黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
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飛べやオガチ 木村栄文 RKB 1970

オーディトリウム渋谷にて2月11日から開催されている、

公開講座 木村栄文レトロスペクティブに行き始めて、

三週目にして、やっと9プログラム12作品を見終えました。

加えて、今回公開されていない作品を2作品横浜の

放送ライブラリーに鑑賞してきました。


福岡県に産まれ育って、飛行機が好きな私の独断ですが、

その中では、「飛べやオガチ」が一番お気に入りの番組でした。


放送されたのは1970年ですが、実際に撮影されたのは、

1960年代後半が中心となっているため、

まだまだ日本が高度成長の真っ最中であった時代です。


第二次世界大戦まで1000人もの工員をかかえる前田航研という

福岡の航空機生産会社の社長である前田建一氏が主人公です。

彼は、終戦後占領下で、会社の飛行機をすべて失い、

趣味でもあったグライダーを触ることができない事態である、

民間航空研究すら禁止されていた時代を乗り越えて、

1960年代を高校講師として、生徒と人力飛行機制作に没頭します。


航空工学を指導する講師でありながら、飛行機製作が佳境にさしかかると、

仕事を放って、自宅隣にある製作所にはりつき、寝食を忘れ、

高校生のケツをたたいて、飛行機作りに没頭しました。


息子は冷たい目で見、同僚にはあきれられつつ、

前田さんが飛行機を作るときの目はいつもキラキラ輝いていました。

作業開始から三年をかけて、ついに飛行機が完成し、

競輪選手をパイロットとして、飛行に挑戦します。


しかしながら、事前に生徒に発破をかけていた、

「俺の設計図通りに作れば必ず飛ぶ。」

その言葉は幻となり、一号機が宙を舞うことはありませんでした。


その後も、チャレンジは続きますが、これから先は、

本作品をこれから見る方のために書きません。


このチャレンジの失敗後、前田さんと一緒に人力飛行機作りに没頭した、

第一世代の高校生たちは、社会人として福岡を離れていきます。

彼らは、その後帰省していましたが、三菱重工の社員になっていました。


仮に、1968年の18歳とすれば、今62歳になられるはずです。

現在、三菱航空機という三菱重工発の会社がMRJの生産を開始し、

間もなくYS-11以来、純国産機が日本の空を舞うことになります。

http://www.mrj-japan.com/j/


憶測でしかありませんが、前田さんの遺伝子が、そこにあるとすれば、

小さな失敗が、大きな憧れになり、現実になったと言えないでしょうか。


前田さんが挑戦を開始した1960年代、

人力飛行機で世界記録は100m以下の飛行距離だったそうです。

当時、前田さんはこの世界記録を大きく塗り替えようと励んでいました。

ちなみにその後の、前田さんと福岡第一高校の記録はこちらを参照ください。

http://www.fsinet.or.jp/~active-g/ogatismox.pdf


そのまた前の前田さんが飛行機にはまるきっかけになったグライダー作り。

この詳細データについても、西日本航空協会(現九州航空宇宙協会)の

ウェブサイトに掲載されていました。

http://www.geocities.jp/wjp_glider/what/index.htm


この番組での前田さんは、病を抱え、歩くこともかなり苦しい状態にありながら、

飛行機を見つめる目は、常に少年のように爛々としていて、

飛行場では、病人とはとても思えない状態で飛行機に寄り添って走っていました。


高度経済成長期は、過去の話のことだと批判するのは簡単ですが、

こんなに目が爛々としている10代の子供に負けない60代が、

今日本にどれだけ存在しているでしょうか。

これだけでも、非常に羨ましく感じて、

自分自身もそうありたいものだと強く思いました。


栄文さんの作品には、女性を描いたもの、男性を描いたもの、

どちらも多数存在しています。

だからこそ、見る人によって好きな作品が異なるはずです。

何しろ、その表現方法も作品によって全く異なっていますから。


けれども、どの作品も、放送されてから長い年月が経っていても、

通用する普遍性が盛り込まれていて、飛べやオガチでも、

放送後40年を超えても、ワクワクを私たちに伝えるのに十分なのです。


こんな映像の作り手に出会えてよかったとともに、

前田のおじいさんに画面を通して出会えたことに非常に幸せを感じます。


飛べやオガチについて素敵なブログを発見したので、思わずご紹介。

http://plaza.rakuten.co.jp/kajiya/diary/200807030000/

JUGEMテーマ:ノンフィクション

木村栄文 | 22:41 | comments(2) | - | - | - |
コメント
from: 城後   2015/12/19 5:49 PM
木村嗣生様

このような駄ブログにお立ち寄りいただきありがとうございます。
木村栄文さんの作品をいくつか見させていただきましたが、
飛べやオガチが一番大好きです。
再放送なんて、是非とも見たいところですが、
現在東京在住の身、見られないことが残念でなりません。

ブログじっくり拝読させていただきます。
今後ともよろしくお願い致します。
from: 木村 嗣生   2015/12/19 3:05 PM
 偶々ブログ記述のおり、前田航研でヒットし立寄らせて頂ました、木村です。 「飛翔」が最初で三菱ダイヤモンドアワーで放送、しかもCM抜きの1時間番組「飛べやオガチ」は再編集されたもので、栄文さんのお気に入りでした。 
 設計の段階からお手伝い前田師(S45/8/31)に師から最後まで教えを戴いた1人です。 栄文さんとはその後も交誼を重ね各界多くの友人知人を紹介され、主に氏の自宅での会飲食は度々。 無論「愛ラブ優ちゃん」の優ちゃん健在の頃。 先述の様に「クラスのブログ」を立ち上げたが、 現在回顧し書込みの最中、オヤジ(卒業後、又嗣世と呼ばれ)さんは度々再々の登場。 私自身当時を回顧しが楽しんでいます。 下記 御笑覧下さい。
  http://blogs.yahoo.co.jp/hakkos36/MYBLOG/yblog.html?m=l&p=1

 幸い12/28 RKB深夜特別番組で「飛べやオガチ」が再放送の予定。 木村栄文さんの追悼番組です。
 尚、学生リーダーの天本君は詈_航研(S47/1972〜H7/1995)設立の際、 勤務先(新明和工業)を辞し真っ先に駆けつけ共に苦労の仲。 
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