黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
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新しいことをやる人々は、周りにエネルギーを与えてくれる。

私はここ一年ほど新しいことをやろうとする人々と

積極的にお付き合いをするように心がけている。

もちろん、中にはあまり近づかない方がいいんじゃない・・・。

そう周囲から言われる方もいらっしゃるのは事実である。

 

けれども、今の現状に満足して変化を求めない人と、

何か新しいものを生み出そうとする人には大きな違いがある。

 

なおのこと、変化が著しい都市部とは異なり、

地方の町では、今までに築いてきた仕組みを

変化させることは容易ではないので、

チャレンジすることはとても大きなハードルである。

 

資金面や環境面でのハードルよりも、

周囲の人々の心理的なプレッシャーが大きい。

「どうせ失敗する」

「他の地域で既にやっている」

「お金にならない」

そんな声が、チャレンジする人に容赦なく投げかけらる。

 

加えて、実際にプロジェクトに参加した方からも、

「もうこの辺でやめましょう」

「経験上もう無理だ」

「そろそろ銭が続かない」

色々な弱音が飛び出してくる。

 

チャレンジを阻む要素はそれこそ無限に降ってくる。

しかし、やろうと決めた人の気持ちが揺らがなければ、

そのプロジェクトは曲がりなりにも進んでいく。

 

 

私は、どうせ無理という言葉がとても嫌いである。

自分自身、昨年10月の選挙に出るにあたって、

全く知らない人々から「やめとけ」という言葉をいただいた。

しかし、その人々の大半は私と同じ決断を行なった人ではない。

 

 

これは、私自身の価値判断に過ぎないが、

新しい変化を受け入れる人の多くは、

過去に何らかのチャレンジを行い、

「お前のやっていることは無理なことだ」、

そんなプレッシャーを周りから受けた方が大半である。

 

未来を切り開いていくのは、

そんな大人数の変革者ではない。

非常に少数の変わり者のチャレンジ精神である。

歴史をちょっと振り返ってみれば当たり前の事実である。

 

 

だから、これからも私は周りにとやかく言われようと、

新しいチャレンジを繰り返す人々と会話し続け、

私なりにできる行動によって、その人々をサポートしたい。

それが、2017年6月25日に考えている思いである。

 

さらっと忘れないように、ここに記しておく。

JUGEMテーマ:モチベーション

つぶやき | 05:47 | comments(2) | - | - | - |
東京での仕事、田舎での仕事。もう少し柔軟に対応しても良いのでは?

このブログには、東京での仕事に見切りをつけ、

田舎で生活をしようかなあと考えている方が、

チラチラおいでになっているようなので雑感をまとめておきます。

 

約10ヶ月前に、9年間の東京暮らしを終え、

長崎の都市部以外地域に移り住んだ私ですが、

一言でいえば、東京暮らしに固執する必要はないのかなと。

 

もちろん、出版・メディア・広告・芸能・流行に敏感な商品開発など、

東京でしか回らない仕事があるのは大前提です。

しかし、東京にいなくてもやっていける仕事は沢山あります。

 

私は不動産の仕事をしている方と定期的に会話していますが、

2017年の東京では、不動産業界のプロでさえ、

商売のタネにする物件に手が出ないほどの地価高騰状況だそうです。

一般的なサラリーマンでは、新築マンションを購入することが難しく、

中古マンションを選ばざるを得ないという記事もありました。

 

その状況にありつつも、依然として地方から

東京近郊への人口流入は続いており、企業の地方移転も進んでいません。

 

一方で、日本で企業活動を行なっていく事業の中心は、

製造業でも、サービス業であっても、

直接の手作業を施す必要がない

考え方の価値を提供することが中心になりつつあります。

つまり、どんな環境にいてもできる仕事が増えています。

 

それなのに、地価が高く、様々な日常生活を

金銭に置き換える必要がある東京にこだわる必要があるのだろうかと、

私のような非東京在住の人間は感じることが増えてきました。

 

何故ならば、いざ東京で打ち合わせが必要な仕事があれば、

事前予約を行うとLCCでかなり安価なコストで九州から出向ける時代です。

交通費をかけられる仕事であれば、

岡山・金沢・富山・新潟・仙台・福島などなど、

新幹線で、東京までの一日出張が十分にできるエリアは広がっています。

 

22歳から60歳まで一つの職場で働くことができ、

その後は安定的に受給できる年金制度が安泰だった時代は既に終わりました。

 

それなのに、年中人が多い環境で生活し、満員電車に数十年揺られ、

広くない家で生活することを当たり前に過ごし続ける価値観が、

続いているのは、考えてみればちょっと変ではないでしょうか。

 

もちろん東京近郊で、他者から仕事を積極的に求めらる人材は、

所得水準が高いはずなので、都市部に住み続ければ良いのです。

 

しかしながら、仕事に行きたくないと感じている人は山ほどいて、

彼ら彼女らが、田舎に行けば即戦力に感じる地方企業も沢山存在します。

せめて、そういったチャンスがあるのだということは知ってほしいものです。

 

東京では、人口集積が大きいので、企業においても公的機関についても、

一人の力で物事を変えられる可能性が低いのが現実です。

もちろん、果敢に社会を動かしているベンチャータイプの組織を除いて。

 

しかしながら、田舎では企業においても、行政機関においても、

組織の規模は決して大きくないので、一人一人のスタッフが、

全組織に与える貢献度は非常に大きいのが現実です。

 

もっと、身の丈にあった暮らしを提案し、

様々な仕事のやり方を示していくのが、これからの日本を

もう少し面白く変化させる一つのやり方かもしれない。

 

私は、2017年1月ぼんやりと東京を電車で、車で、

行き交ってて感じた次第です。

 

「もっと面白くできる」東京も、東京以外の田舎も。

諦めない心

諦めてもいいんじゃないかなあ、色々と。

 

JUGEMテーマ:田舎暮らし

つぶやき | 09:21 | comments(2) | - | - | - |
2017年は、トップがソウセイと言える元年に。

地方創生を掲げる「まち、ひと、しごと創世総合戦略」が提示されて2年が経過したが、

地方の社会環境が大きく改善されたと思われる地域は、非常に少ないことが容易に分かる。

人口減少は、私の家族が関連する地域全体に及び、その抜本的改善策を見通せない。

 

そもそも、日本の歴史始まってこの方、国の政治中枢から指示されて改革が進んだ時期はほんの僅かしか存在しない。

残りの期間は、ほぼ全て地方が地方なりの色を出して、地域を統治してきたのが日本という社会である。

 

海に面する場所、山に囲まれた場所、

幹線道路が走る場所、鉄道が通る場所、

港湾に面する場所、空港に面する場所、

人口が集積する場所、人が住みにくい場所、

日本と一口に言っても、街の景色は多種多様で、そこに暮らす人々の生き方も様々である。

 

それを右に倣えで、まとめていくことに持続性を求める方がおかしいという現実にそろそろ気がつく時期ではなかろうか。

 

江戸幕末時代の長州藩主 毛利敬親は、『ソウセイ候』と陰口を叩かれるお殿様であった。

ある時期、毛利家を幕府に対して反旗を立てるべきと提言する家来に対して「ソウセイ」と告げるも、

別の時期になり、権力闘争の結果交代した家来が幕府に対して恭順を誓うべきと提言すればまた「ソウセイ」と告げた。

 

つまり敬親公は、時代が変化することで、藩の政治が右左に揺れることを理解し、どちらかに固執することをせず、柔軟に指示を変えた。

 

時代が変化している時期に、最も変わらなければならないのは、組織のマネジメント層であり、そのあり方は『ソウセイ』なのだ。

 

個人は、時代の変化を感じていれば、変わらなくてはという意識を発揮する。

何故ならば、それが自らの将来を保証する唯一の術なのだから。

 

しかし、個々人の属する組織の力は絶大で、その組織で生計を立てるのであれば、

組織の長が間違っていたとしても、構成員は基本時にそれに従っていくのが、現代日本社会の多く国民性である。

 

だからこそ、国家という大きな仕組みから、小さな企業に至るまで、

構成員の感じる社会へのアンテナからの声に「ソウセイ」と言えるマネジメントが求められるのが、

改革の進まない日本に対する唯一の処方箋ではないのだろうか。

 

少なくとも、私はわが町のトップがある面で『ソウセイ候』だからこそ、職員さんがイキイキ働いているのを垣間見て、

その結果多くの実績を上げているのを目の当たりにしているからこそ、自信を持ってこう提言したい。

 

つぶやき | 13:20 | comments(2) | - | - | - |
2016年を振り返って

今年も残すところあと僅かの日数になりました。

世間一般に合わせるわけではないが、私の今年一年を振り返ってみます。

 

一月  嫁さんの親戚にご挨拶に伺う(まだ結婚前)

三月  東京都北区より国立市に転居

四月  27日当時勤務先に最終出社

四月  28日東京都より長崎県に転居

四月  29日はさみ陶器まつりに本部スタッフとしてアルバイト参加

五月  7日入籍

五月  9日波佐見の窯元にアルバイトとして入社

八月  末日頃波佐見町議会議員への出馬意思を周囲に伝える

九月  末日窯元を退社

十月  18日告示、23日当選

十一月 1日波佐見町議会初招集

 

8年以上働いた会社を転職、結婚、選挙への立候補と、

大きな転機を迎えた一年になりました。

 

もちろんながら、この過程においては

数多くの方に多大なるご迷惑をおかけしたことは言うまでもありません。

当時の職場の皆様、取引先の方々、家族等々。

そして、選挙に際しては地域の方に大きな負荷をおかけしました。

 

そうして、今12月末の現在、昨年の同じ時期とは

全く違う土地で、全く違う属性で一日を送っております。

 

もちろんながら、私自身ですらこのような境遇の変化を

完全に想定していたわけではありません。

 

しかしながら、自らの決断を全て他人任せにしていた訳ではありません。

少なからぬ感覚として、もしかしたらこのような

選択を行うかもしれないという可能性は感じていたことは事実です。

 

自らの社会人生活でも最も長い職歴を捨て、

東京から九州に移り住むにあたっては相当な逡巡がありました。

地方議員への立候補については、幼い頃から選挙というものに、

どこか他人事ではない関わりを持っていたことも事実です。

 

しかし、結婚も含めて全ての決断に、

全く不安に感じることがなかったかといえば嘘になります。

 

様々な方のアドバイスに心が揺らいだことは数えきれず、

もう少し決断を後にしても良いのではないかと何度も考えました。

しかし、私の中で10年来決めていたことがあります。

 

35歳という一年は、自分自身が大きく変化する歳なので、

決断を先延ばしにすることは止めようと。

 

もちろん、今年に行った決断が成功なのか、失敗なのか、

その結論は、長い時間が経たないと判断できません。

 

しかし、今自分が信じたことを決めて行動することで、

少なくとも、明日が面白いと感じるのであれば、

多くの方の迷惑はもちろん念頭に置きつつも、

とにかく動いてみようというのが、今年一年のテーマでした。

 

来年は、そんな決断した結果が少しずつ、

自分自身の人生に降りかかってくる一年になります。

辛いことも、投げ出したくなることも、多々あるでしょう。

 

しかし、自分自身が決断した結果生じる事実ですので、

一つずつ片付けていく他ないと覚悟しているつもりです。

 

 

別に大きいことを言うつもりはありません。

しかし、様々な問題点が、変化を嫌うことから生じているのではないでしょうか。

特に、社会全体を覆うような大きな事象については尚更に。

 

世の中は、常に変化しています。

人々の生き方も、それに合わせて少しずつ変化しなくてはなりません。

もちろん企業も、自治体も、政府さえも。

 

小手先の変化で当面を凌ぐことはできたとしても限界があります。

大きな変動が起こっているのに、ちょっとした調整で済ませていれば、

いずれ対応ができない状況に達した時、物事は大きく崩れてしまいます。

 

2017年、今年よりも大きく世の中の変化が起きるのではないでしょうか。

 

私はそんな気がしているので、今年自分自身が起こした変化は、

それに対応していくためのきっかけにできればと考えています。

JUGEMテーマ:モチベーション

つぶやき | 22:56 | comments(0) | - | - | - |
右耳に現在、左耳に歴史、右目に田舎、左目に都会を意識して今を生きる。

私は、長崎県の波佐見という焼き物の町で、

4月末から暮らし始め、5月上旬から陶磁器製造職人の見習いをしています。

月曜日から土曜日までほとんど職場にて立ちっぱなしですが、

同じように春先から波佐見で働いている方に比べれば、

かなりの職場以外の方と接していると自負しています。

 

電話やLINEでのやり取りを含めると、東京・波佐見合わせて、

金曜日夜から日曜日夜にかけて15人以上の方と5分以上会話しました。

(8割以上は呑みながらなので内容は濃くはないですが・・・)

職場、これまで仕事してきた同僚、これから仕事で関わる人々、波佐見の人々など、

そのやり取りはかなり広範囲に及んでいるはずです。

 

会話の内容は、仕事に関わるものが多いのですが、

その内容もこれからのこと、これまでのこと、

私が知っている範疇のこと、直接は知らない歴史的なこと、様々です。

 

私は、幼い頃から歳上の方のお話を伺うことに全くの抵抗がなかったので、

35歳の今になっても、数々の先輩から多方面のお話を伺うことは、

楽しくして仕方ありません。それが自らの血となり骨となることを疑いませんので。

 

表題にあげた通り、過去現在(将来)、都会田舎、様々な視座を持って、

人々と会話をしていくと、一つ一つの単調な話題でも深みが生まれてきます。

 

会話とはキャッチボールなので、誰かが投げたボールに対して、

適切なボールを投げ返さないとそのラリーは続かない状態となり、

面白いだろう会話もどんどんつまらなくなってしまいます。

 

また、自分よりも年下の人に会話する機会がそんなに多くのないので、

気を抜いてしまうと、偉そうに上から目線での会話になってしまう点は、

要注意であることは会話をした翌日に反省しています。

 

東京で9年以上生活してきて、それまで接点を持たなかった人と、

いかに関係性を築いていくのかというスキルは多少身につけたつもりです。

それを田舎である波佐見でもしっかり活用しつつ、

飲みニュケーションが必要不可欠である田舎なりの人々の繋がり方を

しっかり意識しながら、波佐見生活4ヶ月目の日々を送っています。

 

 

たくさんの人が都会から田舎に生活の中心を移して、

自分の境遇を理解してくれないと悩みを抱えていることでしょう。

ちなみに、私は波佐見に生活の拠点を移してそんな悩みは一ミリもありません。

 

なぜそんなことを言い切れるのかといえば、一期一会という言葉を

強く意識して、一瞬一瞬に意識を集中しようと思っているからです。

 

初めて出向いた飲み会の席ではとりあえず、

美味しいお酒や食べ物に意識を集中して、

何かしらの接点がありそうな一人の参加者との会話を

一生懸命こなしてみようと注意します。

 

一人と深く仲良くなれたならば、必ずその人のお知り合いに接する機会が生まれます。

しかし、不特定多数の人々と浅い関係になったとしても、

改めて知人を紹介しようというレベルに達するのは困難の極みでしょう。

 

まずは自分が立っている目先にどんな感動があるのだろう、

その意識に忠実になって、一つ一つの出来事に意識を集中してみる。

そこで出会った人々に、その想いを自分なりの表現で伝えてみる。

 

そこから出会いの深みが生まれてくるのではないでしょうか。

 

私は13歳で新聞配達を始めることで仕事人のキャリアをスタートしました。

そのきっかけがそうさせたのかはわかりませんが、

決まった一つの世界でも色々な可能性が広がることを強く信じています。

 

ビジネスチャンスがないないと嘆く前に、

自分が出会っている普段の出来事をしっかり掘り下げてみてはどうでしょうか。

 

歴史的に見て、将来的に見て、ビジネスとして見て、プライベートとして見て、

どんなプラス面・どんなマイナス面を持っているのか、

視座を変えてみると、案外気づかなかった価値に気がつくかもしれません。

 

特に人間はそれが濃厚に言えます。

ある仕事では十分なポテンシャルを発揮できない人であっても、

ある側面では、その人にしか成しえない成果を生みだしたりします。

 

多様な価値観は、多様な可能性を見出します。

限定されてた閉ざされた価値観では、どんな底力がある人でも、

ある瞬間的な結果だけで判断され、本来の持ち味を見つけることは困難です。

 

今日よりも明日は絶対に楽しい1日になる。

そう心に強く意識を持って、出会う出来事を多面的に考える癖を身につけたいものです。

それこそが、自分自身の可能性を高めてくれると私は信じています。

 

以下の写真は、2016年7月3日に仏画家である中田恭子さんと16名の画家によって

波佐見町の水神宮に奉納された天井画です。

華やかで、非常に力に溢れた素晴らしい作品でした。

水神宮天井画

JUGEMテーマ:モチベーション

つぶやき | 23:57 | comments(0) | - | - | - |
東京を離れ長崎県での生活1ヶ月半で思っている事。
私は、このブログのプロフィールにも記載している通り、
福岡県の都市部ではなく田舎地域の出身です。

高校卒業する18歳まで八女市に生活し、山口県下関市の大学に通い、
全国に拠点がある東京本社の企業にて広島市に配属になり、
転職を経て、東京に約9年間ほど生活を行いました。

数年前から東京暮らしを卒業しようと漠然と考えていましたが、
仕事やプライベートなど様々なことを勘案した結果、35歳になったタイミングに、
九州への移住を決意し、長らく出かけていた長崎県東彼杵郡波佐見町に移り住みました。

とはいえ、仕事も住居もきめておらず、まったく行き当たりばったりで、
身の回りの着替えなど小さな段ボールひとつの荷物で、
それまで4年近くに渡って度々お邪魔していた
知人のお宅に居候させていただくことになりました。

それまでに10回以上の波佐見訪問を繰り返していた私は、
一瀬町長を始め、多くの方と気の置けない関係を築くことができていたので、
特段の違和感もなく、東京暮らしから卒業することができました。

先行きは明るそうですが、結婚したばかりの奥さんは東京に残していますし、
仕事は見つかったといえどもアルバイトの身分です。
住み家は、1ルームのアパートを三万円で借りることになりましたが、
波佐見での生活に必要不可欠な自家用車は知人からお借りしている状態です。

東京など都市部で生まれ育った人々には、信じられない出来ことも多く、
会社の中にヤモリが行きかっていたり、コンビニ以外大半のお店が21時に閉まったり、
トイレが水洗で無かったり、年配の方の方言がいまいち理解出来なかったり、
田舎または、この土地ならではの難しいと感じる点は多々存在します。

一方で自然の恵みは素晴らしく、他者の温かさを感じることも多く、
何かしらの目的意識をもって暮らす人にとっては、
決して難しい生活環境で有るとは私は感じていません。

もちろん前提として、私が都会でも田舎でも生活した経験があるからこそ、
そういった感覚を持ちうるのだろうとの意見もあるでしょう。

しかしながら、一人一人の性格や育ってきた環境などによって、
どんな生活環境がもっとも適合しているのかは、千差万別であるはずです。
都市部に生れた人であっても、田舎暮らしに向いた人はいるでしょう。
田舎に生れた人であっても、他社との関わり合いが苦手な人もいるでしょう。

私のブログに検索エンジンからやって来る人の一定数が、
「東京で生活する意味」だったり、「東京を離れる」だったり、
様々な意味で都会で生きていることに悩んでいるのかなあ思っています。

生活する場所を変えて解決する問題も多数存在するでしょう。

ただし、今いる場所で何が問題になっているのか、
新しく生活しようと思っている場所で何を目指していこうとするのか、
その辺りのことが明確になっていない状態で悩んでいても、
根本的には生活環境を変えても、日々の悩みは消えないのではないかと私は感じます。

私は、長崎県に移り住むことで、それまで9年近く働いてきた退職しました。
一緒に住み始めたばかりのパートナーとも離れて暮らすことになりました。
生活費は下がりますが、給料は大幅に減少しました。
インターネット閲覧環境は、Wifiが十分ではなくスマホ依存になりました。
これまで仕事以外の時間を過ごしてきた多くの人々と別れることになりました。
通勤時間がなくなることで、趣味である読書時間も大きく削られることになりました。

そんな多くのマイナスポイントが有るにもかかわらず、
現在のところ、一切のストレスを感じておらず、
沢山のこの土地に住む人々の教えをいただきながら、
日々を非常に充実したカタチで送らせて頂いております。

それは、私が人と人を繋ぐことを仕事にしようと決めた点からこそ、
余計な悩みに立ち止まる事なく、明日を向けて行動を出来ている結果だと考えます。

住めば都という言葉がありますが、田舎に住んでも都会に住んでも、
何らかの自分視点を持たないと周りに流される生活を強いられます。
私もそんな時期がありましたが、結構きついものがあります。
何のために日々生きているのかと、存在意義を疑う気持ちすら抱えることになります。

どんな環境に暮らしたとしても、その土地にある楽しいポイントや、
面白いと思える人々を探していけば必ず見つかるはずです。

終わりなき旅をやっているような人生ですが、必ず上がりがやってきます。
上がりをどこかで意識しつつも、今日がどうしたら楽しくなるか、
それだけをしっかり見据えておけば、日常に悩んでいる時間は微々たるものになります。

田舎で暮らして1ヶ月、鳴り止まないカエルの鳴き声が、
心に響いてくる平穏な時間を有難いと思える気持ちを忘れないように、
今後も精進していきます。


JUGEMテーマ:田舎暮らし
つぶやき | 06:20 | comments(4) | - | - | - |
今日見た夢の話 〜誇るべき先輩〜
久しぶりに夢を見て、涙を流してしまったので、この場にメモすることにします。
ストーリーは、卒業した中学校の生徒を前に自らの仕事について講演をする場面です。
(以下夢の中のお話です)

私は、全日空の整備士です。
本来ならば、自分の仕事について話をするべき場所なのかもしれませんが、
この仕事に携わって以来、ずっと憧れの先輩について話をさせて頂きます。

私は、高校時代に航空機の整備士になりたいと強く夢を描くようになりました。
何故、整備士を志すようになったのか、はっきりとは覚えていませんが、
幼い頃から旅客機に興味があり、空港に写真を撮りに出掛けていたことは記憶に深く残っています。

高校を卒業し工業系の大学に入学し、整備士になることを夢見て日々勉強を重ねていました。
そんな時に、私がずっと憧れになる、ある先輩と最寄駅で出会ったのです。
私も物好きで、音楽を聴くヘッドホンを整備士が使うヘッドセットを模した商品を利用していました。

ヘッドセットが、どのようなものか分からない皆さんは、
空港で作業している整備士を観察してみてください。
大きなエンジン音などに晒される整備士の鼓膜をガードし、
操縦士や空港スタッフとの交信を行うのになくてはならない商売道具です。

普通のヘッドホンに比べれば、かなり大きなヘッドセットです。
日常に使っている人は殆どいない訳で、街中で見かけると無意識に気になるはずです。
そんな私と同じヘッドセット型ヘッドホンを
同じ駅で利用している大学生が存在することに気がついたのは、自然の成り行きでした。
それが、今日お話のメインになる先輩のことですので、
これからは先輩と呼ばせていただくことにします。

整備士がまだまだ遠い存在だと思っていた私は、
明らかに整備士を目指しているだろう先輩の姿に、
背中を押される勢いで再び勉強に向かう意識を強く持ちました。
大学の授業帰りに電車で自宅に帰るときに、
航空整備の専門書を読んでいると、
先輩も分厚い技術書を読んでいるのが何度も目に入ってきました。
そうこうしているうちに、先輩の姿はいつしか見かけなくなり、
私も大学を卒業する日がやってきました。
倍率は決して低くはなかったのですが、
無事採用試験に合格し航空整備士の道を歩み出すことになりました。

訓練が始まり、再び整備士養成所とアパートを
技術書と睨めっこしながら通う日々が始まりました。
そんな時期に、同じ会社の制服を着た先輩と偶然にも、最寄駅で再会を果たしたのです。
実は、大学時代に何度も顔を合わせていながらも、何も話し掛けることができず、
お名前も存じない先輩のことは、ただの憧れの人に過ぎなかったのです。
同じ会社にいらっしゃることが分かったので、会社の情報にアクセスして、
先輩のことを調べてみて、初めてお名前や年齢などを知ることが出来ました。

先輩は私の一学年上でいらっしゃって、
私が配属されている同じセクションで勤務されていることが分かりました。
訓練当初は、そんな先輩ことを知り得たにも関わらず、日々覚えることが山積みで、
先輩のことはすっかり忘れてしまっていました。
ある日偶然に、再び駅にて先輩と出会う機会がありました。
先輩から当然に話し掛けられたのです。
『同じ大学だったよね。毎日頑張っているね!』
たったそれだけのお声掛けでしたが、私は舞い上がってしまい、
何も返事できず、笑顔でお辞儀をすることしか出来ませんでした。

たったそれだけの出会いでしたが、日々の訓練にヘトヘトになっていた私は、
夢にみた仕事に就けた喜びを忘れていたことに反省し、
気持ちを切り替えて仕事に取り組むことにしました。
何とか養成所を出て、通常業務に就く整備場に配属され
少しずつ現場の仕事を任されるようになりました。
別の持ち場で働いていらした先輩とは、出張の時など、
たまに顔を合わせて軽く会釈するくらいの日々のお付き合いでした。

しかしながら、社内報の技術コーナーでは、
いつも新しい効率的な仕事の提案をなされている先輩のお名前を目にしていました。
他の先輩のアドバイスはもちろん耳にして実行しようと心掛けていましたが、
長らく憧れの存在である先輩の提案は、率先して日々の業務に取り入れるようにしました。
紙面での指摘の通り、すぐに自分自身の仕事がスムーズに行くことにびっくりして、
改めて先輩の仕事ぶりに感銘を受けた日々でした。

また月日が経ち、私も家族を持ち、様々な職場を経験し、
先輩と出会う機会が全くない日々が続いていました。
ある日、偶然駅で見かけた先輩は、ずっと憧れてきた凛とした表情が失われていて、
暗い影を背負っているかのようなお疲れの様子でした。
社内の事情通の知人に調べてもらったところ、
先輩はその時、精神的なストレスから一時休職されているとのことでした。
知人が知人から耳にしたところによれば、常に変化をモットーとする先輩は、
同じ職場で働く新しい考え方を相容れない同僚と意見対立し、
相当に悩んだ日々が続いて心労が溜まったのではないかとのことでした。

私は、何度かメールや電話で先輩にアクセスを取ってみましたが、
素っ気ないお返事がくるままで、
なかなか腹を割った話をすることが出来ませんでした。
本当は、
「これまでずっと先輩に憧れて働いてきました。
これからも再びあの輝いていらした姿を見せて下さい」
そう伝えたかったのです。
ただ、それを本人に伝えるだけの勇気は、とうとう私には得られませんでした。

その時には、今日この中学校で講演いただく話を頂戴しました。
何でも、先輩と揃って招待されているとの嬉しいお話てす。
この機会に先輩に少しでも想いを伝えたいと、
当初出席を断られていらした先輩に何度もお電話して、
是非中学生達に少しでもメッセージを語って欲しいとお願いを繰り返しました。
ご本人には迷惑であったと反省していますが、その結果今日この場所に、
私の大好きでずっと憧れの存在である田中先輩がお越しいただきました。

私が皆さんに伝えたいことは、夢を見ることが大切だということです。
加えて、遠い夢を持つのはもちろん大事ですが、
身近にいる先輩を一生懸命目指して欲しいと思います。

大きな夢を見ていると、
毎日のこととの差が大きすぎて迷うことが多くなります。
けれども身近にいて、頑張っている先輩の姿を見ていれば、
自分が何をするべきなのか直ぐに分かります。
その先輩に少しでも追い付いて、
追い越せるような気持ちを持って毎日取り組んでみてください。
最初の目標は、憧れの先輩に『頑張っているね』と一言声を貰えることだけで良いのです。

毎日少しずつでも、出来なかったことが出来るようになれば、
1年後10年後には、とてつもない事が出来るように大きくなれるはずです。
その時その時に、必ず自分の目標となる先輩を見つけ、
その先輩の全てを盗めるように、必死で先輩の姿を観察してみてください。
気がついた頃には、自分自身が実力を持てるように成長しているはずです。
そして、その頃には、先輩のようになりたいと憧れてくれる後輩が存在しているでしょう。
そんな後輩が出来た時には、自分の負荷を省みることなく、
相手の立場に立って優しく指導してあげて下さい。
それが必ず、自分自身の価値を高めることに繋がります。

整備士としての私を育てて下さった田中先輩を始め、
私は数多くの人生の先輩の作品の1つに過ぎません。
皆さんも、これから沢山の先輩に出会う人生という旅を楽しんで下さい。
辛いことも悲しいことも、ひとりでは到底乗り越えられないようなことも、
先輩に負けられないという気持ちがあればきっと上手く解決できるはずです。

私は、誰かの先輩として頼りになる存在とは程遠いのですが、
こんな先輩風を吹かせて、お話を終わります。
長くなりましたが静かに聴いていただきありがとうございました。

つぶやき | 06:33 | comments(0) | - | - | - |
今日で9年間の仕事終わり。
本日をもって、約9年間の職場に終止符を打ちました。
社長の音頭で、社員の皆さんに惜別の挨拶をしたり、育ての親である会長が帰路につく際にも平気だったのに、
職場を後にする時にオフィスを写真を撮った瞬間に涙が止まらなくなりました。

仕事をする動機は、報酬だったり、評価だったり、仕事の中身の満足度だったり多様ですが、
やはり日本人として仕事をやるモチベーションの多くは、
同僚と如何にお互いの労を労える環境を築けるかどうかで はないでしょうか。

私が働いた仕事場は、右上り産業に属する訳でもなく、上場を目指すイケイケどんどんな会社でもありませんでした。
しかしながら、働くみんなの顔が見えるとてもこじんまりとした飯場でした。
決して利益を際限なく上げられる会社ではなかったのに、従業員のことを考えて給与を頂戴しました。
たまに臨時に出勤もありながらもほぼ週休2日(月1出社)にて家族との時間をきっちり顧みて下さりました。
会社の方針を決めるのに、経営者が独断で決断せず、きちんと状況を説明し、
社員の意思を踏まえた上での方向性決定をなしていました。
アルバイトであれ、社長であれ、会社のために良いと思える意見には、発言者を問わず、すぐに全社に取り入れる会社でした。
社長以下、社員全員に専属部門があり、そのセクターは他者が口を挟めないほどの威厳がありつつ、
責任を持たされている自己完結型のチームでした。

数えあげればきりがないほどに面白い仕事場であったことは間違いありません。

もちろん、いろいろな局面で、自分自身の想いとのズレがあり、こんな会社辞めてやる、そう思ったことは一度や二度ではありません。
ただし、誰に慰められるでもなく、仕事に打ち込んでいると、やっぱりこの会社で働いていることは楽しいことだと自分自身で気が付いたのです。
だからこそ、今日まで仕事に打ち込むことができました。

今日、職場をあとにする際に、オフィスの写真を撮りました。
その瞬間になんとも言えない感情が胸を襲い、思わず涙が溢れて止まらなくなりました。

それは、自分がこの場所で働けたことがどれほど幸せだったのかと、改めて感じたからに他なりません。
社長が掛けてくれた一言一言が、ぶっきらぼうながら愛情に溢れていたこと。
日頃は人間味のないような同僚が、がっちり握手をしてくれたこと。
呑みながら愚痴を吐いている同僚が、最後の最後に仕事の質問をしてくれたこと。
それを傍目で聞いていた最年少の同僚が、きちんとメモを取ろうとしてくれたこと。
全てが、私への餞の好意であるような気がして、今はただただ胸を熱くしている状況です。

私も、転職を経験した身であるので、この仕事場以外に属したことがあります。
だからこそ、この限られたメンバーが唯一無二の価値を発揮して、会社を盛り立てていた意味が少しは分かるつもりです。
みんなぶっきらぼうで、決してPR上手ではないのですが、心は熱い奴ばかりなので、
私自身そんな熱い想いを持ちつつ仕事が出来ました。

何もかも中途半端だったにも関わらず、多くの取引先さんから、『ありがとう』の言葉をかけて頂きました。
そのメッセージを読ませていただくたびに、各取引先さんに対して仕掛かった仕事が浮かび居た堪れなくなります。
どれもこれも中途半端だと。

そんな状況にも関わらず、私の門出を祝福して下さる担当者の皆さんには、ただただ頭を下げる他に、報いる方法が浮かびません。

これから、全く別世界において、仕事に取り組むつもりです。
しかしながら、今まで共に仕事していただいた皆さんの好意を無駄にしたくはありません。
少しでもご恩返しが出来るように、ちょっとずつ皆さんのメッセージを思い返しながら、1日1日励んでみます。
JUGEMテーマ:モチベーション
つぶやき | 23:55 | comments(2) | - | - | - |
これからの私がやっていく仕事の方向性
日々、どんな仕事がこれから30年続けられるだろうか、
おぼろげながら考えている。

一言で言えば、「困った時のお友達を作る」
このサポートしかないのではないかと今のところのビジョンだ。

生活のいろいろな場面で、社会生活を営む上で、
いろいろな困った場面に直面する。

資本主義社会で生きている人々にとって、
大半のことはお金があれば解決出来るのかもしれない。

生まれた人を育てること、
小さな子供を教育すること、
会社を大きくしていくこと、
会社の利益を増やしていくために売り上げを増やすこと、
税金を納めること、
満足な医療を受けること、
見知らぬ土地に旅をすること、
身体が動かなくなったときに誰かに看取られること。

あげればきりがないが、資本、つまりお金が中心の
価値観に存在する人々にとって、様々なできごとを
金銭的に手助けされている環境こそが、
生きていくということと同義になっている。

しかし、ちょっと立ち止まって考えてみたい。
収益構造が上手く出来てお金が無尽蔵に溢れている環境だったり、
誰もが働かずにロボットなり機械なりが利益をもたらしてくれる環境で、
特に労働せずに生きていける状態になったときに、
人が生きることの満足度をどこで得ていくのだろうか?

ドバイの富裕層が沢山のリゾート地と、
ケニアのマサイ族が自然と戯れている田舎の集落を見学した、
佐賀市の経営者である後川氏はおっしゃっていた。

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お金が溢れている資本主義の先頭にいる人も、
お金の価値に全く意義を感じていない人々も、
何もしないでも笑って、自らが好きなことをやっていた。


この光景を垣間見た時に、
利益を出すために、売り上げに追われて、
日々の仕事に追われている我々日本人は、
果たして何のために生きているのだろうかとバカバカしくなった。

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人間と動物の間に一線が引かれている唯一のポイントは、
人間は関わりあって生きることに最大の満足を見出すことにある。
動物は関わりあうことは、自らの生命を守るための手段だが、
人間は、関わり合いながら、自らの存在価値を認めていることが、
生きていることの目的であると言える。

だからこそ、困った時に誰にも相談できないまま、
自らで死を選ばざるを得ない人が、日本では何万人も存在する。

この大前提を踏まえてみた時に、日本政府自体が、
自らの予算を執行するための予算を税金で賄えず、
借金である国債に頼らざるを得ず、
大企業の大半も、社債や株式発行で得た他人資本によって
生業を得ている環境では、
ほとんどの国民一人一人が、自らの自己資本で、
生活を維持していくことには無理があるというのが実態である。

つまりは、お金が全てを解決することをわかっていながらも、
すべてをお金で解決することが現実的に無理だというのが、
日本の大半の人々のライフスタイルである以上、
お金を使わずに、どうやって日常の困ったという場面を
カバーしていけばよいのか、それをサポートしていくことが、
これから求められるあり方なのではないだろうか。

この仮定に則り、私のこれからの働き方は、
一人の誰か困ったことを持っている人を見つけた時に、
それをサポートしてくれる別の人々を見つけ出し、
その人々同士を繋いでいく役割を担おうと決意した。

ある道具を数十年使っていたけれど、もうその道具を作っていた人が
亡くなってしまい修理をする人もいなくなったけれど、
誰に尋ねればそんな道具の代わりのものを作ってくれるのかわからない。
そんな方のニーズを汲み取って、職人さんに道具作りを依頼する。

子供が勉強に対してやる気を見出せなくて困っている、
塾に行っても、なぜ進学すべきなのかが理解できずに、
勉強自体にやる意味を見出せない、
そんな親御さんの悩みを汲み取り、子供が本当にやりたいことの
将来を見出せる大人を紹介し、その大人が歩んできた経路を踏まえ、
今勉強する意味を明確にしてあげる。

自分たちが作った商品があるけれども、
売り先が見出せずに、倉庫には在庫が積み上がっている。
どうすればその売り先が見つけられるのかわからないけれど、
お客様から具体的なニーズを把握できれば、どのような商品を作れば
その解決策となるような状態を導き出せるのかは答えが出せる。
そんな作り手さんに対して、商品を欲しているお客様を全世界から見つけてくる。


個人であれ、企業であれ、私が得意とするのは、
その悩みを持った人々が「これが困った」と発言した時に、
それにはこの解決策があっているのではないかと見極めて、
おそらくこのような人々が解決策を持っているのではないかと、
あたりをつけてあげることではないかと朧げながら考えている。

まだまだそれを金銭に置き換えられる具体的な価値として、
提示できるレベルにまでは達していないのだが、
これまでに生きてきて出会った人々からの反応を踏まえ、
私が生きている価値は「検索」にあると定義している。

Googleがどんなに進化したとしても、それを使う人が
モヤっとした検索キーワードしか入力できずに、
欲しい答えに辿りつけないとするならば、
そのキーワードはずばりこれでしょう!と提示できる役割を
私が見出せるとするならば、世の中に存在する価値があるのではないか。

そんな漠然とした自信だけを頼りに、
今後、人と人を繋ぎ合わせるヒューマンな仕事に取り組んでいきたい。

どうやってお前は生きていくのか、心配してくれる人が
全国の至るところに存在している私だからこそ、
そのエッセンスの一部を、それがわからない人に
提供するだけで、大きな自信につながり、喜んでくれる。
それだけで、私は幸せに思うならば、これを仕事にしなくて、
他に何をするというのだろうか。

そんなことを今回も波佐見の旅で、
沢山の方に私という人物を気にかけてくれているという事実に
触れるにあたり、改めて感じることができた。

皆様、本当にありがとうございます。
JUGEMテーマ:田舎暮らし
つぶやき | 16:27 | comments(2) | - | - | - |
東京を離れるにあたり雑感
東京で暮らすこと、田舎で暮らすこと、
どちらにも一長一短があることはわかっている。
社会人生活をして約13年が経過して、
途中半年近くの実家暮らしを挟みつつも、都市部での生活を送り続けてきた。

人と接することが嫌いではないものの、何処か心休まらない日々が続いていて、
その突破口がどこにあるのかをこの5年間くらい探し続けていたように思う。

そんな時期に、タイミング良く波佐見の土地に出向き、
多くの人間味溢れる人々と出会った。
彼らは文化的だし、独自性に溢れているし、
それでいてちゃんと社会へのアンテナを立てながら生活をしている。

もちろん波佐見に住んでいる人々全員が、
そんな魅力的でないことは百も承知である。
しかしながら、そんな素晴らしい人生の先輩方が、
何人も存在するというそのポテンシャルだけで、
私はこの土地が大好きになった。

土地に暮らす人々と、他の土地からやってきている人々との扱い方は異なるから、
そんな余所者の味わいは、現地住民になったら味わえないものだという指摘には、
そうかもしれないと頷かざるを得ないのは事実だ。

だからと言って、魅力的な人々が私へ接する方法は、
私が現地に住んでも変わらないという可能性ももちろん存在している。

私は、どの土地に住んだ上で、どんな生活をするかという軸で、
これまで生き方をあまり考えてこなかった。

何かをやりたい人が、一緒にやりたい人を見つけて、
どこでも働けばいいじゃないかと思っていた。

しかしながら、人は環境によって生かされることも、
殺されることもあるという事実を実感するにあたり、
働く環境がその仕事に大きな影響を与えるのだと確信した。

暮らす土地の雰囲気が、その人の精神状態を大きく左右するということを感じた。

経済活動が社会の根底と感じられる現代社会において、
東京で働かないことは、即年収ダウンを意味するもので、
暮らし方を大きく制限さざるを得ない。

しかし、考えてみれば、経済活動は、
人生の根底でないという価値観をしっかりさせておけば、
どんな田舎に暮らしていても、物欲に惑わされることなく、
自らが面白いと思える仕事に取り組めるのではなかろうか。

これまでに政治とか経済とか、現状維持ではダメだと、
何人もの人々が、何十年にも渡って言い続けられているにも関わらず、
経済活動はジリ貧だし、政治の変革は遅々として進まない。

だったら、まずは自分自身が自分を変えるために
新しい一歩を踏み出すべきではないだろうか。
いや、何もやらない人間に、他人のことをとやかく言う資格はない。
それが、私が新しい一歩を踏み出そうとする原点である。

とは言え、これまで築いてきた関係性が東京にいないことで潰えてしまうことも事実である。
後ろ髪を引かれないことは全くなく、あらゆる面でこの決断はリスキーだと感じる。
しかし、新しいものを得ようとすれば、何かを失くすことは避けられない訳で、
そこはどちらに期待度が高いのか、自分自身で判断を下すしかない。

私がやりたいことは、どんな場所で生活しようとも一貫している。
出会ったことがない人同士を結びつけるその媒介を果たすこと。
であるならば、自分自身が色々な人々の価値観を知っていかない限り、
接点がなかった人と人を繋がる可能性を見出せない。

だから都市部の人々の価値観を粗方感じたこれまでと一変して、地方部で暮らす人々の価値観を痛切に感じ、
それを広く発信することが今後最低10年の私のテーマだと考えている。

これからが、私の人生の大きな見せ場になる。
そう決意して、新しいチャレンジに臨みます。
多くの人々の正負の風をしっかり背後に感じながら。
JUGEMテーマ:モチベーション
つぶやき | 07:34 | comments(4) | - | - | - |

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