黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
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もう一つの維新史 -長崎・大村藩の場合- 外山幹夫著 読了。
評価:
外山 幹夫
新潮社
---
(1993-11)
コメント:決して読みやすい本とは言えない。しかし「竜馬がゆく」のように華々しい形ではない幕末の実態を知りたい人には是非とも読んでほしい。

渡辺昇、渡辺清、楠本正隆、幕末から明治維新期に登場する

大村藩士ですが耳にしたことはありませんか?

特に大きく活躍したのは、渡辺兄弟(渡辺清が兄)です。

 

江戸城総攻撃前の西郷隆盛・勝海舟の会談で隣の間にいたのが、

渡辺清左衛門(ここで言う渡辺清)で戊辰戦争でも活躍します。

少し時を遡り、長州藩の桂小五郎と、薩摩藩の小松帯刀の間に入り、

薩長同盟の必要性を説いて橋渡しをしたのが、渡辺昇です。

 

最後の大村藩主であった大村純熈は、渡辺昇・渡辺清・楠本正隆など、

大村藩士として全国規模で活躍することになる人物と切っても切れない

関係性を持っていました。

 

だからこそ、大村藩においては、決して高い身分でもない彼らが、

藩論を統一し、その動きを牽引することになります。

 

その裏では、筆舌尽くせない陰謀が渦巻き、

決して周りに迷惑をかけた訳でもない志士の血が流れたことを、

外山幹夫氏は、当時語られなかった文献から見出していらっしゃいます。

 

解説で安岡章太郎氏が書かれているように、

幕末期には、幕藩体制維持側、新しい政権樹立を目指す側、

双方が主導権争いを行う闘争は、至る土地であったことでしょう。

 

しかしながら、大村藩のその動きは、それから100年以上にわたり、

大村藩に関わる人々に暗い影を落とすほど陰湿なものでした。

 

だからこそ、この歴史的な事実を踏まえた上で、

幕末・明治維新とは何だったのかを振り返ることは、

現代の日本を知る上でも非常に有意義なことではないかと、

この決して読みやすいとは言えない新潮選書を読み終わって、

何気に感じている次第です。

 

 

渡辺昇は、大村藩の中では決して主流派ではありませんでした。

しかし、江戸に剣術修行に出向き、斎藤弥九郎の練兵館で剣を磨き、

名を上げて全国の志士と知り合う中で藩主純熈の評価が上がっていきます。

 

彼は、学問上や知人の影響などによって、勤王派(反体制側)となります。

同じ考え方を多少なりとも持っている藩士を誘い、同盟を結びます。

そして、体制側の有力者を次々に失脚させていきます。

その結果、藩内でも藩外でも影響力を持つようになっていきます。

 

桂小五郎と親交があった渡辺昇は、長州征伐を止めるように幕府に

大村藩から筑前藩主を通じて建白書を提出します。

その後、貿易面から長州藩の助太刀をしていた坂本龍馬に出会い、

長州藩と薩摩藩との同盟の必要性を説かれ、両者の仲介役を努めます。

 

伊藤博文と渡辺昇はこれらのやり取りで、何度も議論をし、

時には船の上で殴り合いの喧嘩をしそうになったほどだそうです。

 

 

そんなやり取りが行われている後に、

この著書最大の注目点である「大村騒動」が起こります。

 

1867年(慶応3年)正月三日、謡初の儀が執り行われたその日、

勤王派「三十七士同盟」の要人、針尾九左衛門と松林飯山が襲われます。

 

この事件の捜査が行われ、2900人の武士のうち、

1000人もの藩士が動員される物々しい事態となります。

 

後に見ると非常に恣意的に思われる取り調べの結果、

最大の家格を持つ家老を含め26人もの有力者が命を絶たれました。

 

もちろんながら、その家族も縁座(処罰)を免れず、

大村藩士団の構成は一気に変化を余儀なくされました。

結果として、渡辺昇が牛耳っていた「三十七士同盟」が

大村藩の実権を握ります。

 

こうして大村騒動の嵐が吹き荒れた頃、世の中では大政奉還がなされ、

戊辰戦争の時代へと突入していきます。

渡辺清が率いていた大村藩の新精隊は、薩摩軍と行動を共にし、

関東、東北へ出陣し、特に東北唯一の同盟藩であった秋田にて、

庄内藩との激戦などで大いに活躍を遂げることになります。

 

結果として、戊辰戦争や維新実現の論功行賞により、

大村藩主は土佐藩に注ぐ3万石もの賞典を預かります。

 

大村騒動など、強制力を発動して権力を握ることに長けた

渡辺昇は、維新後の政府でも多方面で活躍しますが、

人心を得ることは難しかったようで、生涯悩むことが多かったようです。

 

渡辺清は、福岡県・福島県で知事を務め、貴族院議員としても

仕事をしていますが、こちらも人心掌握は難しかったようで、

各地で住民反乱の憂き目を晴らすことに失敗しています。

 

楠本正隆は、三十七士の中心的存在であり、理論的指導者でした。

維新後は、地方行政指導者として評価され新潟県知事、東京府知事を

務めた後に衆議院議員を経て、衆議院議長を二年間務めています。

しかし、彼も自伝などは残していないとのことです。

 

 

江戸幕末には、躍動する人物が多数存在し、

世の中を変えるために大きく貢献したと言う光の部分から、

歴史が語られることが多くあります。

しかしながら、その影にはもちろん虐げられた人もいますし、

それを仕掛けていった煽動者も存在するわけです。

 

歴史の変化とはどんなことなのか、

大村藩という小さな世界で起きた事実を垣間見ることで、

様々なことを学ばせてもらいました。

 

光と影が存在する当たり前の事実、

歴史を垣間見る時には、決してそのことを忘れないようにしたいものです。

JUGEMテーマ:幕末 歴史

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