黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
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「公」の思想家 横井小楠 堤克彦著 読了
堤 克彦氏は、日本史の高校の先生を勤められる傍らで、
横井小楠を研究されてきた、熊本在住の郷土史家です。
一度お会いしたいものです。

著書は、数多くの横井小楠が登場する手紙などの数々を
読み解くことで構成されている、「熊本」の横井小楠、研究誌といえます。

著書でも冒頭に触れられている通り、小楠といえば、
福井の松平春嶽藩主のブレーンとしての活躍が注目されますが、
越前藩での活躍は5年程度でほとんどの人生を故郷、
肥前、現在の熊本市内にて過ごしています。

小楠先生は、日本の歴史よりもどちらかといえば、
中国の歴史から考え方を習得することが大きかったそうです。
とくに、歴史を知って、それを現実の世の中に活かすことを
前提として、研鑽を積んだ方でした。
特に、その学問の基盤は、「堯舜三代の治道」と「孔子の教え」にありました。

堯舜について、著書から引用させていただきます。
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小楠書翰には、「二典三謨」の言葉がよく出てきます。
「二典」とは『書経』の「堯典」「舜典」であり、『尚書』の
「大禹謨」「卑陶謨」「益稷」であります。
「堯典」には堯帝の人となりが記されています。
それによると、堯帝は、他人への深い思いやりとつつしみをもち、
その聡明さはよく知れわたっていました。

その上、優れた有徳さをさらに有徳にしようと努めました。
多くの部族の人々はお互いに睦みあい、百姓(多くの職業従事者)は
身分をわきまえ、多くの国々は一緒になって平和な大国を作りました。
そこで諸国民は大いに栄え、平和な暮らしができたのです。
また堯帝は一年や閏月を設けて、政治の基準とし、
四季の「農耕暦」を準備して、百工(種々の職業)を盛んにする方法を考えました。

年老いた堯帝は、後継者に舜を選びました。
舜は低い身分でしたが、頑固な父や口やかましい母によく仕え、
傲慢な弟もよくなだめていました。
堯帝は、舜を本格的に試練することにしました。
舜は、家庭をよくおさめ、五つの法典
(父は義理、母は慈悲、子は孝行、兄は友愛、弟は恭順の家庭道徳)を遵守しました。
また、多くの官吏たちや外国の使節たちもよく従いました。
その上、烈風や雷雨にも一向に動じませんでした。
そこで堯帝は、舜に帝位を勧めましたが断られてしまいました。
しかし、ついには舜は堯帝から「籌」(天文の計算書)を譲り受け、
「濬璣玉衝」(天文観測の道具)で七星の運行を観測し、暦を調整しました。

帝位に就いた舜帝は、各地の諸侯たちに巡守の礼を行ない、
全国の暦や度量衝を統一させ、法式や刑法を整備しました。
また舜帝は、広く諸侯の意見を採用し、その効果と功績に応じて表彰しました。
また十二州の境を明確にし、治山・治水に心を砕きました。

その後、舜帝は、十二州の地方長官や禹・垂・益・伯夷・竜・伯与・朱虎・熊罹などの
諸官に命じて、天功(天帝の事業)を助けさせました。
そして諸官の成績を調査して、天帝の事業がわからない愚かな者を退け、
よく理解した賢い者を昇進させましたので、諸事業はことごとく隆盛になりました。
しかし、やがて舜帝も死にました。
その後、帝位を譲り受けた禹帝は、「身を労し思いを焦がし、外に居ること十三年、
家門を過ぐれども入らず」(「十八史略」)に、陸行・水行・泥行・山行して、
為政・治山・治水・興業など公のために奔走しました。
-----------------------------------------------
(引用終わり)

このような公の心で政治を行った政治家をモデルにして、
私心で政治を行う現状の日本を憂い、公心で政治を行うべき時期に
変化させなければならないというのが、小楠の強い思いになりました。

このために、小楠塾、四時軒という塾を作り、現実の生活に即した学問を
学ぶ場所を作り、若者を教育しました。
結果として、この場所に越前藩士が訪れ、全国の諸藩を旅した結果として、
横井小楠は越前藩に客師として迎え入れられるわけですが、
その生活の場所が変わっても、常に民衆の生活を健やかなものにするには
いかなる政治を行うかを貫いて、様々な人々を説き続けました。

その間には、自らが起した行動によって、批判され、冷遇され、
生活が困窮した事態も多々ありました。
しかし、当時尊皇攘夷派が世の中のメインになる中でも、
外国の優れた文化・経済・技術を取り入れるべきだと考えた、
その開明的な考え方に、多くの人々が賛同し、様々な支援を行いました。


勝海舟、大久保一翁、坂本龍馬、松平春嶽、吉田松陰、
三岡八郎、など本当に歴史の表舞台に立っていた人々との
交流を図って、相互に影響を与え合った人であり続けました。

一つ前の弊ブログに取り上げさせていただいた、
そのメッセージが、小楠先生の真骨頂だと思います。

私も、熊本市の四時軒を訪れまして、小楠記念館で数々の
小楠先生のメッセージを拝見しましたが、かなりの言葉は
今の現在日本にも通用するものばかりでした。

私心を捨て、公心を持つ。

言葉にすると本当に簡単なことですが、
それを行うには、本当に強い志が必要になります。

そして、それを継続するためには、常に一番弱い人々の
気持ちを知ろうとする行動がなければ、人心を得ることはできません。
横井小楠先生から学ぶべきことは、
堤先生も指摘されているとおり、21世紀の日本でも本当に多岐に及ぶと感じました。

JUGEMテーマ:幕末 歴史
評価:
堤 克彦
熊本出版文化会館
¥ 1,575
(2009-09)
コメント:一定の小楠知識がない方にはちょっと読みにくい本かもしれません。横井小楠と勝海舟の手紙のやり取りも収録されています。

横井小楠 | 21:08 | comments(2) | - | - | - |
コメント
from:   2015/03/13 8:10 AM
深沢さん
私は横井小楠本を6冊程度しか読めていません。
が、非常に普遍性をもった人物だったことは間違いありません。
from: 深沢清   2015/03/13 8:03 AM
徳永洋さんの横井小楠は最高に良かったです。これ一冊読んでも分からないから、幕末の本を50〜100冊読むと良く分かります。
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