黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
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黒田官兵衛
今、黒田官兵衛について書かれた歴史小説を何冊か読んでいます。
何故、この人に虜になったのか、それは以下の吉川英治による「黒田如水」の一節に感銘を受けたからに他なりません。
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全国、どこの城にも、かならず評定の間というものはある。
けれどもその評定の間から真の大策らしい大策が生れた例は甚だ少ないようだ。
多くは形式にながれ、多くは理論にあそび、さもなければ心にもない議決におよそ雷同して、まずこの辺という頃合いを取って散会を告げる。 
 三人寄れば文殊の智というが、それは少なくとも一と一とが寄った場合のことで、零と零との会合は百人集まっても零に過ぎない。
時代の行くての見えない眼ばかりがたとえ千人寄ってみたところで次の時代を見とおすことは出来ないが、
評議となって列座すれば、誰ひとりとして、 
(それがしは、めくらである) 
 と、いう顔はしていない。 
 そのくせ信念もなければ格別の達見も持ってはいないので、ただ自己をつくろうに詭弁と口舌の才を以てすることになる。
従って、評議は物々しくばかりなって、徒らに縺れ、徒らに横道に入り、また徒らに末梢的にのみ走って、
結局、何回評議をかさねても、衆から一の真も生れず、そしていつまでも埒はあかないという所に陥ちてしまうのだった。 
-----
この作品は、吉川英治が1943年に発表した作品であり、
戦時中の雰囲気にかなり影響されている作品と思われます。
上記の引用分は、作品冒頭にあり、現代の会社組織などにも十分当てはまる指摘です。

私自身、35歳を超えて組織に属してからは会議に出る機会が増えました。
時代が右肩上がりに成長している時には、突拍子もない意見は求められず、
会議の席は出席者の意見を調整する場で終始していれば良かったでしょう。
しかしながら、世の中の変化が著しいものになると会議は意見調整の場になっては何の意味も持たなくなります。

突拍子もない意見こそ、その時代の変化を反映するものであったりするので、
そんな意見は現実的ではないと一言で否定していては、世の中に変化に追随できる結論は見出せません。

しかしながら、残念ながら多くの組織においては異論を言う少数派は疎まれるのが事実です。
そんなことは、現実的ではないと一笑に付され取り上げられないどころか、発言者の存在まで疑われたりします。
自分の命の危機が、会議の席で決せられる状態であった戦国時代のことであってもこの始末です。
ましてや、会議において命が取られることはなさそうな現代日本においては言わんやです。

しかし、私は戦国時代の豊臣秀吉を支えることとなる黒田官兵衛を描いたこの作品において、
太平洋戦争の敗色濃くなる現実が直視できていたであろう吉川英治が、
そのことをもちろん直言できない中で作品中で語らしめたのが上記の解説ではなかったのかと思わざるを得ません。

今、日本経済はバブル崩壊以降、決して成長著しいとは言えない時代が続き、
それに呼応するように、公共部門においてもなかなか改革が進まないのが現実です。

そこで、改めて織田信長、豊臣秀吉が活躍した時代に自らの武功によって地侍から出世を遂げた
軍師と呼ばれる竹中半兵衛や黒田官兵衛の活躍を眺めてみた時に、
現代日本で彼らの活躍の隙はきっとないだろうと思わざるを得ません。

2人ともに、自らが当初支えていた美濃、御着という国では決して正当な評価をなされませんでした。
というか、彼らの実力を認め、それを使いこなせる城主に恵まれていませんでした。
しかし、その戦略を発揮する能力を聞きつけた全国制覇を目論む信長・秀吉両氏に認められ、
その配下に従い軍師としての活躍を十二分に発揮することになりました。

現代の成長著しいベンチャー企業もそうですが、合議制の会議ではなく1人の優秀なイノベーターが新しいサービスを作って企業の存在価値を大きく上げていきます。

移民を受け入れようともせずに、人口減少している資源が乏しい国家が、今まであった考え方に固執して発展しないのは、
ギラギラした国家が周りに控えている現代アジアの現実を見回して自明のことです。

しかし、その胃の中の蛙である人々にとっては、そんな当たり前の現実がなかなか分からないのが残念ながら今の日本なのではないでしょうか。

私は、戦国時代の黒田官兵衛を描いた時代小説に引き寄せられた要因は、
これまでの寄らば大樹の陰であった毛利勢に属しているのも不安で、
急激に勢力を伸ばしつつある新興勢力の織田勢につくのも不安であった、
小寺家で1番若い家老であり、唯一旗印を明確にしていた彼の存在に、
現代日本を生き抜くヒントがありありと存在していることを感じたからではないかと思っています。

黒田官兵衛は、祖父の時代から目薬売りの繁栄により勃興した新興勢力であり、
古い価値観に固執していた小寺家の重臣とはそもそも考え方が合いませんでした。
しかし、そこに流れていた価値観は、彼が守る民衆のために出来るだけ血を流さない世の中を作りたいという使命でした。
だからこそ、どんな苦境に陥っても、その考え方がぶれずに、家来たちの信頼を維持し続けられたのだと思われます。

翻って、現代の政治を考えてみても、市民の生活に何が本当に必要であり、それ以外の問題には多少目を瞑るか、それが問われているように思います。

何でも出来るは、何も出来ないことと等しい。

黒田官兵衛から、学ぶべきことを学ぶための苦慮は1年以上の時間を掛けても損は無さそうです。
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