黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
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「坂本龍馬を英雄にした男 大久保一翁」古川愛哲 著 読了
大久保一翁、ご存じない方も沢山いらっしゃるのではないでしょうか。
龍馬伝ではまだ登場していませんが、勝海舟と並んで幕府の中においては、
きわめて先進的な考え方を持っていた幕臣で、
江戸幕府の最後を迎えるにあたり、大きく貢献した人物です。

大久保氏の人物について著書冒頭での説明を引用します。

『大久保一翁は、五代の将軍に近侍し、海防掛・目付から大目付を
歴任した幕末の高級官僚である。これまで幕末の歴史に
親しんできた読者は、「大久保忠寛」「大久保右近将監」といった
名前をご存じではないだろうか。幕末史の脇役として必ず名前が出てくる。
勝海舟を幕臣に登用し、刎頚の交わりをした人物である。
しかし、この高級幕臣が、幕末期最大の英雄であることはほとんど知られていない。』

といった立場の大久保一翁という人物を探るスタンスで本書は書かれています。
このため、英雄視をあまり好まない人、もしくは幕末の他の志士を英雄として
受け止める人にはあまり合わない著書かもしれません。

しかしながら、大久保一翁という人々がなした功績の割には、
あまり認知度がないのも事実であり、その人が行った行動を知るには、
最適な新書であると、私の感想です。

著書で挙げられている大久保一翁の特質すべき足あとは
以下のようなものがあげられます。
年月はいずれもこの著書の中の記述を参考にしております。

1855年1月 海軍建設の必要性を建白した勝海舟を幕臣に推挙。
1862年10月 松平慶永と横井小楠に「大開国論」を展開。
1863年1月25日 坂本龍馬、沢村惣之丞と面会「大開国論」を語る。
1864年 国会と県議会の構想である、「公議会論」をまとめる。
1868年3月 勝海舟とともに東征軍代表の勝海舟と会談「江戸城攻撃」阻止。
(岩倉公実記)(徳川慶喜公伝)に出席の記述あり。
1868年4月11日 江戸城明け渡しを若年寄・会計総裁として
実質的徳川家最高業務責任者として立ち会う。
1869年6月 権大参事に就任し新政府に政治参加。
1870年11月 静岡県参事(現:知事)に就任。24日で辞職。
1872年4月 「文部省二等出仕」として再び政府職への就任。
1872年6月 「東京府知事」に就任。1875年まで務める。
1877年1月 「元老院」に議官として就任。8年半の出席650回で
発言は、「賛成」のみの21回だけであった。
1888年7月31日 73歳で死去。

確かに表立って政治を動かした張本人とはいえないかもしれません。
しかし、潰されていく側の幕府の中枢に存在しながらも、
幕府以外の身分を問わない志士とも接することで、
自らの信望とする国民のための政治体制を作ることに尽力した一生でした。

とくに歴史に大きく影響したのは、「大開国論」です。
坂本龍馬の「船中八策」、そして「大政奉還」の土台になった考え方です。

著書から内容を引用します。慶永と小楠に語った内容です。

「今度はどこまでも攘夷は国家のため得策にあらざる旨を
仰せ立てられ、しかる上に万一京都においてお聞き入れなく、
やはり攘夷を断行すべき旨、仰せ出されなれば、その節は断然、
政権を朝廷に奉還せられ、徳川家は神祖(家康)の旧領、
駿河・遠江・三河の三州を請い受けて、一諸侯に列せられるべし」

彼は将軍にお目見栄できるクラスの幕臣でありながら、
まだ開明的な志士であっても到達していない、幕府の終焉を
世の中を落ち着かせる唯一の方策として考えていました。
そして、何とか実行をしたいと強く願っていました。

この想いを受け取った、勝海舟、坂本龍馬、桂小五郎、西郷隆盛などの
実行者が動き回り、意見をまとめたからこそ、江戸幕府は
全体が崩壊することなく、終焉を迎えることができたともいえます。

著書にも強く書かれていますが、
坂本龍馬が、幕末において「なすべきこと」と考えたことは、
紛れもなく、大久保一翁氏の「大開国論」であったように思います。
彼は、大開国論を一翁氏に聞いた後にこう語っています。

「及ぶだけの死力を尽くしてみますので、春嶽様(松平慶永)へも
お手紙を御一封頂とうございます。」

そして、その龍馬に託した一翁の春嶽への手紙にはこう書かれていたそうです。

「なお(龍馬らを)決して御見捨てならないように、お国のために
幾重にもお願い申し上げます・・・・おしなべて暴論者の怒りの中にも、
もっともの理由があります。・・・・外国が強いか弱いかを離れて、
天理(自然の理屈)をもって説得すれば、私欲のない暴論は説得できます。
・・・・ただただ説の中で、彼らの意気込みを生かすことが第一です。
これも策計(計略)で丸め込むのではなく、暴論とは申しながら、
実に国のため死を決していることは、江戸人(幕臣)は足もとに及びません。
愛すべき人々です。なお何とか御工夫をして行動をともにしていただきたいものです。」

龍馬が羽ばたいたのは、大久保一翁など、彼を本当に
信じた人々がいたからだと改めて考えさせられた一文でした。

年長者の知恵を、若い人がエネルギーを絞って動かせば、
世の中は変えられる、好例だと思います。
私自身もそうあらねば。

JUGEMテーマ:幕末 歴史
評価:
古川 愛哲
講談社
¥ 920
(2009-12-22)
コメント:龍馬の歴史を知ってから、この著書を読むとなるほどと、大久保氏の功績が納得できます。

読書 | 08:56 | comments(0) | - | - | - |
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