黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
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テレビで見たたけど〇〇〇だよねという会話が嫌いな理由。
私は、テレビで見たけど〇〇〇、新聞で見たけど〇〇〇という会話をする人が苦手である。

ある一人の人が生活しているだけで、いろいろなことを見聞きしているはずである。
一年中、理由あって家の中にじっといないといけない人を除けば、
景色の移り変わり、周囲から聞こえてくる人の声、様々な情報源は存在している。

テレビや新聞などのマスメディアによってもたらされる情報は何十万、何百万という人が目にしている情報である。
確かに、その情報に接していない人にとっては耳寄りかもしれないが、
不特定多数向けに発信されているので他の人が知りうる可能性が高いのも事実である。

私は、面と向かったその人とその人でなくてはいけない会話をしたい訳で、
他人が知っていそうな会話を媒介にすると、頷く他なくなる可能性が高いという雰囲気が苦手である。
情報に取得しようとする意思が低ければ低いほど、残念ながら情報を得ることに対する感度は低下する。
逆に、日常に溢れる当たり前の事実でさえも、何か情報を得たいと考える人にとっては貴重な材料となる。

テレビや新聞などマスメディアから得た情報を又聞きして、自らの意見なしでそれを垂れ流す人は、
自らの情報収集能力がないことを公言しているようなものなので、やめた方が良いと思われる。

何故、このような現実を気にすべきかといえば、
インターネットと携帯電話の普及により、情報
を個々人で取得することへのハードルが下がったからである。
それまでは、テレビをしっかり見たり、新聞を読むだけで、世の中に対する情報のアンテナ確度を高めておく必要があった。
しかしながら、現代では個人所有の携帯電話を通し、その人が興味を持つだろうメディア情報は、自らの画面に現れるようになりつつある。
つまり、そこには自らが情報収集するための手間は一切必要がなくなりつつあるのが実態である。

だからこそ、メディアが拾えないパーソナルな情報を収集して、
そこから社会を見渡してみる努力が現代社会を生き抜くためのスキルとなりつつある。
その行為を繰り返して、自分なりに情報収集、情報発信している人のもとには、
同じように巷にない情報を求めようとする人が集まってきて、さらに新しい情報を得やすい環境が作られる。
逆に、情報をただ他者から得ようとだけする人のもとには、稀有な情報は集まりにくくなる。

情報が溢れているからこそ、その人にしか語ることの出来ない情報を集めることは、
現代社会を生き抜くために必要不可欠なスキルなのである。
大きく考えると、そんなスキルを持っていませんと公言している人が苦手なのは、
その人はただ情報を私から奪い取ろうとしているのではないかと疑心暗鬼になるからかもしれない。

もちろん、改めて考えてもそれはオーバーリアクションであるのが正直なところで、
何と小さな器の持ち主なのかと眉を潜められるのが正直なところかもしれない。

ただし、情報を集めることは生きていく最低の術というのは、
戦国時代など日本でも歴史的に繰り返されてきた事実であり、
天然資源の乏しい日本で生きていくためには必須のスキルであることは、
もっともっと多くの日本人が意識すべきことではないだろうかと、私は思うのである。

テレビを見て満足するよりも、
テレビに取り上げられるためにはどう生きるのか、
そんな意識を少しだけでも持ったほうが、
世の中の変化に惑わされずに独自の道を歩いていけるのではないか。
少なくとも私はそうでありたいと思う。
(決して自己顕示をしたいという訳ではないことを強調しておきたい)
つぶやき | 14:00 | comments(0) | - | - | - |
お祓いを繰り返し受けると身近になる神社への参詣
結婚式、子どもの戌の日参り、初宮参り、
などなど節目節目ごとに神社へのお参りを欠かさないようになりました。
もちろん、神道が盛んである宮崎の妻と一緒になったことが大きな要因ですが、
私自身も職業柄、神社への参詣頻度が飛躍的に増えました。

神社にて神主さんからお祓いを受けると、
その名の通り、罪や穢れを取り除く行為をしてもらっている訳で、
肩の力が軽くなる感覚を覚えることが多分にあります。

人間が生きて生活しているだけでも、小さな命を犠牲にしている訳で、
厳密に考えてみると自然界に対して様々な罪を背負っていることは紛れもない事実です。
また穢れは気枯れとも表記するようですが、死や月日の経過などにより、パワーがなくなるものは沢山存在します。

それらの負のエネルギーをリフレッシュするのが、神道で言われるお祓いという儀式のようです。

困ったときの神頼みと言えば、「神様、〇〇をお願いします」という、
お賽銭箱と鈴のセットではただ一方的に神様に頭を下げている雰囲気が濃厚になりがちです。

しかし、賽銭箱を超え神社の社の中に入り、神棚を直前にして神官さんに
お祓いをしていただく機会が増えれば増えるほど、
神様との対話という表面的な場面を通して、
自らと心の中で対話することが神社でお参りする意味ではないかと思えてきます。

日本では長年に渡って、伊勢神宮や高野山、お遍路さん巡りが
市民の生活文化の一部に溶け込んだのは、
神社に行くという旅を通して、自らを省みる機会を作ることこそ、意味があったのではないでしょうか?

余りに気軽に賽銭を入れて、個人的なお願いを神様に告げたところで、
神様も困るでしょうし、自分の心も整理すら付かないのが現実です。

神社をお詣りするしきたりに縛られず、
せっかくお詣りしようという気持ちが芽生えたのならば、
せめて鳥居をくぐって賽銭箱の前に行くまでには、
自分の気持ちを整理して、いろいろな自らの過ちを、
虚心坦懐に考えてみることこそ、神社の役割なのではないか。

私は、家族と節目節目に神社に参詣させていただきながら、
そんなことを思えるようになってきました。

もちろん、まだまだいつも実現できている訳ではありませんが、
気持ちに余裕があるときには、日頃の自らの反省を
今一度行う機会として、神様との対話を有意義に使わせていただこうと思っています。
つぶやき | 19:41 | comments(0) | - | - | - |
目線を変えて物事を見ることの大切さ
一昨年、私は長男を得た。
子どもが出来た当初は決して育児に積極的に参加したとは言えないが、
徐々に子どもと過ごす日常機会は当たり前ながら増えていった。

昨年の4月には、子どもは保育園に入り、
親子2人で出かける機会も徐々に増えてきた。
車に乗り、動物園に出掛けたり、図書館、公園などに遊びに行った。

色々な場所に子連れで出掛けることによって
これまでも存在していた公共の施設について、
すでに訪れたことがある場所でも、使い手としての目線が変化した。

トイレにはオムツを替えるための設備は設置されているか、
歩くのがおぼつかない子どもが転ぶことのないよう、
路面の段差は急なものではないか、階段にスロープが低い位置にあるか、
などなど上げればキリがないが、これまで全く気が付かなかったことが気になるようになった。

これは、公共施設だけではなく飲食店などの民間企業が営む場所でも同じで、
子どもを中心に世の中を眺めてみると、決してその視点から設計されている
場所があまり多く存在していないことを考えさせられる。
逆に言えば乳飲み子を抱える親にとって、
少しだけでも子どもに対する配慮がなされている施設は
非常に有難い存在で、そのことがサービスに対する評価を大きく上げる。

身体が不自由である、障がいを抱える方、高齢の方の気持ちを簡単に感じることは、
そう簡単にはいかないが、行動が制約される親になることはそれに比べると容易である。

その時に、感じる社会への疑問こそ、
世の中を少しずつ良くするための課題を見出すための
大きなヒントになるのではないか、
そんな視点を常に持っておけば、子どもとの生活は発見に満ちている。

普段何気なく使っているものも、その目線を変えてみることの大事さを教えられている子育て始めの日々です。
つぶやき | 00:36 | comments(0) | - | - | - |
新成人の皆さんへお祝いの言葉

新年、明けましておめでとうございます。

2020年(令和2年)に20歳を迎える皆様へ、

少し先輩の社会人としてお祝いの言葉を送ります。

 

1995年当時、10%しかなかった携帯電話の普及率は、

2000年にはすでにおよそ80%に達して、

みなさんが生まれる頃には多くの人が携帯を持つようになりました。

ただし、今では普通に使われているインターネットの利用者は

まだまだ少なく多くの人はその使い方をわからない状態でした。

 

目に見える変化として、スマートフォンの普及や

インターネットを使った様々なサービスが増えてはいますが、

日本では経済規模は20年間ほどんど変わっていないといえ、

一人当たりのGDP(国内総生産)は、ほぼ同じ金額です。

一方で、中国ではこの間に20倍の数字になっています。

 

日本で長く生活していて、海外の生活に接したことがない人には

なかなか分からないことでありますが、世界から見た

日本の存在感は毎年毎年薄くなっているのが現実で、

その間に、中国をはじめとするアジアの各国は、

急激に世界に対する影響力を強めているのが現実です。

 

40年近く日本で生活をしてきた私の感覚からしても、

その時の大人に教えられる、学校での教科、社会の仕組みは、

ほとんど変わっておらず、社会の変化に十分対応できているのか、

非常に疑問が持てるのが現実です。

 

つらつらと説明してきましたが、何が言いたいのかといえば、

自分で学んでいこうとしない限り、世界の変化に

取り残されてしまうのが、私たち日本で生きる人々の現実なのです。

 

日本は、日本列島ができて以来、歴史に記録が残る縄文時代から、

常に大陸の人々に、社会を維持するルールを学びながら、

様々な発展を遂げてきました。もちろん経済的な発展も含めて。

 

決して恵まれているとは言えない自然からの恵みの中で、

いろいろな知恵を重ね、挑戦を重ねて、世界に向けて

自らの存在価値を発揮しようと頑張ってこられたのが日本人の先輩方です。

 

私は、別に世界に飛び出せとみなさんの背中を押している訳ではありません。

ただし、「今置かれている環境が十分なものである」とは決めつけないで欲しい、

そのことを願わずにはおられません。

 

日本ではすでに約3割の方が65歳以上の高齢者で、

今までの価値観にとらわれずに、どんどん勉強して、

時代の変化に合わせて、自らを変えていこうと意気込む人の割合が、

残念ながらどんどん減っているのが現実です。

 

だからこそ、あなた方これからの日本を築いていこうとする若者は、

少ない人数で、日本全体を変えていくことができるチャンスなのです。

 

先に世の中に出ている大人たちが、どんな批判をしようとも、

その人たちが経験した以上の変化を自分の背中に受けて、

世に飛び出していこうともがく、その羽ばたきを決して緩めないでほしい。

 

どんなに怒れられようとも、自分が世の中のためになると決意して、

動きだした取り組みを、他人の声によって諦めないでほしい。

 

私自身が、子どもの頃から怒られ続けながらも、

自分が信じる道を進んできたと言えるから、このメッセージを

これからの日本を作っていく新成人の方に送ります。

 

「面白きこともなき世を面白く すみなすものは心なりけり」

 

高杉晋作の辞世の句と呼ばれている一句です。

世の中を面白くないと捉えるのも、自分自身の心であるならば、

面白いと捉えることができるのも、その自分次第です。

 

「明日はきっと今日より面白くなる」そう信じて今日を生きてください。

JUGEMテーマ:季節の出来事

つぶやき | 04:33 | comments(0) | - | - | - |
働くために大切なことは本質を追求し続ける姿勢。

私は、まもなく地方議員として議席をいただいて

3年が経過しようとしている1期生の町議会議員です。

 

町のこと、地域のこと、もっと大きい分野のこと、

産業振興、移住支援、行政改革、農業振興など、

大きく括っても数多くのことに関わらせていただきました。

 

実を結んでいることはわずかですが、

それでも自分の身体を動かして、いろいろな方を巻き込み、

出来ることを出来うる範囲で取り組んできました。

 

例えば町の出来ごとについては、

直接に利害関係を要する民間の個人・企業担当者、

町役場の担当職員・課長・副町長・町長と、

オフィシャルな場面でも、無礼講な場面でも、

様々な角度から意見を交わして、

自分の身体を使って作業しながら、

少しでも物事を進める努力をしました。

 

その結果、全く動かないと思えた現実を

1年後には振り返ると、全く信じられない状況に

出来たという実績があります。

 

大したことはないといえども、

絶対無理と言われたことに変化を起こしたという事実は、

私にとって非常に大きな経験となりました。

 

その局面で学んだことは、なぜこの変化が必要なのか

ということを、出来るだけ表面的に捉えないということです。

つまりは、「物事の本質から課題を考える」という、

姿勢を維持し続けることが、結局は近道ということです。

 

 

わかりやすい事例で、クラスにいじめがあるとして、

それを止めさせるために、いじめっ子を糾弾するのがよいか、

いじめ自体をなくす雰囲気をつくるべきなのかということです。

 

いじめっ子の行動を制御することが簡単そうですが、

それをやると、行動を制約されたストレスから、

いじめっ子は別のいじめる対象を探そうとします。

 

いじめをクラスからなくすためにはどうするか、

考えることは難しいことですが、

クラス全体の課題を一つ一つ見ていくことで、

その良い面悪い面を俯瞰的に捉えられるようになります。

 

なぜ、クラスの中にいじめが存在するのか?

という大きなテーマであればあるほど、クラス全体が見えてくるのです。

 

 

地方議員が自治体に対して感じる課題は千差万別で、

細分化してしまえばキリがないし、解決策も無限にあります。

 

だからこそ、根っこの部分を捉えようとしないかぎり、

モグラ叩きのように、あれもこれもと追い求めていくと、

結局は何も解決できないという状況に陥りがちです。

 

たくさんの課題を執行部に追求するのだけれども、

どれを問題提起しても、結局は一つのテーマに繋がるという

問題意識を持っていれば、一つ一つの課題を解決すると、

全体の問題を少しずつ抑えていくことが可能になります。

 

地方議員として活発に活動すればするほど、

市民の方や別の方など、多くの意見をいただくことが増え、

目先の問題に惑わされる機会が増えていきます。

 

だからこそ、たまには頭の整理をして、

本当に自分がやるべきことはなんだろうか。

 

あれもこれもたくさんの方に、自分自身が議員として

期待されていることの共通点はなんだろうか、

問題意識をもって、

事の本質を追い求め続けなくてはいけないと、

この文章を書きながら、自分自身を戒めています。

 

とりとめもなく、何が言いたいのか、

読まれた方を全く意識できていない文面になっていますが、

久しぶりに何かをブログに書かなくてはと綴ってみました。

次回はもう少し、具体的に書きます。

JUGEMテーマ:仕事のこと

つぶやき | 22:52 | comments(0) | - | - | - |
「変わらないもの、変わるもの。」成人式を迎えた皆さん方へ。

明けましておめでとうございます。

新成人の皆さん、そしてご家族の皆さん、重ねておめでとうございます。

皆さんが生まれてすぐの1999年4月、私は大学生になりました。

当時、大学生で携帯電話を保有しているのは、私たち新入生だけでした。

今となっては、全く信じられない状態かと思いますが。

 

時代が変わっていくのは、振り返ってみると、本当にあっという間です。

今年から新しい元号の時代が始まりますが、

新成人の皆さんを取り巻く時代も日々変化していくことは避けられません。

技術の変化も進むでしょう、それに合わせて社会の仕組みも変わるでしょう。

社会人になってから、働くのをやめるまでに何度も仕事を変わる人が殆どでしょう。

 

しかし、時代を超えても変わらないものが必ず存在します。

一つだけ例をあげるならば、親が子どもを想う気持ちです。

もちろん、様々な目の前の現実によって、

親が子どもに対して積極的に関われない時期もあるでしょう。

けれども、子どもの心配をし続けるのが、

自らを生み、育ててくれた親という存在なのだと思います。

 

私ごとで恐縮ですが、昨年実の息子を授かりました。

孫の誕生を喜んでくれる実の親を目の前にして、

改めて生み育ててくれたことに感謝の念を覚えました。

それまでは実際のところ、あまり感謝を感じていませんでしたが。。。。

 

新成人の皆さんをここまで立派に育てられた

お母さん・お父さんの喜びはひとしおのことだとお察しします。

そして、そのサポートをされてきたご家族のお喜びも如何程かと思います。

 

新成人の皆さんはまだその偉大さになかなか気がつかないと思いますが、

一つだけ訴えておきたいことは、繰り返しになりますが、

時代が変わっても、親が子どもを想う心は変わらないということです。

 

皆さんは、これから自らの人生を自らで歩んでいかなくてはなりません。

うまくいくことも、うまくいかないことも、いろいろな出来事があるでしょう。

親が面倒に思えることもたくさんあると思います。

 

けれども、どんな境遇にあっても、

自らのご家族に「ありがとう」という気持ちを決して忘れないで、

いつか育てられた恩を返したいと思って生きてみてください。

必ず、その気持ちは自分を良い方向に導いてくれるはずです。

 

最後に、100年前の1919年に室生犀星という詩人が「幼年時代」という

処女作で、主人公が川で拾った地蔵さんを自宅の庭に持ち帰り供養している

ことを知って、近くの和尚さんが主人公に伝えたセリフを餞に、

新成人の皆様へのメッセージといたします。

 

 

人間は何でも自分で善いとおもったことはした方がよい。

よいと思ったことに決して悪いことはない。

自由の女神

 

JUGEMテーマ:成人式

つぶやき | 00:14 | comments(2) | - | - | - |
ながよっさん、あちらの世界での「よいしょ業」は如何ですか?

今日は、ながよっさんの入院直前にたくさんの会話をされた

最後のムスメさん、Nagahisaさんとtaoにて会話してきました。

 

本人から、ながよっさんは髪色からシンパシーを感じられたと

聞きましたが、流石に素晴らしい目の付け所ですね。

 

彼女は、ながよっさんに会話した次の日に入った

飲食の道の入り口を卒業して新しい道を志向するとのこと。

彼女に、「君はDoではなくBeすべき」とアドバイスされた

ながよっさんの濃密な会話を的確に受け止めて、

2年間頑張った成果が出ているようです。

 

先日、ながよっさんのご家族から喪中のため、

年末年始のご挨拶をお控えさせていただきますとの

お葉書を頂戴しました。

 

気がつけば、ながよっさんをこの世から見送って、

間も無く一年が経とうとしています。

 

私は、ながよっさんからも多分に影響を受けた

政治の道をヨチヨチながら歩んでおりますが、

まだまだ選挙の際にアドバイスですら、現実に活かせていませんし、

多々話をさせていただいた、

世の人のために働くことの意義を十二分に感じて、

公な仕事ができているとは言い難いのが事実です。

 

もっとユーモアを磨けと散々忠告いただいた方面の

勉強は全くと言っていいほど進んでおりません。

たまには、寄席に行って思いっきり笑わなくてはです。

 

気がつけば、ながよっさんとお会いしてから、

すでに16年以上の月日が経過しました。

全く成長していない私ですが、間も無く子どもを授かります。

 

子どものままの私が、親になるのはおこがましい限りですが、

親になってからの成長する材料があると良い方向に捉え、

これを契機に、さらに社会を知って学んでいきます。

 

考えは全くまとまっていませんが、

どうしてもながよっさんのことを書き留めたい夜でしたので、

駄文をつらつらと綴らせていただきました。

 

また、子どもができたら、

墓参りにお伺いさせていただきます。

いつも、割子川公園を見つめているながよっさんを

思い出しながら、人生につまづいた方の

道しるべを示せるような大人になりたいと願い、

精進をしていきます。

 

今日も、沢山の気づきを与えていただきありがとうございます。

 

JUGEMテーマ:モチベーション

つぶやき | 00:56 | comments(0) | - | - | - |
新しいことをやる人々は、周りにエネルギーを与えてくれる。

私はここ一年ほど新しいことをやろうとする人々と

積極的にお付き合いをするように心がけている。

もちろん、中にはあまり近づかない方がいいんじゃない・・・。

そう周囲から言われる方もいらっしゃるのは事実である。

 

けれども、今の現状に満足して変化を求めない人と、

何か新しいものを生み出そうとする人には大きな違いがある。

 

なおのこと、変化が著しい都市部とは異なり、

地方の町では、今までに築いてきた仕組みを

変化させることは容易ではないので、

チャレンジすることはとても大きなハードルである。

 

資金面や環境面でのハードルよりも、

周囲の人々の心理的なプレッシャーが大きい。

「どうせ失敗する」

「他の地域で既にやっている」

「お金にならない」

そんな声が、チャレンジする人に容赦なく投げかけらる。

 

加えて、実際にプロジェクトに参加した方からも、

「もうこの辺でやめましょう」

「経験上もう無理だ」

「そろそろ銭が続かない」

色々な弱音が飛び出してくる。

 

チャレンジを阻む要素はそれこそ無限に降ってくる。

しかし、やろうと決めた人の気持ちが揺らがなければ、

そのプロジェクトは曲がりなりにも進んでいく。

 

 

私は、どうせ無理という言葉がとても嫌いである。

自分自身、昨年10月の選挙に出るにあたって、

全く知らない人々から「やめとけ」という言葉をいただいた。

しかし、その人々の大半は私と同じ決断を行なった人ではない。

 

 

これは、私自身の価値判断に過ぎないが、

新しい変化を受け入れる人の多くは、

過去に何らかのチャレンジを行い、

「お前のやっていることは無理なことだ」、

そんなプレッシャーを周りから受けた方が大半である。

 

未来を切り開いていくのは、

そんな大人数の変革者ではない。

非常に少数の変わり者のチャレンジ精神である。

歴史をちょっと振り返ってみれば当たり前の事実である。

 

 

だから、これからも私は周りにとやかく言われようと、

新しいチャレンジを繰り返す人々と会話し続け、

私なりにできる行動によって、その人々をサポートしたい。

それが、2017年6月25日に考えている思いである。

 

さらっと忘れないように、ここに記しておく。

JUGEMテーマ:モチベーション

つぶやき | 05:47 | comments(2) | - | - | - |
東京での仕事、田舎での仕事。もう少し柔軟に対応しても良いのでは?

このブログには、東京での仕事に見切りをつけ、

田舎で生活をしようかなあと考えている方が、

チラチラおいでになっているようなので雑感をまとめておきます。

 

約10ヶ月前に、9年間の東京暮らしを終え、

長崎の都市部以外地域に移り住んだ私ですが、

一言でいえば、東京暮らしに固執する必要はないのかなと。

 

もちろん、出版・メディア・広告・芸能・流行に敏感な商品開発など、

東京でしか回らない仕事があるのは大前提です。

しかし、東京にいなくてもやっていける仕事は沢山あります。

 

私は不動産の仕事をしている方と定期的に会話していますが、

2017年の東京では、不動産業界のプロでさえ、

商売のタネにする物件に手が出ないほどの地価高騰状況だそうです。

一般的なサラリーマンでは、新築マンションを購入することが難しく、

中古マンションを選ばざるを得ないという記事もありました。

 

その状況にありつつも、依然として地方から

東京近郊への人口流入は続いており、企業の地方移転も進んでいません。

 

一方で、日本で企業活動を行なっていく事業の中心は、

製造業でも、サービス業であっても、

直接の手作業を施す必要がない

考え方の価値を提供することが中心になりつつあります。

つまり、どんな環境にいてもできる仕事が増えています。

 

それなのに、地価が高く、様々な日常生活を

金銭に置き換える必要がある東京にこだわる必要があるのだろうかと、

私のような非東京在住の人間は感じることが増えてきました。

 

何故ならば、いざ東京で打ち合わせが必要な仕事があれば、

事前予約を行うとLCCでかなり安価なコストで九州から出向ける時代です。

交通費をかけられる仕事であれば、

岡山・金沢・富山・新潟・仙台・福島などなど、

新幹線で、東京までの一日出張が十分にできるエリアは広がっています。

 

22歳から60歳まで一つの職場で働くことができ、

その後は安定的に受給できる年金制度が安泰だった時代は既に終わりました。

 

それなのに、年中人が多い環境で生活し、満員電車に数十年揺られ、

広くない家で生活することを当たり前に過ごし続ける価値観が、

続いているのは、考えてみればちょっと変ではないでしょうか。

 

もちろん東京近郊で、他者から仕事を積極的に求めらる人材は、

所得水準が高いはずなので、都市部に住み続ければ良いのです。

 

しかしながら、仕事に行きたくないと感じている人は山ほどいて、

彼ら彼女らが、田舎に行けば即戦力に感じる地方企業も沢山存在します。

せめて、そういったチャンスがあるのだということは知ってほしいものです。

 

東京では、人口集積が大きいので、企業においても公的機関についても、

一人の力で物事を変えられる可能性が低いのが現実です。

もちろん、果敢に社会を動かしているベンチャータイプの組織を除いて。

 

しかしながら、田舎では企業においても、行政機関においても、

組織の規模は決して大きくないので、一人一人のスタッフが、

全組織に与える貢献度は非常に大きいのが現実です。

 

もっと、身の丈にあった暮らしを提案し、

様々な仕事のやり方を示していくのが、これからの日本を

もう少し面白く変化させる一つのやり方かもしれない。

 

私は、2017年1月ぼんやりと東京を電車で、車で、

行き交ってて感じた次第です。

 

「もっと面白くできる」東京も、東京以外の田舎も。

諦めない心

諦めてもいいんじゃないかなあ、色々と。

 

JUGEMテーマ:田舎暮らし

つぶやき | 09:21 | comments(2) | - | - | - |
2017年は、トップがソウセイと言える元年に。

地方創生を掲げる「まち、ひと、しごと創世総合戦略」が提示されて2年が経過したが、

地方の社会環境が大きく改善されたと思われる地域は、非常に少ないことが容易に分かる。

人口減少は、私の家族が関連する地域全体に及び、その抜本的改善策を見通せない。

 

そもそも、日本の歴史始まってこの方、国の政治中枢から指示されて改革が進んだ時期はほんの僅かしか存在しない。

残りの期間は、ほぼ全て地方が地方なりの色を出して、地域を統治してきたのが日本という社会である。

 

海に面する場所、山に囲まれた場所、

幹線道路が走る場所、鉄道が通る場所、

港湾に面する場所、空港に面する場所、

人口が集積する場所、人が住みにくい場所、

日本と一口に言っても、街の景色は多種多様で、そこに暮らす人々の生き方も様々である。

 

それを右に倣えで、まとめていくことに持続性を求める方がおかしいという現実にそろそろ気がつく時期ではなかろうか。

 

江戸幕末時代の長州藩主 毛利敬親は、『ソウセイ候』と陰口を叩かれるお殿様であった。

ある時期、毛利家を幕府に対して反旗を立てるべきと提言する家来に対して「ソウセイ」と告げるも、

別の時期になり、権力闘争の結果交代した家来が幕府に対して恭順を誓うべきと提言すればまた「ソウセイ」と告げた。

 

つまり敬親公は、時代が変化することで、藩の政治が右左に揺れることを理解し、どちらかに固執することをせず、柔軟に指示を変えた。

 

時代が変化している時期に、最も変わらなければならないのは、組織のマネジメント層であり、そのあり方は『ソウセイ』なのだ。

 

個人は、時代の変化を感じていれば、変わらなくてはという意識を発揮する。

何故ならば、それが自らの将来を保証する唯一の術なのだから。

 

しかし、個々人の属する組織の力は絶大で、その組織で生計を立てるのであれば、

組織の長が間違っていたとしても、構成員は基本時にそれに従っていくのが、現代日本社会の多く国民性である。

 

だからこそ、国家という大きな仕組みから、小さな企業に至るまで、

構成員の感じる社会へのアンテナからの声に「ソウセイ」と言えるマネジメントが求められるのが、

改革の進まない日本に対する唯一の処方箋ではないのだろうか。

 

少なくとも、私はわが町のトップがある面で『ソウセイ候』だからこそ、職員さんがイキイキ働いているのを垣間見て、

その結果多くの実績を上げているのを目の当たりにしているからこそ、自信を持ってこう提言したい。

 

つぶやき | 13:20 | comments(2) | - | - | - |

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