黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
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高齢者地方移住の前に、都市と地方の交流促進が必要不可欠!
日本創成会議が発表した「東京圏高齢化危機回避戦略」によって、
首都圏高齢者の地方移住について賛否いろいろな議論が巻き起こりつつある。

福岡県の片田舎出身で東京に働く身として、賛否どちらの意見にも理解できる点はある。

地方からすれば、犁泙帽睥霄圓増えても社会保障負担は増えるだけだ瓠
都市部からすれば、犁泙房匆馘インフラの乏しい田舎に転居したいと思う人間は限られる瓠
地方にとってのメリットは、労働力が減少するなかで、
人材や社会的インフラを維持するために、人々を呼ぶことで仕事を作り出すことができる。
都市部にとってのメリットは、対応しきれなくなる介護医療の人的負担を軽減することで、
住民の人的・財政的負担を減らすことができる。

その他、都市部と地方部における一つ一つの社会的事象を紐解いていけば、
課題は山積し、メリットも多く存在するだろう。

しかしここで、私は思うのだ。
その課題を作り出している一人一人の人間の気持ちが、
この議論に加えられていないのではないかと。

東日本大震災と東京電力福島第一原発事故により、
地震から四年が過ぎた今でも21万人以上の人々が避難を余儀なくされている。
このこと一つを例に取るまでもなく、
人々が一旦住み着いた土地を離れることはなかなか容易なことではない。

もちろん社会的インフラの多寡や、仕事の有無、経済状態など
数値化できることで、移住を決める人も沢山いるだろう。
しかしながら、親類や知人友人、周囲との関係性、自然環境など
数値化出来ない部分で移住を躊躇う人々も多々存在するのが現実である。

だからこそ、東京からの高齢者移住を本格的に進めるに当たっては、
都市部の住民、地方部の住民、
それぞれが胸襟を開いてお互いに紹介し合う場所を作らない限り、
日本創成会議や政府が進める政策は画餅に帰するだけとなろう。

どんな人がやってこようとしているのか、どんな人が受け入れようとしているのか、
それを都市部の人、地方部の人、それぞれが自分の感覚で理解出来た後に、
暮らしていくための環境がどんなものであるのかを意識して、
居住を決めていくのが自然の流れなのではなかろうか。

高度経済成長に金の卵と呼ばれて、
列車に詰め込まれて都会に追いやられた田舎の若者はもはや歴史の上にしか存在しない。
それこそ賛否あるが、
主権在民・基本的人権の尊重をその趣旨とする
日本国憲法が制定されて約70年が経過して、
一人一人の国民が自らで生き方を決めているのが現代日本なのだ。

その立場に立って、この国の将来をどうしていこうという視座を持ちながら、
高齢者の地方移住を進めようとしない限り、この取り組みは絶対に上手くいかない。

その根底に必要な思想は、「人間尊重」ただそれだけなのだ。
そこを今一度理解してもらうために、私は、長崎県の波佐見にて
人間再生戯塾」と言う名の、地方移住お試しプログラムを始める。
 必ず面白くなる、いや面白くする。
興味がある方は、是非一声かけていただきたい。

JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政
社会 | 08:59 | comments(2) | - | - | - |
今日本に必要なものは、声が大きい人々
先週末、実家の黒木町に帰省しました。
家族以外にも多くの方々と会話を交わしました。
その時は気が付かなかったのですが、
東京の通勤電車に揺られながらある違いに気が付きました。

都市部では、自らの意思を大きな声で表現することは憚られて迷惑行為と見なされます。
田舎部では、小さな声で発言すると聞こえないと聞き返されて大声を出すと威勢が良いと歓迎されます。

もちろん都市部は身体的能力が衰えていない若者が多く、
田舎部では耳が遠くなったお年寄りが多いという要因もありますし、
隣接する住宅の距離が都会はかなり近く、田舎は離れているという事情もあるでしょう。

景気を上げよ、グローバル社会に積極的に進出せよ、モノではなくアイデアで勝負せよ、
いろんな掛け声がお国の中心部から聞こえてきて久しいですが、
これって全て田舎部こそ当てはまる要件なのではないでしょうか?

都市部では目立たなくして、コストを抑え、他国に打って出なくても暮らせるし、
その日暮らしをするには大したアイデアは必要ありません。

高度経済成長を支え続けたのは、農村部から都市部に流入してきた田舎の人々でした。
その豊かな時代が過ぎ去って長らく停滞が続くと言われる経済状態が続いているのは、
旺盛なハングリー精神を持った流入者が都市部に不足しているからではないでしょうか?

確かに都市部には、中国韓国などなど多くの国からの外国人コミュニティーが増えつつありますが、
まだまだ日本人に影響を与えるほどのウェイトを占めるほどではありません。
柔軟な発想は、他者や他文化との交流からしか生まれてきません。
画一的な人間交流からは、多くの人々に受け入れられるモノやサービスを作り出すことはできません。
何故ならば、世界中にいろいろなニーズがあることに気が付かないからです。

地方創生は、都会の人がもたらすコンセプトではなく、田舎の人々が主体的に発信していくべきものなのです。
何が日本にとってのエンジンで、それを支えている主翼がどこにあるのかを忘れてしまっているのが、
多くの日本人ビジネスマン、それを支えるお役人なのではないでしょうか。

金はない、人はいない、頭も良くない、けれども、自分に出来ることを遮二無二にやれば、
世の中をあっと言わせるものが出来るはずだ。
そうやって本田宗一郎が浜松で立ち上がったのです。
もっと翻れば、信長が尾張の国で立ち上がりました。

ないないずくしこそ、いろんなものに捉われないチャレンジが出来るのです。
その価値に気づいた人が俺ができることをやろうと仲間を集めていけば、世の中は少しずつ変化していきます。

大切なことは、これは面白いだろうと、とにかくデカイ声を出すことです!
そしてそのアイデアを元に小さくても形にして行動していくことです。
JUGEMテーマ:人間関係
社会 | 08:49 | comments(2) | - | - | - |
希望は、危機と絶望の間にある。
災いを転じて福となす。
この言葉は、数千年も使われているようで、史記にもこのような記述があるようだ。
『臣聞く、古の善く事を制する者は、禍を転じて福と為し、敗に因りて功を為す』

私は、お分かりの通り、社会の事象には多少の関心は持ち合わせている。
日々流れるニュースを見て、それに直面している人々の話しを直接聞くこともある。

今、日本社会では比較的安定政権のもとで、様々な変化が起きていて、
一部では『危機』が盛んに叫ばれているような気がする。
一方、その社会全体の動きに殆ど無頓着である方もかなりの割合が存在していて、
情報社会なにそれといったスタンスで、身の回りの変化に柔軟に対応しつつも、
その要因に考えを馳せようとは全くしない人が大半な世の中でもあると言える。

どちらのスタンスも、間違いではないと思えるし、どちらもやり過ぎだと思えないこともない。
けれども結局のところ、他人は他人、自分は自分であることが免れないのが、現代日本社会なんだろう。

だからこそ、様々なものが目に見える危機にならない限りは、
日本の社会は変化しないのだろうというのが、私が10年来感じている雰囲気である。

ただし、危機になってから右往左往しても間に合わないということは、
毎年日本を襲う自然災害の結果から明らか過ぎる事実である。

では自らに立ち返って何をすべきなのか、改めて考えてみると、
自らで考えて出した将来のあるべき姿に向かって、自ら努力をし行動する他にない。
加えて、未来を見据えて行動している人の力を助け、
変化を起こそうとする人の背後に何があるのか寄り添って考えてみることだろう。
様々な分野に友達を作り、自らのアンテナを高くすることが、
お金を蓄えることよりも大事なことなんではないだろうか。
私は、今の日本社会を概観したらそんな結論に達して自然に日々を過ごしているように思える。

そのベンチマークとして、取り敢えず日本の幕末から明治維新期を参考にしているけれども、
別にどんな変化の時代も歴史を学ぶことは直接的な利益に繋がるはずだ。

何故ならば、社会が高度化しようとも、ある一人の人間が生きていくためには、
他者の助けを借りることは免れないという事実は普遍的なのだから。

タイトルに挙げた通り、変化するからこそ、危機も好機も感じるきっかけが増えるわけである。
だからこそ、それこそが希望なのではないだろうか?
危機を危機だと叫ぶだけでは何もうねりにならない。
あくまでも希望として人々に伝えないと、そのムーブメントは大きくならない。
今もう一度学ぶべきは、アメリカと対峙して結果を残した南ベトナム解放戦線かもしれないな。
社会 | 08:31 | comments(2) | - | - | - |
炭鉱のカナリア 後藤健二さん
カナリヤは有毒ガスやメタン、一酸化炭素などの発見のために危険が想定される
炭鉱などの場所で人間に警告を与える生き物として役割を担っていた。
炭鉱マンが気づかない危険を目と耳で知らせる生き物であった。
 
1月31日の夜、ISISが公開しただろう動画によると、
人質になっていた後藤健二さんの首にナイフを突きつけている様子が示されていて、
生命の危機であろうことは間違いない。
仮に現時点で、彼が殺害されていなかったとしても。

後藤健二さんについてのコメントは様々な角度から飛び交っているが、
私は、表題に挙げた通り、後藤さんは炭鉱のカナリアではないだろうかと今朝ふと感じた。

ISISの支配地域に自ら向かって、このような事態に巻き込まれた彼は、
日本政府に対して、日本国民全体に対して、
イスラム国と呼ばれる地域を支配する人々が、決して他人ではなく、
直接的に無視することのできない存在であることを、身を持って証明した。

もちろん、後藤さんがこのような事態に巻き込まれなければ、
その後の危機もなかっただろうと後から批判することは簡単だろう。
しかしながら、仮に彼が人質に取られなかったとしても、
偶発的に日本人ジャーナリストなどが事件に巻き込まれなかった保証はない。
何故ならば現実的に、世界各地の人々が数多くISISに人質に取られているのだから。

自国民の保護に対する政府の無力な現実、
日常的な方策では如何ともしがたい状況で吹き荒れる自己責任論、
いざという時に政府に頼らざるを得ない非政府組織の無力さ、
イスラム世界や、世界各国の武装組織に対する国民知識の乏しさ、
日本以外で起きていることに対する無責任感など、
様々なことを、後藤健二さんは炙り出してくれたカナリアではないだろうか。
これが命を懸けたジャーナリスト魂だろうと私は考えている。

それは持ち上げすぎと批判する人もいるかもしれない。
しかしながら、現実的に、今回の人質事件と対比される
日本赤軍のハイジャック事件以降、中東を巡って日本人の命について、
これだけ多くの議論を呼んだ事件はあまりなかったことは事実だろう。

過去の人質事件は、加害者と政府間で秘密交渉がなされていて、
その実態が明らかになる前に解決したり、殺害されるケースが大半だったのだから。

今後も、ISISに限らず、インターネットなどのICTを駆使して、
日本政府や日本国民を危機にさらす人々が現れることを避けようにない。
しかしながら、その現実は簡単に拭い去ることは難しい。

アメリカはここ数十年遠い国の戦闘に参加しつつ明確な勝利を中々あげられない。
その同盟国として立場を日々高めようとしているのが日本政府である。
この現実を後藤さんが明らかにしてくれたことで、
次の二つの分水嶺がはっきりしてくるのではなかろうか。

1.頼りにならない政府を斜に構えつつ、自らの将来を自らで切り拓く
2.自らの力では如何様にもできない事態が多いので、とりあえず国家に任せる

このどちらに立って行動するのかを今後迫られる事態がやってくることは、
危険な炭鉱にいることが明らかになった今、避けようがない。
後藤さんがどういった結果で日本に戻ってくるとしても、
彼がジャーナリストとして日本人に知らしめた事実は、
とても莫大な財産である。
決してこれを無視してはいけないし、立ち止まって考えるべきである。

ISIS支配下の国家に直接関わりがなくても、もはや彼らのような、
アメリカ・ヨーロッパなどの国家と対峙する勢力が、
日本人に与えるプレッシャーを完全に避けることはできない。

だとすれば、今日本人がやるべきことは、もっともっと自らを知り、
他の文化圏で生活する人々に目線を向けようとする努力の他にない。

なぜならば彼らが、閉塞感漂う現代に捉われず、
今後の新しい世界を切り拓く原動力であるかもしれないのだから。
そんなことはないと言ったところで、未来を見れない以上それを誰も否定できない。

JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政
社会 | 08:04 | comments(0) | - | - | - |
漂白される社会 開沼博著 読了
評価:
開沼 博
ダイヤモンド社
¥ 1,944
(2013-03-08)
コメント:この本は日本社会を分析するテキストではない。周縁的な社会を旅するにあたってのガイドブックである。読む人それぞれが、日本を見つめ直すためのテキストである。

この本を手に取ったきっかけは、映画「三里塚に生きる」の
アフタートークに著者の開沼博氏がゲストとして招かれて、
同作品の代島監督からこの本について質疑を受けていたからである。
一読して思ったことは、もっと早く彼のことを知っていたら刊行当初に手にしていただろう。

なぜなら、この作品で、この本を書きあげるために、開沼氏が辿っている
日本の「周縁的な存在」を巡る旅は私も好きだからである。
この著書に掲げられているのは、以下13件の事象である。

売春島と呼ばれる場所そしてそこで長年生計を立てるおばあさんら
池袋や新宿を転々とし移動キャバクラを営む二十代の女性たち
シェアハウスを営む人とそこで亡くなった遺体を整理する三四十代のビジネスマン
バブル期から徐々に落ちぶれた後に仕事として生活保護を受給する元経営者
未成年少女などを組織化して援助交際させているスカウトマン
一般人を巧みに惹きつける違法ギャンブルを営む非暴力団関係者
次々に行われる法規制を物ともせず脱法ドラックを売り続ける密売人
何度も刑務所に入るカムバックしてきたが遂に社会から弾かれた元右翼団体トップ
三十年前には過激派として社会的糾弾を浴びていて恒例化した新左翼構成員
自らの境遇を受け入れて仕事として偽装結婚を行う四十代男性
アルコールで何度もドロップアウトするも夢を捨てきれない元ブラジル人留学生
貧しい中国の田舎から日本に出てきて中国エステを経営する三十代ママさん

彼らが、タイトルの通り「漂白された」日本社会の実例として取り上げられる。

なんとなく生きにくい社会だと指摘されている日本であるが、
考えてみれば、どんどん綺麗であることが求められ、
汚いものを見ないようにしている側面がある。
この著書で挙げられている事例も全て言ってみれば「色物」であるとは著者のコメントだ。
色物こそ、「社会に影響を及ぼして変動を引き起こす性質を持つ」と著書は定義している。
私もその点は十分に納得でき、同じように文化の辺境にこそ、発見を感じる人間である。

私が、沖縄に行くのも、離島に行くのも、風俗にいくのも、社会勉強に他ならない。

綺麗に漂白された環境からは、薄っぺらい人間性や仕組みしか見出せないから、
杓子定規で計れないものから、どういった変化を余儀なくされているのか、
それを示しているリトマス試験紙は、社会的関心をあまり集めない「周縁的な存在」である。

私は田舎の育ちだが、ヤクザという言葉には多少の恐れをなしたが、必要悪だと思っていた。
テキ屋も同じ文脈だし、風俗も、ギャンブルも、なくてはならないものだと思っている。
何故ならば規制されようと、人間の欲求に結びついているからこそ、抑えられない衝動を、
彼らが何かしらの形でコントロール可能な状態に置いてくれていたからである。

しかし、様々な「グレーゾーン」いや「ブラックゾーン」を厳格に法律に
当てはめて警察権力などによって排除してしまったことにより、
どんどんアンダーグラウンドに潜ませてしまえば、
人間生存にとって抑えられない欲望を吐き出すものをうまくコントロールできない人々は、
ただひたすらに行き場をなくしてしまわざるを得ない。

金銭的に豊かになった日本社会で暮らす人々がなくしてしまったものは、
お金で測れない価値を見極める力なのではないかと私は考えている。
この著書で取り上げられている事例の多くは、お金が絡む事象が多い。
これまで、金で解決できなかったことも、金によって解決可能になった。
しかし、その一方で、金の切れ目が縁の切れ目になった側面も見逃せない。

この著書の感想を一言で言い表すことはできない。
これまで書いてきたように、何かを表現しようとすればするほど、
どんどん支離滅裂になってしまう自分がいる。

だからこそ、必要なことは、もっともっと日本の辺境に置かれざるを得ない
人々の声にならない声を多くの人が気付こうと行動することに他ならない。
世の中には「シロ」か「クロ」では表現できないものばかりである。
それをいずれかで片付けようと片付けようとしている今の日本は、
結果として、どんどん混沌としてしまているように思えてならない。

「シロ」でも「クロ」でもないならば、何なのか?
そんな疑問を呈する人が一人でも多くなれば、
日本は歴史的なものにも、国際的にも優しい国になるだろう。
もちろんそれを達成することは非常に面倒なことである。
各人が考えなければならない事態が増えることも免れられない。

だからこそ、そんなことやらなくてよいと考える人も多いのだろう。
けれども、経済力や人間がどんどん減っていくこの国に、
相応しい人間の生き方なのではないだろうか。
JUGEMテーマ:人間関係
社会 | 13:11 | comments(0) | - | - | - |
成田空港建設反対 三里塚闘争キーパーソン「青年行動隊」三ノ宮文男氏の遺書
(母ちゃんへ)
長い間苦労を掛けました。
俺がつかまるたびに、いろいろ心配して、さぞかしたいへんだったでしょう。
俺はすまないと思いながら口に出せませんでした。
今でも本当に苦労かけたと思っています。
空港問題などなかったら、俺も今ごろ嫁さんなんかもらって、
りっぱに百姓やっていけたと思います。
しかし、考えれば考えるほど、俺達の所へ空港なんぞもってきたやつがにくいです。
ほんとうに、母ちゃんにはすまないです。
俺がいなくなってもけっして力をおとさず、広といっしょにくらして下さい。
いつも口げんかばっかりしてたけど、本当は俺もいいやつなんだよ。
母ちゃん、それじゃあ元気で。俺いくよ。
母ちゃん、絶対に元気でな。力おとさず広がいっから。広がいっからな。

(父ちゃん)
俺あんまり仕事やらずに青行ばかりやってで、すまなかった。
それでも、青行ねえ時にはまじめに仕事やったつもりだよ。
俺いままで何にも父ちゃんや、母ちゃんにしてあげられなったな。
心配ばかりかけてすまなかった。しかたなかったんだよ。
空港などこんな所にもってきたから、まじめにやれば闘わざるをえなかったんだよ。
しかし、俺は線が細いから、闘いにたえられなかったんだな。
人間なんて弱いもんだな。
なんかの本に書いてあったけど、もっとも人間らしく生きようと思っている人間が、
なんで非人間的にあつかわれるのかな。
本当に、国家権力ていうものは恐ろしいな。
生きようとする百姓の生をとりあげ、たたきつぶすのだからな。

いいたいことは、山ほどあるが、なかなか出てこない。
さっきまで、いらいらしていたが、なんだか、さっぱりした気持だ。
俺が行ったら、おのやぶれた青行の旗で、くるんでくれや。
できたら、みんなで、みおくってくれ。
俺だけ、ずるやって、もうしわけない。
三里塚空港粉砕!
最後まで、三里塚に生きつづけてください。みんな。元気で。

1971年9月30日 三ノ宮文男
(享年22歳 第二次強制代執行の直後10月1日、自宅の裏山で自ら命を絶った)


「裁けるか この闘いを -1980 ・三里塚・獄窓・法廷から-」
三里塚芝山連合空港反対同盟救援部
全国三里塚救済連絡会 開講阻止決戦統一被告団発行冊子より

社会 | 02:12 | comments(2) | - | - | - |
一大事にはしかめっ面で、日常は笑顔で過ごそう
昨日も紹介した、「ファスト&スロー」には日常生活を送る上で示唆に富んだ実験結果が書かれている。

直感判断のシステム1は、笑顔など表情を柔らかくすると活動が活発になり、
冷静な判別のシステム2は、表情を硬くして簡単に賛否を出さない状態にすれば
活性化されるとの指摘である。

確かに思い当たる節はある。
大安売りの会場で、店主が笑顔で「おまけだよ」と言われると財布の紐は緩みがちだが、
売れないお店で、しかめっ面の店主が「何か御用?」と問われるという買う気も失せる。

感情を表現するのは、人間の本性であるので、普段何気なく行動していると気が付かないが、
意識して表現を変化させると、その行動にまで影響をもたらすというのは大切なことではなかろうか。

選挙活動も活性化してきたが、厳しい顔をして、自らの不祥事に頭を下げる候補者は、
自然に好感度を下げるとともに、厳しい判断を有権者に与えがちである。
一方で、いつも笑顔に近い表情で、自らの思想信条を堂々と主張して
厳しい選挙戦でも不安な雰囲気を周りに与えない候補者は落選しても周囲からの評価を高めていく。

重大な決断を迫られない日常生活では、笑顔を見せ周囲からの歓心を高めた上で、
大切な岐路に立って厳しい決断を迫られた時には、
厳しい評価を絶やさずに熟考する雰囲気を全面に漂わせる。
考えてみれば、これは歴史的リーダーがずっと繰り返してきた姿ではなかっただろうか。
数多存在する歴史書を紐解いていただきたい。
表情は書かれていなくても、その雰囲気を文面から感じることは出来よう。

私は一昨日Facebookのプロフィール写真を更新した。
完全に笑っていない写真なのだが、かなりの友達にイイねを押され続けている。
この完全に笑わないのがミソかもしれない。
バカ笑いは仲間内でしか見せずにその魅力は直接関わり合いを持つ人にしか見せない。
広く一般には好感度を高めつつ、品性を保った表情を保つことを務める。
そして、自らの真価が問われる局面に立たされた時は、厳しい表情で、
全ての物事を熟考するように身体を引き締める。

これを知っている人間は知らない人間よりも、必ず周囲からの評価を高める。
さて、この理論が正しいのか、間違っているのか、しばらくやってみよう。
もちろん一週間やそこらやったところで効果を発揮するほど、社会は甘くないのだが。
JUGEMテーマ:人間関係
社会 | 08:30 | comments(1) | - | - | - |
慣れと退化、そして進化。自然の視座で人間社会を考える。
日々の生活が向上すると、前に戻ることはできずに、
過去の生活を取り戻すことができないのが、大抵の人間である。

私は、昨晩那須岳にある三斗小屋温泉の大黒屋さんという山小屋にて、
以下のような夕食を頂いた。

ここは、車が入ることも出来ない山奥の温泉旅館とも言える佇まいのこの宿であるが、
物資も豊富ではなく、携帯の電波も各社入らない。

ご飯のおかずはもちろん、生魚はなく、野菜がメインで
昔ながらの日本の食卓を再現したメニューであった。
消費カロリーも少なく、自給出来ればもちろんコストも掛からずに作れて、腹持ちはよい。
こんなご飯が出てくる日々を送ることができれば、
現在の日本の食料自給率を低下させることがなく、
きっと医療費総額すら減ることができるかもしれない。


しかしながら、そんな生活を大半の日本国民が望むことはないだろうし、
望んだとしても現在のサービスを提供する企業が、
売上や利益を減らす方向に消費をシュリンクさせるような前近代的なものを
持続的に提供することはないだろう。

日々便利に高度になると願ってやまない世の中が進展しつづける資本主義社会において、
日本経済を担って民衆全体の経済発展を望まない企業が増えた昨今、
政府や自治体が借金を増やし続け、公共投資や社会保障を充実させなければならないのは、
ある意味で当然と言えなくはない。

選挙民やマスコミが騒いで、どれだけ財政再建を願ったとしても、
政府以外の国民生活向上のための投資の担い手が現れない限り、
財政規律をプラスに転じさせることは、
一般市民の生活水準を下げさせる他には簡単には解決出来ないだろう。
もちろん、それを実現できる民間セクターのイノベーションが全く期待できないとは言い切れないが。

電気が必要であるならば原発は必要だろうし、
石油や天然ガスが必要ならばロシアとの外交関係進展が必要だろし、
日本企業規模拡大が必要ならば、中国からの資本参加が必要だろうし、
人間を増やす必要があるならば、移民政策をとることは避けようがないだろう。


これはやってはいけない、だからこれは許される、
物事は二つの側面があるはずなのに、ただ反対か賛成かだけでは物事を考えることはできない。

昨晩は、以下の本のプロローグを読んだだけであるが、
人間が直感で判断を下すことは多くが経済合理的ではないとの指摘は、
立ち止まって考えると、確かに実感として十分に理解できる事実であった。
ファースト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?

生き急ぐのも構わないが、やはりたまには立ち止まって、
今起きている事実の背景をじっくり考える時間が必要なのではないだろうか。

日本人は、忙しくしているのが好きだし、不況不況と言われながらも、
未だに忙しく忙しく仕事をするように仕組みを作り続けている。
世界が動いているルールがこれだけ変わってしまったのに、
それを踏まえた社会システムが作られていない国家がいつまでも持つはずはない。

時代を認識して解説してくれる先生も必要だし、それを踏まえて、
新しい社会の道筋を導くリーダーも必要である。

今の仕組みを維持する人々はこれまでと変わらずに必要だろうが、
それが使えなくなったときに、バックアップできる仕組みが
日本に一番足りていないのではないかと、
教えてくれたのが福島第一原子力発電所の事故なのではなかろうか。

山を登りながら、人間社会を見据えてみると、
如何に目先に囚われているのかを自然が教えてくれる。
人間社会を大枠から捉える時に必要な視座は、
人間に取り囲まれた都市の人混みのなかではなかなか見えにくい。

いつも自然の目線で人間を見つめる感覚を忘れないようにしたい。
それが本当の生き易さを導いてくれるはずだから。
JUGEMテーマ:人間関係
社会 | 20:00 | comments(1) | - | - | - |
平成三十年 何もしなかった日本
ちょっと前、小泉首相は叫んだ『感動した!』と。
私は昨日、安倍首相会見を見ながら『ガックリした』と同時に
後ろ向きな私自身に気が付いた。
前向きからしか、明るい希望は見出せない。

と、前振っておいて、行う話題は悲観的に、
堺屋太一の経済小説『平成三十年 〜何もしなかった日本〜』である。
私は、かなり前この小説を読んだ気がするが、読みが浅いので、内容は記憶の彼方にある。
以下のサイトに概略紹介がなされているので読んで頂きたい。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/7553/

つまりは、財政再建に本腰を入れず諸々の政治改革を後回しにした結果、
庶民にとって負担の多い国家がもたらされているという想定ストーリーである。
この小説イメージを具体的な現実として突き付けているのが、
財政破綻した北海道夕張市の現実であろう。
我が選挙区選出のおときた都議が、夕張市視察をレポートしているが、
ゴミ処理をしようにも費用が捻出できず、溢れかえる惨状には目を覆うしかない。
http://otokitashun.com/blog/daily/5009/

夕張市は炭鉱会社と役職という大樹におんぶで抱っこで
日々を送ったツケが溜まりまくってゴミ溜めと化した。
今、東京都職員から転向した30代の鈴木市長が外部からの風を取り込もうと、
必死に市政運営を続けているが、その関心度も徐々に低下しつつある。

今のまま日本の政治経済システムが根本的な変化なく持続した場合、
ただただ国家財政は赤字額を積み増す一方であろう。
これは、社会保障や地方財政に対して、社会の現状に即して大ナタを振るって
仕組みを変えられなかった政府が悪いと指摘するのは簡単だ。
しかし、それを余儀なくさせてきたのは、変化が必要と分かっていながら、
ずっと自民党政権に政治を委ねてきた国民自身の判断に他ならない。


こういった現状から変化を見出そうとするならば、やることは簡単である。
国を無視して、只管目先の地域に目を転じることである。
国に対して無力感を感じる人が多く、国政選挙では何も変わらないと感じても、
大阪維新の会が躍進し注目されたように地方政治には変化する土壌が未だ存在している。
維新の会を率いる橋下氏をはじめとした人々が注目度をなくしたのも、
国政に色目を感じ始めたタイミングと一致している。

平成三十年の日本がどう変化し、その後2050年はどんな国家になっているのかは、
学者でも明確な断定はできまい。
しかし、夕張市やデトロイト市など全世界の自治体を事例にすれば、
地方自治体がどんな将来を送るのかは具体的な想像がつきやすい。

長崎の波佐見町に高層ビル群が建設されていることはあり得ないだろうし、
東京都北区が稲作地域に転じていることは小説でもあり得ない。

まずは目先のコミュニティーを変えない限り、国家も変化しないし、
そもそもイメージがやりにくい。
都市部や田舎の市民目線から、政治を考えていかなくては、
大衆に受け入れられる政策作りも困難だ。
私が爺さんになったとき、どんな地域ならば、面白いのか、
これから少しずつ見つめていこうと思っている。
社会 | 08:45 | comments(2) | - | - | - |
本当の友達がいない人々
今ふと思い立って伊藤肇著『現代の帝王学』という
十八史略を解説した本を読み直している。
そこにこんなような一節があった。
本当の益友は、自らを批判してくれて、必ずしも付き合いやすい人物ではない。
釣りに行ったり、歌を唄いに行ったり見た目の交友ばかりを求めるのは悪友である。

苦しい時に助けてくれるのが本当の友達だとは、
別に帝王学の本でなくても巷で言われる真理である。
ふと思い至った。
年間通して外遊ばかりして、散髪は若者向けの美容室に通う安倍首相に、
今、益友はいるのだろうかと。

末端に位置する日本国民から心配される謂れのない、内閣総理大臣だが、
高いポストに就けばつくほど、本当の苦言を言ってくる人が減るとは
数多の政治評論が示す通りである。
仮に、内閣総理大臣の特権である衆議院解散を行うとして、
自らで表明する前に、全て決められたかのように
物事が進展しているのはよい気持ちではないだろう。

右傾化然り、ヘイトスピーチ然り、物事が目に見える形になり、
極端な姿になりつつあるのは、
本当の主旨を腹を割って話せる相手がいなかったことが主因なのではないだろうか。

これまで仕事だけに励んでいれば、
一生を無事に終えられるだけの経済が回っていたのが日本だった。
経済も回らない、自らの厳しい境遇を共感してくれる人もいない、
かといって目先の展望は開けない。
だからこそ、極端な主張を繰り広げる人々になんとなく惹かれていき、
そこで仲間のようなものを作ることが目的になる。

しかしながら、そんな疑似的な同盟を築いたところで、
その目的が明確ではないので、圧力を掛けられたら簡単に崩壊する。
それが繰り返され、社会に対して一層疑心暗鬼になっていく。

一国の総理も、彼にシンパシーを感じている人々も、
畢竟本当の友達がいないことに起因しているのではないかと私は感じている。

普段から包み隠さず、自らの思うところを表現し、
相手とともに何らかの高みを目指そうとする人が増えていけば、
その人間関係は本物の友情が結ばれることになる。

相手を想う前に、まずは自分が本当に意図していることを想えること、
それが今の日本に一番欠けている振る舞いである。

ま、かく言う私も、本当に何を意図してこんなブログを書いているのか、
本心から説明できる理由を持ち合わせておらず、必死にもがいている最中だが。

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社会 | 08:35 | comments(1) | - | - | - |

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