黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
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小説「老年F」vol.1
「改めて考えてみると、
俺の一生はずっと『あっちにいけ』と言われ続けた生涯だったねえ。」
古川爺さんは私に語った。

古川慶が生まれた1941年、すでに日中戦争状態であったが、
さらに戦争が泥沼化していく状況は避けられない政治状況が継続していた。
そんな一年に生まれた子どもの数は157万6千人と、
社会不安を反映してか、その前後では最も少ない数である。

「俺が生まれた時分こそ、母ちゃんは可愛がってくれたらしいけど、
もう学校に行く頃からは、『早く外に出て働け』って感じよ」

古川が育った環境は、敗戦後復興が叫ばれる中で子供は毎年増え続け、
引き揚げ軍人も多く国民全体が飢えに喘いでいた。

古川家は、小さな田んぼと畑を持っていた百姓だったが、
家族で食べる分を除いて他人に売れる食糧は僅かなもので現金収入は乏しかった。

古川爺さんよりも13歳年下の私の母も、子供の頃は、
「農家では子供も立派な労働力だったよ」と、
昔を振り返るが、それはそこそこ土地の広かった山村だからこその昔話である。

古川の育った佐賀の土地では、周囲はそれなりに開けていて、
大きな土地を持つ百姓も多かった。
そのため、小さな田んぼ持ちの百姓は、
自らの力で土地を拡げられる可能性が限られていた。

そんな鬱屈とした環境や、
大して子供にも教育を施そうとしない父兄を見ながら
冷めていた古川少年は幼い頃決意する。


俺はこの田舎を離れて都会で働くぞ。と。

JUGEMテーマ:小説/詩
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