黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
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平野國臣 vol.2
1845年(弘化二年)11月、18歳の冬、平野國臣は江戸藩邸勤務となる。
平野は、江戸到着後町の様子を地元の知人に送っている。すでに和歌に長けていた。

そそごうと しもく目算したけれども 鐘がなくてはならぬ世の中
(意味:ものを買おうとしかけれど、福岡と江戸の物価が違ってとんと困った)

1846年(弘化三年)閏五月、アメリカ船が浦賀にて幕府への通商を要求する。
二百年に渡って長崎という唯一の鎖国時の窓口を警備していた福岡藩であるが、
この幕府に対して通商要求が続き、江戸湾の警備強化令を出したことによって、
初めて先端技術を取り入れ「精錬所を興し反射炉を設置」することに決めた。
すでに大藩は、とっくに大砲、洋砲を製造していた。
つまりは、福岡藩には自ら率先してという行動はほとんど見られなかった。

1848年(嘉永元年)10月3年の江戸在勤を終え、故郷に戻る。
そして、養父小金丸彦六の三女・菊16歳と結婚する。
世情が変わるっていることを読み取り、武術・学問の修行であった。

1851年(嘉永四年)、24歳の春、宗像大社沖津宮の普請方として、宗像郡大島に赴任。
玄界灘に位置する筑前大島からは、沖合を航行する異国船の威嚇姿がしばしば見られた。
この大島の地で、福岡藩主と親族であった薩摩藩主の意を受けて匿われていた、
薩摩藩では実力者と接点を大きく持っていた北条右門と平野國臣が出会う。
沖合に出没する異国船を見つつ、北条と平野は国事関係の議論を交わし、危機感を高める。

1852年(嘉永五年)8月、長崎においてオランダ商館長は明年米国使節来航を報告し、
これを知った福岡藩主は翌月あわただしく江戸へ出府する。
そして、これに影響され國臣も二度目の江戸藩邸勤務となる。

1853年(嘉永六年)、26歳の春、國臣は福岡を発ち、
京都など名所旧跡を巡りつつ江戸に着く。
当時黒船来航の騒ぎで江戸は混乱のさなかにあり、流通は混乱、幕政も右往左往していた。
國臣は、黒船に対処できない幕府の対応に、そしてそれを打ち払う武力を、
自らで作ろうとせず、外国からの武器輸入で済ませようとする態度に、意気消沈する。
1954年(安政元年)秋、悶々とした状態で帰国の途につくが、打開策を見いだせない
自らに目標を見いだすべく、国学、史学、兵法学、天文学等を学ぶことになる。

1855年(安政二年)4月、28歳の初夏、國臣は長崎に赴任し屯営の経理を担当する。
肥前と筑前が隔年交代で兵を長崎に派遣していたが、黒船の来航を期に、
その派遣回数は頻繁になり、外国人と接する機会も大幅に増えていた。
國臣は、幕府の海軍伝習所の教師としてやってきている
オランダ人、イギリス人、フランス人の態度の卑屈さに憤り、嘆き、出処進退を考える。
「家族が大切なことと、この堕ちてしまった日本の国威を取り戻すこと」
いずれが大切かと。

1886年(安政三年)二月、理論家のスタートとなる論文を書き記す。
「対策草稿」である。

謹対尊問(行政の指導者としての姿)
 国民を励まし強国にする道は経伝に明らか。
 物事や道理に精通していて、学問が広く、守る道の正しいことを知っている
 国君で無いならば、天下を治めることは出来ない。

励士(学校教育、身分差別の撤廃)
 そもそも、国民を励ます道とは、その気概を励ます道のことで、それは教化に在り。
 先ず館(学校)を建て開放して、文武の達人を選び師として、
 六芸(士が学ぶべき六種の技芸、礼楽射御書数)の玄人を挙げ備え、
 門生を入館させ文武を習わせ、身分差別を取り払い
 上下の情が通えば、大いに国を治める一助となる。

安民(国民の平和、愛、安楽な生活)
 国民を教化し、その衣食を豊かにして、平和で安楽な生活をさせる事。
 書経によれば、民衆は邦の基本である。本が固ければ国は安らか。
 誠なるかな。若し農夫が農具を捨てれば、海中は飢える。
 織婦が機を破れば凍える。農夫織婦は国の根本なり。
 商工士とともに国の枝葉なり。

去奢入倹(つつましく生きる)
 贅沢のし放題で財産が乏しくなれば、まさに貪欲な心をあばく。これ人の通常なり。
 若しこの人が大人であれば聚斂するだろう。若しこの人が小人であれば盗人になろう。

強国(先ず政治を正す、優秀な官吏を選ぶ、食が足り、兵を足らす)
 そもそも国を強くする道は、必ず、先ず政治を正しくする。
 そのために優秀な官吏を選び当たらせる。古に今を重ね、悪ければ正す。
 食を足らし、兵を足らす。また、民衆の信用を得るように努めること。
 害を除き、民を安じ、贅沢をやめ国を富ませ、食足り兵備え百官各々その任を努め、
 その威光が海外を震撼させる如くであれば、まさに主客転変、その勢いが自らを守る。
 内に邪まな者や恨みを抱く者が無く外には武備防御が整っていれば、すなわち強国と言う。 
JUGEMテーマ:幕末 歴史
平野國臣 | 00:23 | comments(0) | - | - | - |
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