黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
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第三の波 アルビン・トフラー著 徳岡孝夫監訳 読了。今こそ読み直されるべき30年前のベストセラー
評価:
アルビン・トフラー
中央公論新社
---
(1982-09-10)
コメント:なかなか骨の折れる大著である。しかし刊行から34年が経過しても全く古びないどころか、今の日本にこそ当てはまる事象をまるで昔から知っていたかのようにトフラー氏は指摘する。今こそ再読の価値あり。

言わずと知れた1980年代初頭の大ベストセラーであるが、
ネット上の紹介記事を読んでいると果たして読了しているのだろうかと
疑問を持たざるを得ない紹介文が多数ある。
それもそのはず、当時の小文字フォントで583Pもある文庫本としては大著である。
私も幾度も他の本を読了しつつ、なんとか読み終えることができた。
途中から、私自身の生き方を導いてくれる本のように感じて、
俄然読む気持ちに力が入ったことが、読了に導いてくれた著者の成す技である。

この著書は、第一の波を農業革命、第二の波を産業革命、
第三の波をその後、情報化非マス化が進展する現代社会と設定し、
それぞれの分析と、現代社会を踏まえた上で、これからどのような
社会変化が起きていくのかを提起した文脈から構成されている。
私が最初に手に取ったのは2001年頃、そして2014年の現代においても、
トフラーが記した1980年当時の指摘は決して古びておらず、
まさに現在第三の波が進展中と感じられる点が数多存在する。
だからこそ、古い著書だと切り捨てるのはもったいなく、
改めて彼の予想を踏まえて、どのような社会環境を描いて行くべきか、
現在進行形の事態を俯瞰するテキストとしても有意義な一冊である。

この文量であるが、重要ポイントを網羅されている著書だけに、
内容を切り出して紹介するのはなかなか難しく、分量が膨大になるので、
第二の波の要素を六つの構成要素として概説している部分と、
現代の社会人が抱える悩みを腑分けしている二点に絞って以下紹介したい。

第二の波の六つの構成要素(以下P71-P89より抜粋)
――――
現代の学校、企業、官庁等で起っている抗争の大部分は、
この六つの原則にその原因を収斂させることができる。
第二の波の中に住む人々は本能的にこの六原則で行動しそれを守っているが、
第三の波とともに来る人々はその六つに挑戦し敵対する。

第二の波の原則で一番良く知られているのが規格化である。
いうまでもなく、産業社会は何百何万もの規格化された製品を生み出す。
だが、いったん市場が社会の中心に据わってしまうと、
コーラの瓶や電球や車のトランスミッションだけではなく、
もっともっと多くの物が規格化されることは案外に見落とされている。
第二の波の文明の中で成功するにはハードウェアだけではなく、
手続きや業務などソフトウェアまで規格化する必要があるのを
もう八十年も前にアメリカ電話電信会社を設立し巨大企業にまで育てた
セオドア・ペイルは見抜いていたのだった。
第二の波の人々は、政治的意見はさまざまに異なっていても、
規格化が能率的であるという信念においては合意していた。
だから、第二の波は多種多様な面で規格化の原則を仮借なきまでに推進し、
規格外の凹凸を平らに均してしまった。

二つ目の原則が、第二の波とともに押し寄せた。それは専門化である。
産業主義の波は、言語や余暇、生活様式などの面でますます多様性を消すと同時に、
労働についてはますます多様性を必要とするようになった。
分業化を推進する第二の波は、
かつて農民あがりの何でも屋に代わって、見るからに凛々しい専門家、
一つの仕事をテーラー式に繰り返し繰り返し行う労働者を育てた。
第二の波は共産主義者、資本家、経営者、教師、僧侶、政治家などのあいだに
共通の思考法をつくり、労働の果てなき細分化へと向かわせた。

生産と消費のギャップが広まるにつれ、第二の波の中に住む人々は
時間に対する態度を変えねばならなくなった。
市場に依存している社会では、自由経済下か計画経済下かには関係なく、
時は金に等しいのである。貴重な機械を、むだに遊ばせておくわけにはいかない。
機械には機械自体のリズムがある。
こうして産業主義文明の第三の原則が生まれた。同時化がそれである。
第二の波が高まると、ごく私的な生活までが
産業主義的な時間割に従って行われるようになる。
米国、ソ連、シンガポール、スウェーデン、フランス、デンマーク、
ドイツ、日本・・・・どの国をとっても、家族はどこでも同時に起き、
同時に食事し、通勤し、働き、帰宅し、就寝し、眠る。
性行為までもが、多少の差はあっても、ほぼ同じ時間に行われる。
規格化と専門化に加え、文明が同時化の原則を採用したからである。

市場が発達した結果として、第二の波の文明にはもう一つの原則が生まれた。
集中化の原則がそれである。
第一の波は、広範囲に散在するエネルギーによって生きていた。
第二の波の社会は、高度に集中した化石燃料にほぼ完全に依存するようになった。
集中は、エネルギーのみに留まらない。人々は農村を出て巨大都市に再定住し、
人口の集中が起こった。労働も集約された。
第一の波の時代は、家や野や村やほうぼうで労働が行われたが、
第二の波では一つ屋根の下に何千人もの人間が集まった工場に労働の場が移った。
エネルギー、人口、労働、教育、企業・・・・・・・・
そのすべてに、第二の波の文明は深く集中化の原則を浸透させた。
東西のイデオロギーの差などより、はるかに深く、深く。

生産と消費の分離は、第二の波の社会に偏執狂的なまでの極大化信仰をつくった。
テキサスっ子が何でもでっかく、ますますでっかくと、のぼせ上がるのと似ている。
工場での生産時間が長ければ長いほど製品の単価は安くなる。
それからの類推で、社会の他の分野でも販売量が多ければ経済的になる。
こうして「大きい」は「能率」ど同義語になり、
それをどこまでも追求していく極大化が五番目の原則になった。
町や国は、それぞれに最高のビル、最大のビル、世界最大のミニ・ゴルフ場
などを誇り始めた。大きいことは成長の証でもあるから、
産業主義を追う国、企業、その他の団体は、成長という理想を追うのに熱中した。
無報酬生産という経済の重要なセクターを完全に見落としているGNPなのに、
世界の各国は何を犠牲にしてもとばかり盲滅法にGNP競争に血道を上げ、
環境破壊や社会的荒廃をも敢えてした。巨大化信仰が産業主義的思考の深部にまで食い込み、
そのためGNP以上に合理的な測り方は考えられなかったからである。
極大化という産業主義の原則は、規格化や専門家などと一体になってやって来た。

最後、六つ目は中央集権である。工業化を果たした国は、どこも、
この中央集権を芸術の域にまで高めた。権力を中央に集中させるやり方は、
中世までのキリスト教や第一の波の時代の政治指導者も早くから承知していたが、
当時の社会はいまよりもはるかに単純で、現代の産業主義社会でがっちり
中央集権を完成してしまった達人たちにくらべると、彼らはまるでアマチュアだった。
複雑な社会は、すべて集権化と分権化の混在を必要としている。
だが、地方ごとにほぼ自給自足を達成していた第一の波が、経済の基本的分権を一変して
第二の波の一国を一丸とした集権化に到達すると、
それまでとは完全に違う中央集権が生まれた。
個々の企業、産業界全体、経済全般にわたって一斉に中央集権化が起こったのである。
市場活動の水準と変動を調整するよう政府からの命令を受ける中央銀行は、
資本主義のいわば裏口から、一定の短期的計画性を導入した。
第二の波に洗われる国であれば、資本主義国か社会主義国かを問わず、
社会のすべての血管を通って金が流れる。政治体制に関係なく、金を注ぎ込むポンプ場が
必要なわけで、だから中央銀行と中央政府は一対のものとなって働かねばならない。
中央集権化は、第二の波の文明の六つ目の大原則なのである。

規格化、専門化、同時化、集中化、極大化、そして中央集権ー以上の六原則が、
ていどの差こそあれ第二の波の国々を動かしている学習計画である。
産業主義の社会でありさえすれば、資本主義か社会主義かには関係なく、
この六原則が生産と消費の基本的分離および増大をつづける
市場の役割から不可避的に発生するのである。
―――――

第二の社会崩壊するに当たって心理的悩み(以下P477-P478より引用)
―――――
来るべきあすの文明に備えて、満たされた情緒生活と健全な心理体系をつくり出すためには、
人間だれもに三つの基本的な必須条件があることを認めなければならない。
すなわち、共同体、構造、意味の三つである。
第二の波の社会の崩壊が、いかにこの三要件の土台を揺るがせたかを理解すれば、
われわれ自身と未来の子孫のために、どのようにして
より健全な精神環境の設計を始めるべきかが、おのずとわかるはずである。
まず第一に、まともな社会というものは、共同体意識を生むものでなければならない。
共同体は孤独を慰め、人間にとって絶対に必要な帰属意識を与えてくれるものである。
しかし今日、共同体の依存している諸制度は、技術社会の中でバラバラに砕けている。
その結果が、孤独という病気の蔓延となって現れている。
(中略)
孤独は、経済にさえも構ってもらえない。
中流の上に属する家庭の主婦のどれほど多くが、豊かな郊外の家庭に住みながら、
むなしさのあまり精神錯乱に追いやられ、精神の健全を保つために職を求めているか。
空虚な家庭の沈黙を破るために、どれほど多くのペットが家庭に持ち込まれているか。
旅行やエンタテイメント産業の大きな部分を支えているのも、実はこの孤独である。
それは麻薬の使用、鬱病の増加、生産性低下にも寄与している。
さらには、独り暮らしの人に適当な相手を結びつけようと狙う、
孤独な心につけ込む商売さえも生み出している。

ひとりぼっちであるという悩みは、もちろん、こと新しいものではない。
しかしいまや、孤独に悩む人はあまりにも増え、
逆説的な表現をすれば、孤独は人間の共通体験にさえなりつつある。
人間の共同体は、個と個のあいだに、忠誠心という強い結びつきを要求する。
他人との交流がないのを寂しく思うのと同様に、
こんにち何百万という人々が、自分の属する集団からも疎外されていると感じている。
彼らは、自分たちの尊敬、愛情、忠誠に値する集団を渇望しているのである。
―――――

こういった第二の波の断末魔を解消する解決策として、
第三の波が起こらざるを得ないと様々な角度からトフラー氏は論じている。
上記の文章を踏まえただけでも、まだまだその際中であり、
多くの国民が将来を見失っているかに見える日本にも、
ものすごくタイムリーな論文ではなかろうか、私はそのように考えた次第である。

詳細をもっと触れてみたいが、一部だけを切り出しても、
この著書で指摘されている要所を押さえることにはならないので、
まとまりがないのだが、この辺りで止めておきたい。

最後に著者があとがきとして終章で触れた文章を紹介したい。まさにビビッドである。
――――――
変革の責任はわれわれにある。
われわれみずからが先鞭をつけ、まず新奇な考え、
突飛で一見過激に見えるものにも早まって心を閉ざさないように自分に言い聞かせるべきである。
すなわち、新しい提案は実際的ではないと称して握り潰し、
現体制的なものなら不都合、抑圧的、非能率であろうとも現実的だとして擁護するような
「思想の殺し屋」を、払いのけなければならない。
それは表現の自由、たとえ異端者的な発想であれ、人間が自己の思想を語る権利を守ることに通じる。
なによりも、この改革に、いますぐ着手すべきである。
現在の政治体系がさらに崩壊の度を強め、
街に軍靴の音を響かせる独裁的勢力が現れてからでは、もう遅い。
それでは二十一世紀の民主主義への平和裡の移行は不可能になってしまう。
――――――
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