黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
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福島菊次郎さんとの再会in府中グリーンプラザ2013.9.14
2013年9月14日東京都府中市の府中グリーンプラザにおいて、
福島菊次郎さんの映画上映、写真展、講演会が開催されました。

私は仕事のため残念ながら、夜の講演会にしか参加できませんでした。
現在開催中の新聞博物館での写真展とは異なる構成の写真展が見られなかったのは、
残念でしたが、福島さんの力の入った言葉を聞けたのは幸せでした。

今一度、福島菊次郎さんについてプロフィールを簡単にご紹介します。

1921年 山口県下松市に生まれる。
1945年 二回目の召集で広島市内の部隊に配属されるも8月1日宮崎に出撃し、原爆を逃れる。
1946年 広島で被爆者の撮影を始める。(特に中心となったのは中村杉松さん)
1957年 山口県徳山市でカメラ店を始める。
1960年 「ピカドン ある原爆被災者の記録」により日本写真批判家特別賞受賞。
1961年 プロとして活動開始。妻と別れ三人の子どもを連れて上京。
1970年 自衛隊と兵器産業の内部に潜入取材し、写真集「迫る危機:自衛隊と兵器産業を告発する」刊行。
1982年 保守家する国とメディアに絶望し、瀬戸内海の無人島・片島で自給自足の生活を始める。
1988年 胃がんを患い島での生活を断念、250点の写真パネルにより「昭和天皇の戦争責任展」開催スタート。
1996年 最後の時を意識し始め、自らの棺桶を作り始める。(現在は自宅の本棚と化している)
1999年 山口県下関市に写真資料館を開館。(2000年8月閉館柳井市に写真美術館として移転)
2003年 著書「写らなかった戦後 ヒロシマの噓」刊行。
2007年 東京都お茶の水明治大学にて「遺言」講演会と写真展「戦争がはじまる」を開催。
2008年 東京都府中市にて講演会と写真展「遺言Part2」を開催。(2010年Part3開催)
2011年 唯一の弟子である那須圭子さんとともに福島など東日本大震災被災地を取材。
2012年 映画「ニッポンの噓 報道写真家福島菊次郎90歳」公開。
2013年 現在満92歳、山口県柳井市のアパートにて愛犬ロクと一人暮らし。

ここに挙げた表面的なことだけでは福島さんの表面的なものしか見えないので、
詳しくは、彼の著書である「写らなかった戦後」シリーズを読んでほしいです。
現在四作目を執筆中だそうです。

私が、福島菊次郎さんを知ったのは今年2月11日、
映画「ニッポンの噓」を新宿で鑑賞したその日です。
しかし、3月東京都文京区、4月柳井そして昨日府中とすでに三回もお顔を拝見しています。

どうしてこれまでに、福島さんに夢中になるのかは、様々な要素がありますが、
独立独歩、自らが思うところを貫く姿勢を維持し続けている点だと思っています。
私は、正直何をやりたいのかもわからないし、
何をやるべきかお手本にする人生の師匠と呼べる人にも出会っていませんでした。
しかし、福島菊次郎さんはその師匠と呼べる人に値するのではないかと勝手に考えています。

もちろん、国家や大企業など、彼自身の生命を脅かす存在に対峙する強さには惹かれますが、
常に自らが関わっている人々に対する愛情を持って接するその姿勢に敬意を表しています。
昨夜の講演会後の打ち上げの席でも、
写真パネルの保管を巡って意見対立する関係者を宥めていらっしゃいました。


秘密保護法案が審議入りする直前になったり、
集団的自衛権を巡る憲法解釈が大きく歪められる危機的な
政治状況の中において、国家権力と対峙し続けた福島菊次郎さんへの注目が高まるのは、
ある意味自然なことかもしれません。
しかしながら、国家と対峙する作業は非常に負荷がかかるし、
やればやるほど辞めたくなる圧力が増えます。

けれども、戦争の始まる前から戦争に突き進む過程、
始まってから負けるとわかっていてその悪化していく様を軍隊として体感し、
戦争は二度とすまいと誓ってから、再び軍隊が一般化する状態をすべて知っている福島さんは、
自らの怨念だけで、日本国家が抱えるウソについて国民に対して警鐘をならし続けています。

1980年代生まれの私は、戦争を身近なものとして感じることもなく、
日々の生活にさしたる困難も得ないままに、日々を安閑として生活してきました。
しかし、大正・昭和や幕末・明治などの歴史をちょっと学んでみると、
戦争はある日突然やってくるのではなく、水面下で進行し、
多くの人が気が付いた時には、
すでに事態は止める事ができない状態になっていることを知りました。

福島さんがメッセージを発する事ができる時間は、年齢のために、
そんなに長くない事は明らかです。
だからこそ、戦争を直接その目で見て来た彼が伝えるメッセージを伝えていく義務が、
彼を知ってしまった私には生まれたと感じています。

まだまだ福島さんのような命を張った覚悟はありませんし、勇気もありません。
しかし、私は自らで考え、世の中がおかしいと思ったことは自らの責任で、
おかしいではないかと声を上げ、行動していけるように、
少しずつ変化していきたいと決意しました。

それが、結局は日本という国を次の世代に伝えていく術であり、
先人が必死でこの国を作ってくれたことに対して感謝する唯一の道だと感じています。
JUGEMテーマ:第2次世界大戦
評価:
福島 菊次郎
現代人文社
¥ 1,995
(2003-07)
コメント:福島菊次郎さんがどうして報道写真家になったのか、その一部始終がここに収められています。この表紙の写真が物語る悲しさは、今にも通じる日本政府の無慈悲さを訴えています。

福島菊次郎 | 13:45 | comments(0) | - | - | - |
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