黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
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747ジャンボをつくった男 ジョー・サッター+ジェイ・スペンサー著 掘知恵子訳
飛行機が、とくにジャンボジェット機が好きな方には、
ワクワクする一冊ではないでしょうか。
また、プロジェクトマネジメントについて考える方にも、
沢山の示唆が得られる素晴らしい著書だと思いました。

多くの人々がご存知のとおり、世界中の空で沢山の人を
運んでいるボーイングが製造するジャンボジェット機「747」。
そのプロジェクトの技術者を取りまとめたジョー・サッター氏が
ボーイング社での仕事について振り返った一冊です。

彼は、ボーイングの本拠地、シアトルで幼少時代をすごし、
飛行機が多数飛ぶ地域で、飛行機の作りに興味を持つ少年として育ち、
やがて航空機の技術者になることを目標にし大学に進むも、
第二次世界大戦により、最初の仕事は海軍に配属されることになりました。

そこで、下級士官として就航したばかりの軍艦で夜間の監視係を
仰せつかった彼は、急激な低温下におかれた船内で、
九死に一生を得る経験をし、帰還したのが信じられないくらいの状況で、
ほとんど船のコントロールができない状態で、なんとか母港に戻ります。

この後終戦を迎え、ボーイングに入った彼は、
二度とこのようなコントロールができない状態に、
乗り物をもっていかないことを強く念頭に置き、
軍用機の技術を土台にした、民間の新しい飛行機の開発に携わります。

戦争で培われたボーイング社の高い技術を
今後の収益の柱にすえようと、ボーイングは民間機分野に注力します。

ジョーは、安全性を第一に、操縦しやすく、経済性が高い
航空機を生み出すために、多くのボーイングが獲得した技術経験を
フル活用し、当時アメリカ航空会社の頂点に君臨した、
パンナムなどの大手航空会社と協力して新造機つくりに取り組みます。

当初は、ダグラスなど他の航空会社に後塵を拝していた、
ボーイングの民間機部門でした。プロペラ機の世界では、
技術力、快適性などは優れているものの、他の会社にセールス的には負けていました。

しかしながら、ジェット機の時代が本格的に到来すると、
それまでに培われた風防実験成果や、高い高度に耐えられる設計などが
一気に開花し、ダッシュ80と呼ばれる初の技術開発用のジェット機を
登場させたのをきっかけとして、一気に民間航空機のトップを
ボーイングという会社が固めていきました。

その初のボーイングのジェット機から、チームに入ったジョーは、
空力チームのトップとして、1950年代後半ボーイング707を世に出します。
それから、727、737と世界中の航空会社に需要に応える
ジェット機を開発していったボーイングでしたが、経営は火の車でした。

というのは、丁度その時期ヨーロッパ・アメリカ・ロシアの三極で、
超音速の旅客機開発が進められていて、莫大な国家予算が投入され、
ボーイング自体も会社が傾くほどの投資をした開発が進められていました。

技術の進歩が間に合わなかったこともあり、このプロジェクトは難航を極め、
最終的は、計画が中止されるまでに、かなりの人的・資金的不可を
ボーイング全体にかけていたのでした。
しかも、もっとも注力されるプロジェクトであったために、
社内の優秀な技術者は、ほとんどが超音速機開発に従事していました。

こんな中、新しい航空産業時代を切り開くべく、大型ジェット機
ボーイング747の構想がアメリカの国際線を牛耳っていたともいえる、
パンナムからボーイングに寄せられました。
そのプロジェクトの技術責任者に、ジョーが任命されました。

当初、オール二階建ての飛行機を作るような顧客要求であったのですが、
ジョーは、構造上、使用上さまざまな要素から、オール二階建ては
飛行機として効率的ではないと確信していました。

結果的に顧客要求を退けて、ほぼ1階建ての2階部分に
操縦室とわずかな客室がある、現在の747のスタイルに決まったのですが、
開発期間は、これまでのジェット機開発よりもはるかに短い、
通常の3分の2の時間、28ヶ月で1機目を受け取ることを望まれました。

プロジェクトチームは、キャリアはあるものの、すでに引退時期のほうが
近い年配の技術者が多い状態で、当初は頭を抱え気味だったジョーでした。
しかし、部下を信頼し、逆にキャリアが多いからこそ、
多様な技術が集約できると考えて、個性的なスタッフを引っ張りました。

とにかく安全に、経済性が高く、乗客が快適で、人も運べるし、
貨物を運ぶ場合にも効率性が高い、遠くに飛べるけれども、
足腰は強く長い間の運航にも耐えられるなど、本当に様々な要求が
求められるジェット機でした。

しかしながら、エンジンの開発は遅れ、予算が少ないため、人員も少ない状況、
ボーイングの作業工程は、複数の場所にわかれ、ジョーは一日の大半を
移動時間に費やされる始末で、まさに悪戦苦闘状態でした。

しかしながら、プロジェクトメンバーの団結力、
会社の経営陣のプロジェクトに対する理解力、そしてこれまでにないものを
作り上げるという使命感、沢山の航空会社の期待など様々な要素が
組み合わさって、ついに1969年2月9日一号機は最初の飛行を行いました。

1965年8月にジョーがプロジェクトへの召集を受けてわずか3年半で、
ついにジャンボジェットが空に飛び立ちました。
1927年に始めて大西洋単独無着陸飛行に成功したリンドバーグは、
就航したばかりの747を見て、ジョーの前でささやいたそうです。
「やっぱり、あれはすごいな」と。
ジョーは、幼い頃からのヒーローだった、そのリンドバーグの言葉に、
何事にも変えがたい喜びを感じたそうです。

その後、多くの人がおわかりのとおり、世界中の空で、747は活躍し、
当時世界一の収容力を持つジェット機として、沢山の旅客・貨物を運び、
世界中の航空交通網拡大に大きく影響を与えました。

ニューヨークと東京を結ぶ長距離機、
日本の国内線専用の多頻度離着陸対応機、
旅客半分・貨物半分を運べるコンビ機、など多くの派生型を生み出し、
今でも747-800という最新鋭の技術を集めた派生型が開発されています。

その後ジョーは、767の開発に取り組み、最終的に747-400という
コンピューターが大幅に導入され、2人での操縦が可能な
新しい世代のジャンボジェットにかかわり、ボーイングの定年を迎えました。


幼い頃から憧れた世界に、仕事を通して、
これまでに前人がなし得なかった、ジャンボジェットという新しい文化を作り、
多くの人々を空の世界に案内した「ジョー・サッター」本当に幸せな
ビジネスキャリアだったと思います。

私は、飛行機好きとして、また新しい文化を作る仕事をしている場面を
この著書から知り、ワクワクしながら、ページを進めていきました。
プロジェクトの成功のためには、高い志、
揺るがないチームワーク、そして夢が大切だと考えさせれました。

ちなみに来週月曜日に登場予定の飛行機は767型機です。

 JUGEMテーマ:ビジネス
評価:
ジョー・サッター,ジェイ・スペンサー
日経BP社
¥ 2,310
(2008-03-13)
コメント:飛行機好き、組織のリーダーには是非とも読んで欲しい本です。こんなリーダーと仕事したら間違いなく楽しいと思います。

航空 | 00:08 | comments(0) | - | - | - |
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