

色々な地域を歩き回ってきた。

 

ご縁があって今は生まれた場所とは別の場所で、

街づくりのわずかな部分のお仕事を担っているが、

その過程で元気な街とはなんだろう?

そんな疑問を常にいただいていたような気がしている。

 

私が生まれ育った福岡県八女市は、

第二次世界大戦までは近隣から商品が集まり、

大きな商店街を形成していた福島地区に市庁舎が存在する。

それから70年以上が経過し、様々な取り組みによって

地域活性化の試みがなされたにも関わらず、

ずっとこの場所に住み続けられるだろうか、

不安な声を出している市民を至るところで耳にする。

 

一方、私が今生活している長崎県波佐見町において、

住民の皆さんと接していて、個々の地域において、

様々な不安を声に出されるけれど、

波佐見という町自体への不安の声は、八女市と比べて少ない。

 

その違いは、地場産業の存在である。

 

八女市には伝統産業として、提灯や仏壇、石灯籠やお茶など、

脈々と生業を営む事業者は存在する。

しかしながら、それらの産業に携わっている人の数は、

市民全体の割合のうち、非常に微々たる割合である。

 

一方で、波佐見町は400年以上にわたって窯業の町として続き、

社会の仕組みが大きく変わろうと、

江戸時代から現在まで日用食器を作り続けている。

もちろん、何度も廃業の危機にさらされながらも。

 

日本列島改造論から地方創生まで様々な掛け声のもとで、

都市から地方へ人材を戻そうとする国の取り組みが行われ続けて、

もはや40年以上が経過するにも関わらず、

東京を中心とした人口がこぞって地方に動く雰囲気は皆無である。

 

この大きな要因は、ただ一つ「仕事がないから」それに尽きる。

 

地方で高校時代まで生活していた学生が都市部に行くと、

仕事の多様さに驚くのが一般的ではないだろうか。

ニュースを賑わしているトレンディな技術用語を使いこなせる

企業が地方に本社を置くケースは本当に稀であり、多くは都市部に存在する。

 

私は、最近波佐見における地域活性化のこれまでをまとめるため、

書籍を作ろうとする方のサポートで、多くのキーマンと会話をしている。

初めにそれらの動きを始めた人から、

将来に向けた新しい動きを進める若者まで、

異口同音に口を揃えているのが、

波佐見に地場産業があることが強み」という点である。

 

ここでいう地場産業というのは、その土地を代表する産業に止まらず、

現実的に多くの住民が何らかの形で産業に関わっていることを意味する。

わかりやすく言えば、高度経済成長期に発展した企業城下町である。

 

企業城下町が、その命運を一つの企業に委ねられているのに比べて、

地場産業が支える町は、一つの企業がなくなっても、

新しい商品・サービスを提案する他の企業が牽引することができる。

 

 

常に変化し続ける生き物が築く時代が変化することは避けられない。

だからこそ、法人である企業も変化は避けられず淘汰も必定である。

それに乗っかる存在である自治体が変化せずにはいられない。

これは、長い時間財政再建に喘ぐ夕張市を例に出すまでもない。

 

地場産業が存在しない地域に地場産業を作ることは容易ではない。

そして、地場産業が存在する地域を次世代に繋げることも困難だ。

しかしながら、どこかで誰かが始めた産業があったからこそ、

今現在、全国・全世界で産業の恩恵を受けて、人々が営みを得ている。

 

この当たり前の事実を決して否定することなく、

自分自身が担える最低限のことを目一杯取り組んで行くことが、

必ず地域のためになり、ひいては自分自身のためになる。

 

その筋道を間違わないように、残り少ない今年を暮らし、

来年に向けた目標を立てていきたい。

波佐見焼急須

JUGEMテーマ:地域/ローカル

社会 | 11:25 | comments(0) | - | - | - |
思ったことをそのまま言うことの難しさは必ず克服できる。

標語

 

数日前から考えさせられている。

自分の気持ちを率直に告げることが出来ることがどれほど恵まれていることなのだろうかと。

世の中には言いたいことが言えない人々が沢山いる。

かといって、自らが思ったことを何の責任も持たずにペラペラと放言するのも何か違う気がする。

要するにある程度の「空気を読む」必要性を感じるわけである。

しかし、空気を読むにしても、自分自身の気持ちに不正直のままに、

思ってもいないことを周りに伝えていたら、いつかは思いと行動にズレが生じるだろう。

だからこそ、身の回りの『空気』と、今の自分の気持ち、

そして身の回りと自分自身の本来あるべき姿をよくよく考えた上で、意見表明すべきなのだろう。

ただし、考え過ぎていると、意見表明する機会を逸してしまい、

すでにその意見が無意味になってしまいかねない。

 

夏目漱石時代から、日本人が自らの意見を持っているにも関わらず、

それを素直に表明出来ない人々が悩んでいる事実が、

良いのか悪いのか迷いを吐露する人は絶えない。

明治の文明開化は、欧米の個人主義を輸入したので、

一人一人が意見を表明することの意義を「学問ノススメ』によって強く訴えられた。

そこからかなりの時間が経つけれども現代の日本人でも、

周りの人との調和を気にして、あまり自分の意見を主張しない人が多い。

しかし、本当にそれが自分自身のためになるのだろうか。

 

私は思うのだ。 日本国民統合の象徴である、

天皇陛下に学ぶことが沢山あるのではないかと。

天皇陛下は、自らの意思を広く国民に表明された。

そのことが政治的に取られると、自らの行為が憲法を犯してしまうために、

意見を幾重にもオブラートに包みながら。

 

天皇陛下は、皇后陛下とともに皇太子時代から、

世界各地の戦争跡を訪れ慰霊を行い、 日本各地の災害被災地を訪れ被災者を励まされた。

膝を折り、その土地の人々と同じ目線に立たれて。

 

その一方で、自らも宮家以外からお妃を入れられ、

子息にもその行為を認められ宮家の恋愛のハードルは確実に下がった。

今でも運転免許証を持ち、自らでシビックのハンドルを握られていた。

 

自分自身の行動を束縛されざるを得ない宮家という存在のリーダーである天皇陛下は、

自らが生きる権利を得るために不断の努力をなさっている。

まさに、日本国憲法を体現されていると言ってまったくおかしくないのだ。

権利は、それを主張することで初めて効果を発揮する。

黙っていても何も得られる保証はない。

 

天皇陛下は、自らの意思を表明されるとともに、

思ったことを言うことの大切さを国民に伝えようとされているのではないか。

 

少子高齢化により日本中で人口が減り続けるなか、

日本銀行が市中から証券を購入するというイレギュラーの行為を行って、

どんどん国債を引き受けるために、その発行額に歯止めが掛かからない。

結果として、政府として何が本当に最もやりたいことで、

何をやらざるべき事なのか国民に分からなくなりつつある。

 

思ったことを誰かに表明するためには、自分自身で何が伝えたいのか、しっかり考えることが必要。

伝わらない内容をどれだけ告げようと、誰もそれを受け取ってくれなければただの徒労に終わる。

 

私はこう思う。

その結果、これがやりたくてこれが出来ない。

だから誰々にどうして欲しい。

まずはこのフォーマットをマスターすることから始めれば、

思ったことを少しずつそのまま言えるようになるのではないでしょうか。

もちろん誰にでも意見表明することは困難でしょう。

だから始めは、一番気持ちを伝えやすい相手に対してボヤいてみることからで良いのです。

ただし、そこで立ち止まってしまったら、あなたを擁護してくれる人は増えていきません。

他の人があなたの意見を確かに納得できると認めてもらうには、

誰かの想いが含まれていなければなりません。

みんなが自分勝手に意見していても、特定のグループはまとまりませんから、

複数の人々のためになる意見でなくては大勢に広まりません。

少しずつ、少しずつ、日々の練習を積み重ね、

オリンピックに向けてタイムを縮めていくアスリートのように、

私の言いたいことを伝える練習をやってみましょう。

 

天皇陛下が自らの意思を伝えられるのに、

どれほど苦慮されているのかを考えながら。

http://www3.nhk.or.jp/news/special/japans-emperor/

 

社会 | 06:30 | comments(0) | - | - | - |
すべての人々は、自分の想いを受け止めてくれる人を探している。

この週末、日々お世話になっている深澤さんのご案内で、

大分県への1泊2日の旅に出掛けてきました。


日田でお会いした高倉市議さん、
大分でお会いした建築士の宮部さん、
同じく大分にてお会いした大分大学の軸丸先生、
柳井さん、古賀さんなどなど、
多くの方と再会させていただいた時間は沢山の気づきをいただきました。

私が皆さんに近況を尋ねると、皆さんが目をキラキラして、返答してくださる様子に、

それぞれ内容以上に、深い感激をいただきました。

ふと私自身を振り返ってみると、果たして目を輝かして、

他者と向き合っている時間がどれほどあるのだろうかと考えさせられました。
きっとかなり少ない時間に止まっているはずです。
日々の仕事でも、アフターファイブのお知り合いとの会話でも知らず識らずに惰性に揺らぎ、

感動を十二分に分かち合う行動が出来ていないように思っています。

人はみんな、誰かに自身の存在価値を認めてもらいたい気持ちを持ちながら日々を暮らしています。
けれども、『私を認めてくれと』表立って要求することは、

恥であるという日本人の文化が存在しています。


私が生きている意義を認めて欲しいという人々と、
あなたが生きていることは素晴らしいことだと称賛してくれる人々が、
同居できていないことが、現代日本にとって一番の課題であるのかもしれない、

そんなことを考えさせられた2日間でした。

私は、人と人を繋ぐことをライフワークとしていこうと決めました。
本当に結びつくべき人が近くに存在しないのならば、

遠くにいる仲間を繋いでいけばよいはずです。
そんな仲間作りのちょっとしたお手伝いをすることが、私の仕事なのかもしれません。

今回、大分で出会った多くの大先輩方は、

他者の価値を認めてくれる笑顔を持った素晴らしい人ばかりでした。

『おもしろき こともなき世を おもしろく』
高杉晋作の辞世と言われるこの歌を私は、これまで主体的に受け取っていました。
けれども、本当はある人の人生を面白くしてくれるのは、

本人ではなくて、その行動を評価してくれる周りの人々なのではないでしょうか。

そのように考えていけば、
『◯◯さんは、凄いですね。カッコいいですね。』
向き合った人への敬意の気持ちをどれだけ表現することが出来るか、

それこそが私が他者と対面するときに、最も多く使わなくてはいけない言葉であるはずです。

人生を送っていくに当たっては、誰しもが不得意な要素を得意な要素、それぞれを持っています。

頭が良くても、社会的なルールを守るのが下手な人がいます。
自己表現は下手でも、周囲の人にそっと手助けをすることに秀でた人がいます。
人々と接するのは苦手でも、自然環境と接すると巧みにモノを作る人がいます。
片付けをするのは苦手でも、料理を作るのは非常に上手な人がいます。
普段は喋るのが下手でも、アルコールが入ればどんどん会話を盛り上げられる人がいます。
仕事をすることが苦手でも、オフの時間に同僚の繋がりを強めようと努力してくれる人がいます。

今の日本では、誰かの揚げ足を取ることが社会の階層を問わず一般的になっていますが、

果たしてそれで社会は良くなるのでしょうか?

私は、他者の良いところを伸ばす努力を繰り返すことが、

世の中を面白い方向に進める術だと考えています。

少子高齢化が進み、国の財政は悪化する一方、消費が伸び悩む経済環境下で、

そこで暮らす人々の日常生活が萎縮してしまうのは当たり前の結果でしょう。

だからこそ、『よかね〜』と叫びながら、他者の良さを受け入れて、
少しでも出会った人々が笑顔になる時間を増やす努力をしていけば、
社会環境がどう変わろうとも仲間を増やして、力強く生きていけるはずです。

福岡県と大分県の県境近くに実家を構えた私の先祖は大分をルーツに持っているようです。
だからこそ、大分に行くと何かしらのエネルギーを得られるのだと思います。

今回の大分における人生の先輩方との出会いは、

日本人の今後を大きく考えさせられたとても意義深い旅になりました。

『有難う』という言葉は、あなたがやってくれたことが

私にとってとっても貴重なことだったという気持ちを表しています。
そんな良いことの積み重ねを

少しずつ行っていくように精進していきます。

日田市・豊後大野市・大分市で出会った皆様ありがとうございました!
またお邪魔させていただきます。

JUGEMテーマ:モチベーション

社会 | 06:19 | comments(2) | - | - | - |
東京という砂上の楼閣、そこで生きる術。
今晩、新宿駅近辺でいろんな景色に出くわした。

山手線ホーム下に工事用砂袋が積み上げられていた。

打楽器で男性がリズムをとる姿をカップルが見惚れていた。

ジャズバーでは、男女が自らの話より会社の話に盛り上がっていた。

何が本来の姿で、何が偽の姿なのか、
東京での暮らしはそれを分からないまま時間が過ぎていく。

私は、この都市に居を構えて9年が経つが、
いつも他人のようでいて、なおかついろんな場所に、
仲良しになれる人が存在するような微妙な距離感を楽しめていた気はしている。

ただし、それを楽しむためには、どこかで自分という存在に蓋をしなくてはならない。
たくさんの人間が肩を寄せ合って暮らしているので、
全ての人間が自らの意思の赴くままに行動していたのならば、
都市生活はお互いの利害関係がぶつかる人の群れで、パンクしてしまうからだ。

春を迎えて、これから東京生活を始める人も多いだろう。
そんな人々に、これから田舎に移り住もうと決意した人間が送る言葉は、
とにかく目の前の出来事に向き合いなさいということだけだ。

東京という都市は、様々な物事がスピードを上げて進められることを前提に形作られている。
遅延は悪であり、素早く行動出来る人が儲かるように仕組まれている。
だからと言って、別にいろんな物事をセカセカ進める必要はない。

ただし、マイペースを維持しなければ、
行動が遅い人には慣れるまでは面倒なことが多いのも事実だろう。
だからこそ、まずは目先のことだけに取り組んでいれば、
周りにどれだけ沢山の人々が生活していようと、
集団生活が最適化されている東京では、
結構一つのことに集中できる環境が存在することも確かだ。

逆に言えば目先のことを離れ、一旦脇に目をやってしまうと、
集中力を切らすための存在は無限に存在するので、
自らが何をしたかったのかが分からなくなってしまう。

東京は砂上の楼閣なのだから、その先に見えるオアシスの姿を必死に追い求める他に、
都市部に慣れない人間がやることはないのかもしれない。

今日も明日も満員電車では同じような光景が繰り返されているように思えるが、
実はそこに乗っている人間は毎日違っている。
少なくとも、乗る時間を30分だけ変えるだけで、
間違いなく知った顔を見かける機会は大きく減る。

1日の中心をがむしゃらにやりながら、
ふと周りの人々の顔に目をやってみる。
みんな苦労してそうだし、みんな辛そうだ。
そんなに楽しそうな人は多くはないが、沈んでいるような人も多くはない。

今日を一生懸命に生きたからこそ、
周りにいる人々にも思いやりを持って接することが出来るのではないだろうか?
今日もそちら様もお疲れさまでしたと。

好きことを言い合える友達も、腹を割って話せる同僚もいなくても、
そこに潰されずに、みんな頑張ってる、私もちょっとだけやろう。

そんな心持ちを決して絶やさず持ち続けて欲しい。
きっとそんな貴方のことを見つめている人が、
東京のどこかに居てくれているはずだから。
JUGEMテーマ:モチベーション
社会 | 23:19 | comments(0) | - | - | - |
子どもが勉強しない!その時親が取るべき対処法
うちの子どもが勉強しなくて困っているどうしたらよいのかしら?
そんな悩みを抱えるお母さんは全国に沢山存在するのだろう。
けれども、子どもがどうして勉強しないのかを
本人をじっくりと観察の結果突き止めたお母さんも少ないのだろう。
だからずっと悩み続け、
小学校中学校高校大学と子どもの教育に常に口を挟みたくなるのかもしれない。

処方箋は一つしかないように思う。
大学卒業寸前で、もはや社会人になれそうにないという状況以外は、
そのまま放置したら良いのではないだろうか。

一年間、高校受験生に接してきて感じたことは、
行きたい高校が決まっている子どもは何も言われずとも勉強に取り組むけれど、
志望する高校も将来なりたい職業も決まっていない子はなかなかエンジンが掛からない。

だから、両親なり周囲の大人がまず気に掛けてあげたいのは、
本人が何故勉強しなくてはいけないのか、それにどうやったら気が付いてくれるのかを、
彼ら彼女らの行動を踏まえて、ヒントを与えるくらいなのではないか。

仕事にでも当てはまることだけど、
ある人のモチベーションを他者が意図的にあげるのは並大抵のことではない。
お金などエサにしてみたり、周囲のプレッシャーだったり、
環境を変えてみたりやったところで、
本人にもっともっとこれを全力で取り組みたいという意思がない限り、
やる気という焚き木に火が点かない状況なのだ。

昔の人は良い言葉を残している。
「可愛い子には旅をさせよ」
確かにこれ以外に、子どもに大人が与えられるプレゼントは存在しないはずだ。
勉強でも、その他の日常生活でも、大人が子どもに与えるべきは、
何らかの「刺激」であって、実際に手を施すことではない。

子どもが主体的にならない限りは、いつまで経っても、
何らかの「支援」を必要とする環境に変化はなく、子どもが大人に巣立っていくことは難しい。

子どもの手を離すのは、大人にとって、特に手塩をかけて育てた両親にとっては非常に酷なのだが、
いつまでも子どもの面倒を見ることが出来ない以上は、
早めに自らの手を離し、自分の力でもがこうとする子どもを見守るのが親の使命なのではないだろうか。

結局、子どもが勉強しないときに親が取るべき唯一の方法は、
子どもの環境を少しでも変えてあげること。
それくらいに過ぎないのではないだろうか?

私は、一年間なかなか勉強にエンジンが掛からない子どもに接してきた。
もちろん、受験が終わった今をもって、彼にエンジンが掛かったとは言い切れない。
それでも、受験日間近に短い時間ながらも、自ら勉強しようと私に声を掛けて、
マクドナルドで自習に取り組んだ姿勢には、それまでに見られなかった変化を感じた。

いつも時間に遅れてくる彼は、最終日の待ち合わせには、時間ぴったりにやってきた。
(前日寝る時間が短くてその日は早く切り上げたけれど)

勉強しないのは子どもの問題であり、親がどんなに焦っても何にも解決しない。
だからこそ、子どもを信じて、まずはいろんな刺激を与えてみることから始めてみてはどうだろう?

家で勉強しないのであれば、有料塾に通わせるなり、
無料で子どもの勉強に手を貸してくれる大人を探してみる。
または、図書館に連れて行ったり、科学館、動物園、
職場なり、親の母校なりに連れ出してみる。

親がどんな勉強をして結果として、今の生活をしているのかを知るだけでも
子どもにとって何らかの発奮材料になるのではなかろうか?

ちなみに私が中学生時代に勉強しようと強く思ったのは、塾の真正面に志望校があった。
たったそれだけかもしれない。

写真は中野よもぎ塾にて来年度の新しいメンバーをどうやって
選定しようかと中学生が意見を出し合っている様子です。
JUGEMテーマ:モチベーション
社会 | 08:01 | comments(5) | - | - | - |
不易流行〜日本庭園に学ぶ時代の超え方〜
昨日、お茶を振る舞う茶店の写真が撮りたいがために、文京区駒込にある六義園を訪ねた。
六義園は、五代将軍徳川綱吉の側用人
柳沢吉保が7年の歳月をかけて1702年に完成させた回遊式築山泉水庭園である。
http://teien.tokyo-park.or.jp/contents/outline031.html
明治以降一時荒廃していたものを岩崎弥太郎が購入し、岩崎家によって再興され現代の姿になったとのこと。

私は、気分の赴くままに、東京都内の日本庭園を何度か訪れている。
皇居東御苑も四季折々の草花が素晴らしい。
自然が豊富な田舎で生まれた人間だからこそ、緑を求めて日本庭園に誘われるのだろうが、
ただ木が生い茂る明治神宮など鎮守の森では味わえない、
人工的な文化価値があることで、その魅力を多分に感じるのかもしれない。

考えてもみてほしい。建物を300年維持し続けることは大変である。
伊勢神宮で式年遷宮が行われるのは大工など作り手の技術を維持するためにと言われている。
しかしながら、多くの所有者がしっかりしている日本庭園は、
若干の姿を変えつつも、長年に渡り作られた大枠を生かしたまま現代の人々を癒し続けている。

それは、そもそもが一番初めの作り手が、
日本人の精神文化に強い関心を持ち、
時間をかけてその土地の持ち味を生かして建設し、
日本ならではの四季をその一箇所で再現しようと、
丹精を込めていることが一番の柱である。
六義園を作った柳沢吉保も、和歌に親しんでおり、
その六義の由来は、紀貫之が使った六体という言葉に由縁があるそうだ。

建立から何世代もの時期を超えて、守り続けようと意思を思わせるものがあるからこそ、
多くの日本庭園が、庭師の手を掛けて、時の所有者の意を汲んで守られ続けている。

今では、日本人に限らず外国からの観光客の方々も、その静寂さを求め、
四季を感じるために足を運んでいらっしゃる。
完成当初から変わらないだろうが、鳥などの小動物も、
都会の数少ない緑を求めて翼を休める拠点として活用している。

何故に多くの生き物を惹きつけるのか、それは日本庭園にエネルギーがあるからである。
人工的な建物には、動物が吸収できるエネルギーは存在しない。
日本庭園には、沢山の木々があり有機物を生み出している。
水のせせらぎ、季節の草花は、
人間の精神に癒しを与える物質的、精神的な力をもたらしてくれている。
その人工的な容姿は、自然に出来た土地の風景にインスパイアされたものであるために、
人が意図的に作っていながらも、
あたかもずっとその土地にあるかのように不自然さを感じることなく風月に耐えている。

江戸時代から国の中心地であり続ける現代の東京地区において、
日本庭園が果たす役割は、本来自然人であるはずの
人間本来の生命エネルギーを快復する一時の癒しであったのだろう。
それは、2016年の現代においても普遍的であるからそこ、作られた時の姿をとどめて、
今後も多くの人々の心に癒しを続けるような価値を秘めているのだろう。

万物は流転することが避けられない。
多くの人間は100年以上生き続けることは困難だ。
どんなに頑丈な建物を作ったとしても
それを維持しようとする人が一人もいなければ、誰かによって破壊される。

経済に限らず、世の中が大きく変化していると考えられる時期だからこそ、
時にはじっと動かず、長い間その姿を変えていない存在に
じっくり目を凝らしてみる必要があるのではなかろうか?

日本庭園など、大枠は変わらないなかでも
時代を超えて変化をやめない存在をじっくり観察することは、
流行トレンドを追いかける専門家の論評を読むことよりも、よほど深い学びが得られるはずである。

昨日得た緑のエネルギーを種に、私は今日もパソコンに向かって閉ざされた空間で仕事に励む。
あの日本庭園がどのような人々によって作られたのだろうかと、どこか想起しながら。
JUGEMテーマ:日本庭園
社会 | 07:55 | comments(2) | - | - | - |

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