黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
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農聖 石川理紀之助氏を秋田に尋ねて。

長崎県の波佐見から、東京で飛行機を乗り継いで遥々秋田県潟上市を訪れた。

地上交通で向かえば1500km、日本横断に近い。

 

書物でこの人物の功績を知り、なんと常人離れした聖人であるのかと驚かされたが、

日帰りでこの地を訪ねた甲斐があり、目の前に広がる現実はその驚嘆を超える感動があった。

 

現在も石川氏のご子息が生活されている一角に、

石川理紀之助氏の足跡を紹介する潟上市郷土文化保存伝習館が作られている。

 

蔵書を保管する蔵の大きさや、学問を修めたい人々に対して作られた建屋の数々、

百年を超えて今でも食べられる備蓄米、石川氏が何度も各地で書かれた箴言の数々、

全てにおいて私の心を揺さぶるものであった。

 

特に、石川理紀之助氏が発した言葉で、世に最も有名なこの言葉を読んだ時、

思わず涙を抑えることが出来なかった。

『寝て居て人をおこすこと勿れ』

 

世の中には、他者を指導しようと先生という立場にたって、

訓を唱える人は歴史上にも数多存在する。

しかし、成人して他者から教えを請われるようになってから殆どの生涯を、

教えられる人の立場に立って、

日常の食事がかつかつなほど厳しい家庭環境を置いた状態で、

農民の暮らしをより良くしようと、

田んぼに囲まれて努力し続けた人は、そこまで多くないだろう。

 

石川氏は、自らが婿養子に入った秋田県の潟上市(旧山田村)から、

全国各地の農民に請われて教えに訪問した先々で、

一貫して自らの行動で範を示し、

他者にやらせるだけということをやらなかった人だった。

 

婿養子に入った石川家はもともと裕福な地主であったが、

数代前から没落し、借財が多く、殆どの田んぼも質に入っている状態であった。

その状態から、周りも驚くほど真剣に働き、

僅か5年間で借金を返して質田の質を取り去ってしまった。

自らの家を立て直しただけでなく、村の青年たちと勉強会を作り、

農業、家計、村の政治などに語らいあい、研鑽を続けた。

 

時代は明治維新期、世の中が騒然としている中で、それに動じず、

住民の助け合いを呼びかけ、村の将来を考えて行動することで、

周囲からの協力も集まり、石川家を復興させる後押しになった。

 

石川家を豊かにするには山田村が豊かになるようにしなければならないという考え方が、

彼自身に自然に生まれたことがその後の一生を左右したようである。

 

石川氏は、自らが望まなかったにも関わらず何度も役人として働き、

農民のやる気を育み、その地域の良さを活かしながら、

お互いに交流し合うことを土台として、秋田県の農業行政に大きな貢献をしている。

 

しかし、養父が身体を弱くしたことを契機に、

山田村に戻り再び農業に専念することになった。

明治維新後、階級がなくなったとはいえ、農民の生活環境はさほど変わっていない。

しかし、上からの締め付けがなくなったため、働く意識は下がり、

生産物を作ることに比べて他者から買うことが増えているので、

経済環境は厳しくなる一方であった。

 

まずは溜まっていた村の借金を返済することを目的として、

山田村民の会『山田経済会』を石川氏が責任者となって設立した。

毎朝3時に起きて収穫法などを学び、養蚕などの副業を促進、

倹約による貯蓄を図るとともに、産品を村民でまとめて売り必要品をまとめて買うことで

村全体の収支を改善、堆肥はこれまでの2倍にして田の増収を目指した。

 

村民相互で取り組みを奨励するために、

5日ごとに夜会を開き進捗状況を確認しあい、

冠婚葬祭の質素さを村全体に守るように指導した。

一方で、年に一回は村民全員が一堂に会し、

仕事のまとめを行い、餅を食い酒を飲んでお互いの労をねぎらいあった。

 

3年間の取り組みで、村の借金は大きく減り、

各家々の家産は急速に改善し、

遂に僅か5年間で村の借金は全て返済出来るという見通しがついた。

石川氏はその頃、別の村に農政指導に出掛けるものの、

土地の人間のやる気のなさに、1ヶ月で山田村にもどってきた。

改めて山田村の村民の努力の成果を認め、

それを世に示すことが自らの存在価値だと思い至る。

 

そこで、生まれ育った土地で日当たりの悪い田に入り、

小屋を建てて、貧乏小作人の生活を始める。

12時間働き残りの時間を睡眠と食事・雑用にあて、

目覚めると働き、空腹になると食い、眠くなると横になるという日々を過ごした。

食べ物は粗末な米と野菜中心、

粗末な小屋は修理を繰り返し、徹底的な勤労、節約の生活を送った。

 

この田んぼは地主から借りたものであるが、3年間で返済した上に、

新田を開墾し、苗木を多数植え、雑穀を余分に収穫するに至った。

 

石川氏は、山田村経済会で村民に要求した通りの生活を送ることで、

自らでそれが間違いないということを実証することで、

借金を特別な方法で返したのではない、山田村の村民の行動の正しさを確認したのであった。

 

このような、理論と実践を両立させる石川氏の行動を冷ややかな目線で見ていた人も、

数々の実績を上げている事実から、評価を変えるようになってきた。

近隣の村々から志のある若者たちが、農村の将来や経済、

和歌などについて学び合うために、石川氏のもとを訪れるようになってきた。

 

山田経済会が出来て9年後の明治27年には東京で開かれた

第一回全国農事大会に出席し、

幹事長の前田正名から「日本一の老農」と紹介されるほどになった。

大日本農会長の委嘱により、九州各地を巡回講演した。

 

彼を賞賛するものが増える一方で、山田経済会のやり方を踏まえて、

独自で農業発展を志す人物が出てくるためにはどのようなことが必要かと、

石川氏は50歳を契機に考えるようになった。

 

そのような折、秋田県中の農業調査を数年間掛けて完了し、

勲章を授与されたのち、旧知の前田正名より明治34年に手紙が届いた。

宮崎で開田事業が完成させるために無報酬で指導に出向いてくれないかという懇願であった。

 

肉体的、経済的な負担から同志を集めることの難しさを想定しつつ、

正名氏の手紙を見せたところ、7人の賛同者が集まった。

決死の覚悟のもと、明治35年4月秋田を出て、

宮崎県の霧島山麓の事務所で1日も休みなく半年間必死に働くことを皆で誓いあった。

ただし、長年村民で協力しあった山田村のやり方がいきなり通用する訳もなく、

指導に来た人間自らがあるべき行動をすることで、

自然にその土地の農民を導いていくという方針が取られた。

指導方針は、以下の通りであった。

-----

1.指導に来たのだという考えを捨て、この部落の一員となりきって行動する。

2.部落の欠点、ここの人々の劣っていることを決して口にしない。

欠点をなおそうと思ったら、私たちの生活、行動で気づかせるようにしていく。

3.農業のことについて聞かれても、自分の知識、体験で断定的な話をしないようにすること。

-----

 

石川氏は、日本各地で死の直前まで数々の農村の経済的な立て直しに貢献した。

彼が直接手を下したのではなく、その土地の農民の心を変えて、

労働の尊さを伝え、借金を減らし貯蓄を行うことの意義を身を以て教えて歩いた。

 

 

 

以上羅列的になってしまったが、石川氏の功績を紹介したのだが、

秋田を始め、各地の農村指導のエッセンスに、

2016年の現代にも通じる点が多々存在する。

 

私は、これから都市部ではない自然に囲まれた地方にて生きていく覚悟を決めた。

だからこそ、石川理紀之助氏の功績に学ぶことが非常に多いと考えている。

 

ある土地に長らく住んでいらっしゃる人々の気持ちを、

余所者が変化させることは非常に難しい。

けれども、『至誠にして動かざるもの未だ有らざるなり』

吉田松陰の言葉だが、他にも多くの教育者が同様の言葉を発している。

 

この古くから言い伝えられる箴言を信じて、まずは自らを律していきたい。

石川理紀之助

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