黒木町日記

実家のある福岡県の黒木町。2010年2月1日をもって、
八女市に吸収され、名前も聞く機会もめっきり減りました。
ちなみに、管理人は東京都暮らしを経て長崎県在住です。
<< August 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
 
ARCHIVES
RECENT COMMENT
  • 「変わらないもの、変わるもの。」成人式を迎えた皆さん方へ。
    深沢清 (01/03)
  • 今日見た夢の話 〜誇るべき先輩〜
    深沢清 (05/29)
  • 飲み屋のお姐さんに嫌われない方法〜嫌われる7つの振る舞いを避けよう〜
    光 (09/15)
  • 若者よ、失敗を恐るな。
    光 (07/06)
  • 新しいことをやる人々は、周りにエネルギーを与えてくれる。
    光 (06/25)
  • 新しいことをやる人々は、周りにエネルギーを与えてくれる。
    深沢清 (06/25)
  • ホンダジェット 開発リーダーが語る30年の全奇跡 前間孝則著 読了。
    光 (06/03)
  • ホンダジェット 開発リーダーが語る30年の全奇跡 前間孝則著 読了。
    深沢清 (06/03)
  • 農協は地域でなにができるか -大分大山町農協の実践- 矢幡治美 著 読了
    光 (05/05)
  • 農協は地域でなにができるか -大分大山町農協の実践- 矢幡治美 著 読了
    深沢清 (05/05)
にほんブログ村参加してます。
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
貧困環境にある子どもサポートは、無料塾でも、こども食堂でもどんなやり方でも良いと思う。
経済的に厳しい家庭環境に置かれている子どもたちは、
好奇心旺盛で多感な時期に、学校と自宅の往復では、
ちょっとした日頃のモヤモヤを溜め込んで、大きな重荷にしてしまいがち。
だからそんな子どもの側に寄り添って、
ちょっとでも愚痴を聞いてあげられる大人が地域にいる価値って、とても大きいもの。
大人にとっても、子どもが置かれている環境、流行っている遊び、
どんなことに悩んでいるのかを知るだけでも大きな気付きを得られる。

貧困に困る見ず知らずの子ども達なんて関係ない、
そうやって通り過ぎてしまわないで、一度だけ立ち止まって彼ら彼女らの声を聞いてみては?

そんなことを1年間無料塾でお手伝いして、中学生と共に勉強してきた私は感じている。

大人も子どもという年代に関わらず、
明日の暮らしを決して安閑としていられない経済環境に置かれていない人は多い。
しかし、大人は他者の手助けを得られる可能性が比較的高い。
知識も経験も行政サポートも存在する。
一方で、子どもは家族の庇護が十分でなく、学校でのコミュニケーションも上手く行かなければ、
1人で問題解決をはからざるを得ない。
それに向かうには、経験も知識も、そして周囲からのサポートも全く不十分である。
だからこそ、彼ら彼女らの「ヘルプ」に気が付いた大人は、
全く接点がなかったとしても、せめて話を聞いてあげたいもの。

1人で問題に立ち向かわなくても、
誰か何処かに助けてくれる人がいると子どもが知るだけで、どんなに心強いだろうか?
私が通う無料塾は、サポートする大人の数が、
やってくる子ども達に比べて決して豊富ではないので、
子ども達自身で勉強を教えあったり、
日常の悩みを相談しあったりする光景がいつも見られている。
もちろん大人がそれを傍目に見ながら、声をかけるのだけれど、
あくまでもスタンスは近所のおじさんおばさんレベル。
子ども達の自主性に基本は任せつつ、
このまま行くと人に迷惑を掛けるだろうという点だけ注意をするに留めている。

子どもの貧困が、日本全国で叫ばれるようになった要因は沢山存在するけれど、
これを放置して困る大きな結果は、はっきりしている。
子どもの貧困がそのまま大人の貧困に繋がり、さらなる子どもの貧困が再生産されるということだ。

無料塾に通う子ども達を見ていると、
本人達のポテンシャルを適度に支えられなかった周囲のサポート不足に気がつく。
片親で家計を支えることが精一杯のお母さんは、子どもの学習支援を行う余裕はなく、
日々の稼ぎを得ることに汲々とされている。
兄弟姉妹が多く、年齢が近い家族では、どうしても手を掛けられる子と、
掛けられない子との差が開いてしまい、片方は甘やかされ、片方は放置されたりする。

みんながそうはならないのは当たり前だが、
自分の親から十分な愛情を注がれる経験を持っていない親は、
子どもに十分な愛情を注ぐ術を知らないままに子育てをしているので、
子どもが求める事を理解できないまま振る舞うケースも多い。
加えて、そもそも日々の家計を支える仕事に手一杯で、
なかなかじっくりと子どもの悩みなどを聞いてあげられる時間がないので、
どうしても親子間で気持ちのズレが生じてしまう。

そんな日々に追われる親子を少しでも周囲の大人が支えられるのであれば、
貧困という二文字を暗いイメージに閉ざさずに、
社会に慣れる窓口としてチャンスと捉え直すことが出来るのではないか?

子どもを育てた経験もない私が、こんな主張をしたところで、
きれいごとに過ぎないと非難もあるだろう。
けれども、自分自身で体感して、人々に触れ合った経験から得られた価値観は、
やっていない人とは絶対に共有出来ない。

全国各地で、子どもを支援する取り組みは民間でも、公的なものでも少しずつ活発になってきた。
けれども、まだまだ手を差し伸べられていない子ども達は沢山存在している。

だからこそ、どんな形でも、子どもをサポートする取り組みが少しでも増えることを私は願ってやまない。
それが、遠回りのように見えて、実は一番近い社会を良くする動きだと信じているから。

JUGEMテーマ:ボランティア
社会 | 06:57 | comments(2) | - | - | - |
情報化時代を生きるための情報の漁り方。とにかく人が全てです。
日々、山のように情報が溢れているなかで、
自分が必要な情報をどこで入手してよいのか、悩む人も多いのではないだろうか?

新聞、テレビを見る人が減り、インターネットで情報入手する人が増えたけれども、
何となくスマホで流れているニュースを眺めている人も多いようだ。

私は、昨年途中まで新聞を購読していたが、朝目覚める時間が遅くなってしまい、
新聞を読めないようになってしまったので、購読をやめてしまった。
情報入手はインターネットと、書籍に依っているのが現状である。
もちろん対面する人からの生の声も大切にしているが。

さて、ネットで情報入手する人にとって、
自分が必要な情報を手っ取り着実に取得するにはどうしたら良いのだろうか?
私はネット上の様々なメディアにおいて、情報ソースに信頼を持てて、
語り口が馴染み、適当な頻度で時事ネタを解説しているという人に特化して情報収集を行っている。

例えばlivedoorのBLOGSならこの人航空ニュースならこの人、ITmedia鉄道コラムならこの人
日経オンラインのコラムならこの人、日経コンピュータの連載ならこの人、日経ビジネスのコラムならこの人
YAHOOニュースならこの人、NewsPicksならこの人のコメント、NewsDigのコラムならこの人、などなど、
そのメディアが強いジャンルでなおかつ、
ある特定分野の専門性を十分発揮しているプロフェッショナルの知見から
ニュース解説を得ることを中心に時事ネタを拾っている。

月に数冊の新刊本を読んでいる私は、物書きが独自の語り口を持って
言葉を編んでいることを知っているつもりである。
慣れない人の本を読むのは、その表現に馴れることだけでも苦労するものであるし、
慣れた人であれば、ここが大切なポイントだと見つけるのも容易になる。
私が、本読みに嵌ったきっかけは、司馬遼太郎の歴史小説とエッセイ読みだったこともあり、
独自の語り口に慣れたことも大いに影響しているのだろう。

水先案内人という言葉を知らない人も多いだろうが、
狭い湾岸であり1日に何度も潮流を変える関門海峡を通過する船は、
そのプロフェッショナルをナビゲーターにすることが義務付けられている。

数多に溢れる情報の海を渡るにも、
的確なナビゲーションを行ってくれるオピニオンリーダーが必要不可欠なのではないか?

このことは、インターネットの世界に限らない。
リアルな世界でも、地域情報にアンテナ鋭い人は必ずいるもので、
その人の知己を得るか得ないかでは、世渡りに大きな差が生まれる。

私は、その前から興味関心を持ちつつ、2000年頃からインターネットに触れているために、
検索キーワードを見出す能力に他者よりも秀でているつもりである。
インターネットに漂う情報を取得するためには、自身が必要としているキーワードを的確に使い、
主体的に情報を探していく術が求められる。
しかし、私を含めて大半の人々は自分でそのアンテナを伸ばしていくことは困難なので、
その道のプロにアンテナを委ねて、そこから電波を得る程度が上手い情報の拾い方なのだろう。

インターネット上であれ、リアル社会であれ、情報を取得するには、
まず人間に興味を持って、自分が気に入る人を探し出すこと。
これこそが、情報収集の第一テーマであるのだ。
もちろん、それをいきなり探し出すのは難しく、当初はいろんなサイトをみたり、
他者の評価をみたり、知人の意見を聞く必要もあるだろう。
ただし、基本的には、自分自身の力で、ウマが合う人を見出そうと努力することしか、
程よい情報収集アンテナを見つける方法はない。

一旦この人と決めたら、他者の評価を気にすることなく、その人が流す意見を全面的に受け止めてみよう。
その後に、やっぱり、この人のここは理解できるが、ここは納得できないと、
少しずつ自分なりの評価基準を明らかにしていこう。
そうすれば、自らが設定したオピニオンリーダーの意見に左右することなく、自分自身のアンテナが形作られていく。
アンテナが一定の高さになったときに、オピニオンリーダーの庇護を外れ、
自分自身が意見を発信していく立場に変わってみる。
そうすれば、情報がひとりでに他者から集まってくるものである。
望むもの、望まざるものをどちらともだが。

インターネットは、信用ならない。
そんなレッテル張りを行って、情報収集経路をシャットダウンする人には、誰も情報をもたらさなくなる。
まずは、いろんな人々の意見を聞いてみよう、そんな虚心坦懐な気持ちで、
1つ1つの情報ソースに当たってほしい。
あくまでも自分自身がこの人だと考える人をきっかけにしながら。。。

世の中に流れる情報の殆どは、誰か1人の人物が発信した信号なのだ。
その人の真意を知りたいと思っていさえすれば、
情報の裏にある大きな社会の変化を拾うことができるはずだ。

ちょっと前、みんなの意見は案外正しいというタイトルの本が流行った。
みんなの意見に留まらず、そのみんなの意見の元になっている個人の意見を知ろうと努力してほしい。
それこそが、私という人間がどうして、この世に存在しているかを知ろうとする旅の第一歩なのだから。

JUGEMテーマ:ニュース
社会 | 00:37 | comments(2) | - | - | - |
下流老人にならないための7か条
生活困窮者支援NPO法人「ほっとプラス」の代表理事 藤田さんは
貧困高齢者を『下流老人』と名付けました。
普通に暮らすことができず下流の生活を強いられる老人という意味で、
日本社会の実情を伝える造語で、昨年この言葉が一気に拡がりました。
http://dot.asahi.com/wa/2015062400089.html

年始に波佐見で、60代の方と会話していても、このキーワードが頻繁に飛び交い、
どうしたら下流老人にならないで済むかと危惧する人々は相当数に及ぶのでしょう。

私なりの楽観的な考えで、下流老人にならない方法を、
1月7日、七草粥の日に因んで、7つピックアップしてみます。
前提として、これから増えてくるであろう一人暮らしの高齢者を念頭に考えてみました。

1.下流老人という言葉を気にしないで日々を生きる。
まず、当たり前ですが暗い言葉に振り回されないことです。
「病は気から」と言います。もちろんながら現象としては、
下流老人であったとしても、それを意識しないこと。これが下流老人を脱する第一歩です。
つまりは、言葉を気にしないようで、逆に世間の目を意識するということが大切になってきます。

2.毎週1回は会話できる友人を作る。(出来れば歳下)
1人で塞ぎこんで自宅に籠もることが、貧困化が悪化する最大の理由だと感じています。
とにかく外に出るためには、会話ができる知人がいることが重要な要素です。
家に居て、SNSで他人と接しても、行動が少なくなれば、
身体への刺激が少なく、どうしても脳の活動は衰えます。
面と向かっての会話を繰り返すことは、一番の痴呆防止にも繋がりますし、元気の源になります。
逆に言えば、友達が沢山いる人は、自然と他者の批判を慎み、
他者への温かい心配りができるようになります。
この心配りこそ、下流老人から一線を画すために、一番大切なことです。
見返りのない心からこそ、御恵みが回り回って戻ってくるものです。

3.行政や公的機関に1年に一度は顔を出す。
なかなか公の機関に足を運ぶ機会は、一般の人には少ないのが当然でしょう。
ましてや、その決定を司る議員さんや首長さんなどとの関わりを持っている人は、
全国民でも少数派と言えます。
しかし、自らがお金を稼ぐことが難しい高齢者にとって、
どんな場面でもお世話にならざるを得ないのが、公的機関です。
だからこそ、どんな場面で、どんな手続きが必要なのか、
最低限それを聞き出すためにも、窓口を知っておく必要があります。
特別な用事がなくても、お役所に行くことを苦にしないで、公的機関の職員さんに挨拶をしましょう。
先方にとっても、あなたという人物が存在している実態を示すと
関心を持ってもらえますので、いざという時に気にしてくれる人が圧倒的に増加します。

4.出来る限り自分で食べる食糧は自分で作る。
下流老人に含まれる定義は多々あるようですが、
得られる収入でご飯を食べていく余裕がないというのが大きな問題です。
であるならば、生活を維持できるだけの食材を自分の手で作れば、
得られる現金が少なくても暮らしていくことができます。
お米を作る、野菜を作る、果物を作る。
生活している場所によっても、何を作るかは向き不向きがありましょう。

ただし、自分が欲しいものを作ってさえ言えれば、
余剰があれば他者が生産されたものと物々交換出来るはずで、不足する食べ物を補うことが出来ます。
作る場所がないからと嘆いている方は、
自宅の近くで手付かずになっている耕作放棄地の持ち主を捜してみて下さい。
農林水産省も耕作放棄地対策には頭を痛めていて、
新しくその土地を耕そうとする人々には補助金が与えられることもあります。
http://www.maff.go.jp/j/nousin/tikei/houkiti/pdf/2712_genjo.pdf

出来ないと嘆く前に、まずは出来そうなことをやってみる、これが下流老人にならない一番の肝なのです。

5.僅かでも現金収入が得られる仕事に従事しておく。
支出を抑える努力を積み重ねたとしても、どうしても現金収入が必要だなあと行き当たる場面には出くわします。
この時に大切なことは、自分自身で、現金を稼ぐ術を何歳になっても保持し続けることです。
取り立てて資格がなくても身体が丈夫であれば、
臨時雇いを必要とする生産者から雇用の声掛けがあるかもしれません。
過去に何らかの先生であった方は、
その教えを必要とする若い人々が出会っていない何処かに存在するかもしれません。
長い時間勤め人であった人々でも、長期間に渡って1つの仕事に従事していれば、
何処かプロとしての要素をお持ちのはずです。
こんな時代だからこそお払い箱とされた人々が集えば、
案外今の世の中に存在していないサービスが生まれるかもしれません。

何度も繰り返しますが、
チャレンジをやってみる前に出来ないと考え込んでやらないと、下流老人の道まっしぐらです。
とにかくお金にしてみるんだ、強い意志をもって、何かに取り組んでみましょう。
何が向いているのか分からないなら、私にコメント下さい。面談しようではないですか。

6.本を月に1冊は必ず読む
歳を重ねれば重ねるほど、他からの情報入手をすることが億劫になります。
目が見えない、耳が聞こえない、大きな声で話せない、
新聞を取るのはお金がかかり、テレビ番組も何を話しているのか分からない。
確かに、高齢者にとって社会の情報を仕入れることは非常に骨の折れる作業でしょう。

だからこそ、社会的知識を収集するための術として、本にアクセスしてみて下さい。
フィクションでも、ノンフィクションでも、新刊でも、古典でも、ジャンルも何でも構いません。
重要なことは、何歳になっても活字に触れようとする意識です。
本を通して新しい知識を頭に取り入れると、社会に対して必ず関心が生まれてきます。
つまり、インターネットを使うことに例えると、検索できるキーワードが増えるのです。

知識が増えると必ず、その知識を誰かに伝えたいという意欲が生まれてきます。
これが、社会との接点を増やすことに繋がるのです。
本をいつも読んでいる高齢者がいるという事実だけで、
若い人々からも一目置かれる存在になること請け合いです。

嘘だと思うなら、3年間試してみて下さい(笑)

7.家族を増やす(既にいる方は家族と密に連絡を取り合う)
何をおっしゃる35歳の若造くん。今から家族は増やせないよ。
そう思った貴方が社会の大半だからこそ、最後の条文にこんな無理難題を加えてみました。
人間は生まれながらにして、誰かと交流したい欲望を持った社会的動物なのです。

昔とは異なり、夫婦の形も様々ですし、全く会話しない家族が増えているのも事実です。
住居もすべての構成員が顔を会わせることなく生活を営める一人一人のスペースが中心になりました。
つまり、1人で暮らしても、2人以上で暮らしても、
他者と考え方を完全に合わせることなく1つ屋根の下で暮らせる仕組みは増えています。
また、日本の社会保障制度は大きく変化しつつあるといえど、
基本的に家族間扶養を基本にしていて、
家族で支えあって年老いて下さいという考え方で制度設計されています。
ちなみに、私の両親は17年前に離婚し別居していますが、
未だに時折食事を共にし、子供の引越しなど人手が必要な際には共同作業を行っています。

男であれ、女であれ、それぞれが出来ない仕事は沢山あり、
支えあれば軽減できる負荷も沢山あります。
何歳になってもチャーミーグリーンのCM(ちと古い)のように仲良しとはいかないまでも、
夫婦関係を築くことも、血が繋がらずとも親子関係を築くことも出来ない課題ではないと私は感じています。

長年連絡を取り合わなかった家族や親戚がいらっしゃる方は、是非ハガキの一枚でも送ってみて下さい。
貴方が思っている以上に先方はその便りを待っているかもしれません。
あるいは待っていなかったとしても、その便りを書けたという自分自身に勇気が生まれてきます。
これまでやれなかったことが出来たと。


長々とお付き合いいただいた下流老人にならない術は、
結局のところ、日々を有意義に生きる術ということです。
毎日が楽しければ、将来を悲観的に考える必要もありません。
今日はとても面白かったから、明日はもっと面白くしよう。
そう思いながら年老いていく先輩を私は尊敬しますし、
そんな先輩方と沢山出会いたいと心から思っています。


適当なことを言うどこの馬の骨かわからない君の暴論は不安でならないと
仰るインテリーの皆様は、ライフネット生命という生命保険会社会長の
以下の年金不安に煽られないためにという記事を参照ください。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/237025/082700002/
(会員登録は無料でできます。)
JUGEMテーマ:高齢者の日常生活
社会 | 08:47 | comments(2) | - | - | - |
子どもの貧困というけれど、貧しいのは大人の優しさなのでは?
って、タイトルでいきなり問題提起してみました。

私は、このブログにも何度も書いている通り、
東京都中野区で無料塾のお手伝いをしています。
通い始めて、まもなく一年になりますが、沢山の中学生と接してきました。
みんな家庭の経済状況は決して恵まれている子供達ではないのですが、
そんなことは、沢山の時間を共に過ごしていたらどうでも良くなってきます。

学習をする場所である塾なので、
一生懸命勉強に励もうとする子はとっても可愛く感じますし、
あまり勉強に取り組まずお喋りに夢中な子には気分は良くありません。
ただし、この塾に集まってくる子の大半は、
塾に通うまでに勉強方法を身に付けていない子供達なので、
塾に来てしばらくは勉強方法が分からずに戸惑うことが普通です。

だから、お手伝いをしている大人のサポーターさんは、
そういった子どもがどうやったら勉強にはまってくれるか、
あの手この手を考えて、少しずつ実践しています。

少しでも反応がよいサポーターがマンツーマンで対応してみる。
話が弾む同学年の同性の子を隣同士にして授業をやる。
苦手な教科を克服するために、最適な問題集一冊をじっくり取り組む。
同級生に単語カードを渡して、英単語を書くことを楽しませる。
理科の基礎を解説するために、大学院生のサポーターが今使われている技術と教科書の橋渡し役になる。
学校を出た後にサポーターはどんな仕事についているのかを説明してみる。
諸事情で自宅学習の進まない受験生をファミレスに誘って勉強する場を作り出す。
親御さんを誘って参加者全員でバーベキューをやる。
夏休みには中1から卒業生を含めてキャンプに出かける。

確かに、これらのことを一人一人の親子関係で
満足をやっていこうとすると相当なコストと負担が掛かるでしょう。

だからこそ無料塾では、時間を出す人、お金を出す人、場所を提供する人、学習方法をアドバイスする人、
様々な大人の人々が、自らの出来ることを持ち寄って総力戦で子供達に接して、
子どもの学習環境を少しでも向上させるにはどうすれば良いかと知恵を絞っています。

塾に通い出した当初は、あまり親子間で会話が無かった家族でも、
勉強という目的を共有することで、少しずつ絆が深まり出した例も沢山あります。
子どもに対して相談相手がいなかったお母さんが、
塾のサポーターから子どもの得意分野を見出だされたことも。

逆にサポーター側にとっても、子どもに頼られたり、
サポーター同士で仕事について相談しあったり、様々な関係性を塾を通して得ています。

子どもの貧困をどうするかというマクロの視点で議論されると大抵は経済支援に話が注目しがちですが、
私が子どもと接してきて痛感しているのは、
子供達は圧倒的に話し相手を求めているという事実です。
親であれ、同じ生徒であれ、赤の他人の大人であれ、
自分のことを理解しようとしてくれる他者が存在するという安心感が、
子どもを貧しくさせない最も大切なポイントなのではないでしょうか。

そのために必要なことは、お金よりもまず、子どもを気にする大人の目線なのです。
赤ちゃんを見て可愛いなと思うような純粋な気持ちで、
血が繋がっていてもいなくても、
社会の子どもを見守る視線がある大人が増えれば、
時間が掛かっても、貧困に悩み、社会に不適格とされる子供の数は減っていくはずです。

千里の道も一歩から。
まずは、気になる子どもに一声掛けられるそんな大人になりたいと日々思っています。

JUGEMテーマ:人間関係
社会 | 20:16 | comments(2) | - | - | - |
高齢者地方移住の前に、都市と地方の交流促進が必要不可欠!
日本創成会議が発表した「東京圏高齢化危機回避戦略」によって、
首都圏高齢者の地方移住について賛否いろいろな議論が巻き起こりつつある。

福岡県の片田舎出身で東京に働く身として、賛否どちらの意見にも理解できる点はある。

地方からすれば、犁泙帽睥霄圓増えても社会保障負担は増えるだけだ瓠
都市部からすれば、犁泙房匆馘インフラの乏しい田舎に転居したいと思う人間は限られる瓠
地方にとってのメリットは、労働力が減少するなかで、
人材や社会的インフラを維持するために、人々を呼ぶことで仕事を作り出すことができる。
都市部にとってのメリットは、対応しきれなくなる介護医療の人的負担を軽減することで、
住民の人的・財政的負担を減らすことができる。

その他、都市部と地方部における一つ一つの社会的事象を紐解いていけば、
課題は山積し、メリットも多く存在するだろう。

しかしここで、私は思うのだ。
その課題を作り出している一人一人の人間の気持ちが、
この議論に加えられていないのではないかと。

東日本大震災と東京電力福島第一原発事故により、
地震から四年が過ぎた今でも21万人以上の人々が避難を余儀なくされている。
このこと一つを例に取るまでもなく、
人々が一旦住み着いた土地を離れることはなかなか容易なことではない。

もちろん社会的インフラの多寡や、仕事の有無、経済状態など
数値化できることで、移住を決める人も沢山いるだろう。
しかしながら、親類や知人友人、周囲との関係性、自然環境など
数値化出来ない部分で移住を躊躇う人々も多々存在するのが現実である。

だからこそ、東京からの高齢者移住を本格的に進めるに当たっては、
都市部の住民、地方部の住民、
それぞれが胸襟を開いてお互いに紹介し合う場所を作らない限り、
日本創成会議や政府が進める政策は画餅に帰するだけとなろう。

どんな人がやってこようとしているのか、どんな人が受け入れようとしているのか、
それを都市部の人、地方部の人、それぞれが自分の感覚で理解出来た後に、
暮らしていくための環境がどんなものであるのかを意識して、
居住を決めていくのが自然の流れなのではなかろうか。

高度経済成長に金の卵と呼ばれて、
列車に詰め込まれて都会に追いやられた田舎の若者はもはや歴史の上にしか存在しない。
それこそ賛否あるが、
主権在民・基本的人権の尊重をその趣旨とする
日本国憲法が制定されて約70年が経過して、
一人一人の国民が自らで生き方を決めているのが現代日本なのだ。

その立場に立って、この国の将来をどうしていこうという視座を持ちながら、
高齢者の地方移住を進めようとしない限り、この取り組みは絶対に上手くいかない。

その根底に必要な思想は、「人間尊重」ただそれだけなのだ。
そこを今一度理解してもらうために、私は、長崎県の波佐見にて
人間再生戯塾」と言う名の、地方移住お試しプログラムを始める。
 必ず面白くなる、いや面白くする。
興味がある方は、是非一声かけていただきたい。

JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政
社会 | 08:59 | comments(2) | - | - | - |
今日本に必要なものは、声が大きい人々
先週末、実家の黒木町に帰省しました。
家族以外にも多くの方々と会話を交わしました。
その時は気が付かなかったのですが、
東京の通勤電車に揺られながらある違いに気が付きました。

都市部では、自らの意思を大きな声で表現することは憚られて迷惑行為と見なされます。
田舎部では、小さな声で発言すると聞こえないと聞き返されて大声を出すと威勢が良いと歓迎されます。

もちろん都市部は身体的能力が衰えていない若者が多く、
田舎部では耳が遠くなったお年寄りが多いという要因もありますし、
隣接する住宅の距離が都会はかなり近く、田舎は離れているという事情もあるでしょう。

景気を上げよ、グローバル社会に積極的に進出せよ、モノではなくアイデアで勝負せよ、
いろんな掛け声がお国の中心部から聞こえてきて久しいですが、
これって全て田舎部こそ当てはまる要件なのではないでしょうか?

都市部では目立たなくして、コストを抑え、他国に打って出なくても暮らせるし、
その日暮らしをするには大したアイデアは必要ありません。

高度経済成長を支え続けたのは、農村部から都市部に流入してきた田舎の人々でした。
その豊かな時代が過ぎ去って長らく停滞が続くと言われる経済状態が続いているのは、
旺盛なハングリー精神を持った流入者が都市部に不足しているからではないでしょうか?

確かに都市部には、中国韓国などなど多くの国からの外国人コミュニティーが増えつつありますが、
まだまだ日本人に影響を与えるほどのウェイトを占めるほどではありません。
柔軟な発想は、他者や他文化との交流からしか生まれてきません。
画一的な人間交流からは、多くの人々に受け入れられるモノやサービスを作り出すことはできません。
何故ならば、世界中にいろいろなニーズがあることに気が付かないからです。

地方創生は、都会の人がもたらすコンセプトではなく、田舎の人々が主体的に発信していくべきものなのです。
何が日本にとってのエンジンで、それを支えている主翼がどこにあるのかを忘れてしまっているのが、
多くの日本人ビジネスマン、それを支えるお役人なのではないでしょうか。

金はない、人はいない、頭も良くない、けれども、自分に出来ることを遮二無二にやれば、
世の中をあっと言わせるものが出来るはずだ。
そうやって本田宗一郎が浜松で立ち上がったのです。
もっと翻れば、信長が尾張の国で立ち上がりました。

ないないずくしこそ、いろんなものに捉われないチャレンジが出来るのです。
その価値に気づいた人が俺ができることをやろうと仲間を集めていけば、世の中は少しずつ変化していきます。

大切なことは、これは面白いだろうと、とにかくデカイ声を出すことです!
そしてそのアイデアを元に小さくても形にして行動していくことです。
JUGEMテーマ:人間関係
社会 | 08:49 | comments(2) | - | - | - |
希望は、危機と絶望の間にある。
災いを転じて福となす。
この言葉は、数千年も使われているようで、史記にもこのような記述があるようだ。
『臣聞く、古の善く事を制する者は、禍を転じて福と為し、敗に因りて功を為す』

私は、お分かりの通り、社会の事象には多少の関心は持ち合わせている。
日々流れるニュースを見て、それに直面している人々の話しを直接聞くこともある。

今、日本社会では比較的安定政権のもとで、様々な変化が起きていて、
一部では『危機』が盛んに叫ばれているような気がする。
一方、その社会全体の動きに殆ど無頓着である方もかなりの割合が存在していて、
情報社会なにそれといったスタンスで、身の回りの変化に柔軟に対応しつつも、
その要因に考えを馳せようとは全くしない人が大半な世の中でもあると言える。

どちらのスタンスも、間違いではないと思えるし、どちらもやり過ぎだと思えないこともない。
けれども結局のところ、他人は他人、自分は自分であることが免れないのが、現代日本社会なんだろう。

だからこそ、様々なものが目に見える危機にならない限りは、
日本の社会は変化しないのだろうというのが、私が10年来感じている雰囲気である。

ただし、危機になってから右往左往しても間に合わないということは、
毎年日本を襲う自然災害の結果から明らか過ぎる事実である。

では自らに立ち返って何をすべきなのか、改めて考えてみると、
自らで考えて出した将来のあるべき姿に向かって、自ら努力をし行動する他にない。
加えて、未来を見据えて行動している人の力を助け、
変化を起こそうとする人の背後に何があるのか寄り添って考えてみることだろう。
様々な分野に友達を作り、自らのアンテナを高くすることが、
お金を蓄えることよりも大事なことなんではないだろうか。
私は、今の日本社会を概観したらそんな結論に達して自然に日々を過ごしているように思える。

そのベンチマークとして、取り敢えず日本の幕末から明治維新期を参考にしているけれども、
別にどんな変化の時代も歴史を学ぶことは直接的な利益に繋がるはずだ。

何故ならば、社会が高度化しようとも、ある一人の人間が生きていくためには、
他者の助けを借りることは免れないという事実は普遍的なのだから。

タイトルに挙げた通り、変化するからこそ、危機も好機も感じるきっかけが増えるわけである。
だからこそ、それこそが希望なのではないだろうか?
危機を危機だと叫ぶだけでは何もうねりにならない。
あくまでも希望として人々に伝えないと、そのムーブメントは大きくならない。
今もう一度学ぶべきは、アメリカと対峙して結果を残した南ベトナム解放戦線かもしれないな。
社会 | 08:31 | comments(2) | - | - | - |
炭鉱のカナリア 後藤健二さん
カナリヤは有毒ガスやメタン、一酸化炭素などの発見のために危険が想定される
炭鉱などの場所で人間に警告を与える生き物として役割を担っていた。
炭鉱マンが気づかない危険を目と耳で知らせる生き物であった。
 
1月31日の夜、ISISが公開しただろう動画によると、
人質になっていた後藤健二さんの首にナイフを突きつけている様子が示されていて、
生命の危機であろうことは間違いない。
仮に現時点で、彼が殺害されていなかったとしても。

後藤健二さんについてのコメントは様々な角度から飛び交っているが、
私は、表題に挙げた通り、後藤さんは炭鉱のカナリアではないだろうかと今朝ふと感じた。

ISISの支配地域に自ら向かって、このような事態に巻き込まれた彼は、
日本政府に対して、日本国民全体に対して、
イスラム国と呼ばれる地域を支配する人々が、決して他人ではなく、
直接的に無視することのできない存在であることを、身を持って証明した。

もちろん、後藤さんがこのような事態に巻き込まれなければ、
その後の危機もなかっただろうと後から批判することは簡単だろう。
しかしながら、仮に彼が人質に取られなかったとしても、
偶発的に日本人ジャーナリストなどが事件に巻き込まれなかった保証はない。
何故ならば現実的に、世界各地の人々が数多くISISに人質に取られているのだから。

自国民の保護に対する政府の無力な現実、
日常的な方策では如何ともしがたい状況で吹き荒れる自己責任論、
いざという時に政府に頼らざるを得ない非政府組織の無力さ、
イスラム世界や、世界各国の武装組織に対する国民知識の乏しさ、
日本以外で起きていることに対する無責任感など、
様々なことを、後藤健二さんは炙り出してくれたカナリアではないだろうか。
これが命を懸けたジャーナリスト魂だろうと私は考えている。

それは持ち上げすぎと批判する人もいるかもしれない。
しかしながら、現実的に、今回の人質事件と対比される
日本赤軍のハイジャック事件以降、中東を巡って日本人の命について、
これだけ多くの議論を呼んだ事件はあまりなかったことは事実だろう。

過去の人質事件は、加害者と政府間で秘密交渉がなされていて、
その実態が明らかになる前に解決したり、殺害されるケースが大半だったのだから。

今後も、ISISに限らず、インターネットなどのICTを駆使して、
日本政府や日本国民を危機にさらす人々が現れることを避けようにない。
しかしながら、その現実は簡単に拭い去ることは難しい。

アメリカはここ数十年遠い国の戦闘に参加しつつ明確な勝利を中々あげられない。
その同盟国として立場を日々高めようとしているのが日本政府である。
この現実を後藤さんが明らかにしてくれたことで、
次の二つの分水嶺がはっきりしてくるのではなかろうか。

1.頼りにならない政府を斜に構えつつ、自らの将来を自らで切り拓く
2.自らの力では如何様にもできない事態が多いので、とりあえず国家に任せる

このどちらに立って行動するのかを今後迫られる事態がやってくることは、
危険な炭鉱にいることが明らかになった今、避けようがない。
後藤さんがどういった結果で日本に戻ってくるとしても、
彼がジャーナリストとして日本人に知らしめた事実は、
とても莫大な財産である。
決してこれを無視してはいけないし、立ち止まって考えるべきである。

ISIS支配下の国家に直接関わりがなくても、もはや彼らのような、
アメリカ・ヨーロッパなどの国家と対峙する勢力が、
日本人に与えるプレッシャーを完全に避けることはできない。

だとすれば、今日本人がやるべきことは、もっともっと自らを知り、
他の文化圏で生活する人々に目線を向けようとする努力の他にない。

なぜならば彼らが、閉塞感漂う現代に捉われず、
今後の新しい世界を切り拓く原動力であるかもしれないのだから。
そんなことはないと言ったところで、未来を見れない以上それを誰も否定できない。

JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政
社会 | 08:04 | comments(0) | - | - | - |
漂白される社会 開沼博著 読了
評価:
開沼 博
ダイヤモンド社
¥ 1,944
(2013-03-08)
コメント:この本は日本社会を分析するテキストではない。周縁的な社会を旅するにあたってのガイドブックである。読む人それぞれが、日本を見つめ直すためのテキストである。

この本を手に取ったきっかけは、映画「三里塚に生きる」の
アフタートークに著者の開沼博氏がゲストとして招かれて、
同作品の代島監督からこの本について質疑を受けていたからである。
一読して思ったことは、もっと早く彼のことを知っていたら刊行当初に手にしていただろう。

なぜなら、この作品で、この本を書きあげるために、開沼氏が辿っている
日本の「周縁的な存在」を巡る旅は私も好きだからである。
この著書に掲げられているのは、以下13件の事象である。

売春島と呼ばれる場所そしてそこで長年生計を立てるおばあさんら
池袋や新宿を転々とし移動キャバクラを営む二十代の女性たち
シェアハウスを営む人とそこで亡くなった遺体を整理する三四十代のビジネスマン
バブル期から徐々に落ちぶれた後に仕事として生活保護を受給する元経営者
未成年少女などを組織化して援助交際させているスカウトマン
一般人を巧みに惹きつける違法ギャンブルを営む非暴力団関係者
次々に行われる法規制を物ともせず脱法ドラックを売り続ける密売人
何度も刑務所に入るカムバックしてきたが遂に社会から弾かれた元右翼団体トップ
三十年前には過激派として社会的糾弾を浴びていて恒例化した新左翼構成員
自らの境遇を受け入れて仕事として偽装結婚を行う四十代男性
アルコールで何度もドロップアウトするも夢を捨てきれない元ブラジル人留学生
貧しい中国の田舎から日本に出てきて中国エステを経営する三十代ママさん

彼らが、タイトルの通り「漂白された」日本社会の実例として取り上げられる。

なんとなく生きにくい社会だと指摘されている日本であるが、
考えてみれば、どんどん綺麗であることが求められ、
汚いものを見ないようにしている側面がある。
この著書で挙げられている事例も全て言ってみれば「色物」であるとは著者のコメントだ。
色物こそ、「社会に影響を及ぼして変動を引き起こす性質を持つ」と著書は定義している。
私もその点は十分に納得でき、同じように文化の辺境にこそ、発見を感じる人間である。

私が、沖縄に行くのも、離島に行くのも、風俗にいくのも、社会勉強に他ならない。

綺麗に漂白された環境からは、薄っぺらい人間性や仕組みしか見出せないから、
杓子定規で計れないものから、どういった変化を余儀なくされているのか、
それを示しているリトマス試験紙は、社会的関心をあまり集めない「周縁的な存在」である。

私は田舎の育ちだが、ヤクザという言葉には多少の恐れをなしたが、必要悪だと思っていた。
テキ屋も同じ文脈だし、風俗も、ギャンブルも、なくてはならないものだと思っている。
何故ならば規制されようと、人間の欲求に結びついているからこそ、抑えられない衝動を、
彼らが何かしらの形でコントロール可能な状態に置いてくれていたからである。

しかし、様々な「グレーゾーン」いや「ブラックゾーン」を厳格に法律に
当てはめて警察権力などによって排除してしまったことにより、
どんどんアンダーグラウンドに潜ませてしまえば、
人間生存にとって抑えられない欲望を吐き出すものをうまくコントロールできない人々は、
ただひたすらに行き場をなくしてしまわざるを得ない。

金銭的に豊かになった日本社会で暮らす人々がなくしてしまったものは、
お金で測れない価値を見極める力なのではないかと私は考えている。
この著書で取り上げられている事例の多くは、お金が絡む事象が多い。
これまで、金で解決できなかったことも、金によって解決可能になった。
しかし、その一方で、金の切れ目が縁の切れ目になった側面も見逃せない。

この著書の感想を一言で言い表すことはできない。
これまで書いてきたように、何かを表現しようとすればするほど、
どんどん支離滅裂になってしまう自分がいる。

だからこそ、必要なことは、もっともっと日本の辺境に置かれざるを得ない
人々の声にならない声を多くの人が気付こうと行動することに他ならない。
世の中には「シロ」か「クロ」では表現できないものばかりである。
それをいずれかで片付けようと片付けようとしている今の日本は、
結果として、どんどん混沌としてしまているように思えてならない。

「シロ」でも「クロ」でもないならば、何なのか?
そんな疑問を呈する人が一人でも多くなれば、
日本は歴史的なものにも、国際的にも優しい国になるだろう。
もちろんそれを達成することは非常に面倒なことである。
各人が考えなければならない事態が増えることも免れられない。

だからこそ、そんなことやらなくてよいと考える人も多いのだろう。
けれども、経済力や人間がどんどん減っていくこの国に、
相応しい人間の生き方なのではないだろうか。
JUGEMテーマ:人間関係
社会 | 13:11 | comments(0) | - | - | - |
成田空港建設反対 三里塚闘争キーパーソン「青年行動隊」三ノ宮文男氏の遺書
(母ちゃんへ)
長い間苦労を掛けました。
俺がつかまるたびに、いろいろ心配して、さぞかしたいへんだったでしょう。
俺はすまないと思いながら口に出せませんでした。
今でも本当に苦労かけたと思っています。
空港問題などなかったら、俺も今ごろ嫁さんなんかもらって、
りっぱに百姓やっていけたと思います。
しかし、考えれば考えるほど、俺達の所へ空港なんぞもってきたやつがにくいです。
ほんとうに、母ちゃんにはすまないです。
俺がいなくなってもけっして力をおとさず、広といっしょにくらして下さい。
いつも口げんかばっかりしてたけど、本当は俺もいいやつなんだよ。
母ちゃん、それじゃあ元気で。俺いくよ。
母ちゃん、絶対に元気でな。力おとさず広がいっから。広がいっからな。

(父ちゃん)
俺あんまり仕事やらずに青行ばかりやってで、すまなかった。
それでも、青行ねえ時にはまじめに仕事やったつもりだよ。
俺いままで何にも父ちゃんや、母ちゃんにしてあげられなったな。
心配ばかりかけてすまなかった。しかたなかったんだよ。
空港などこんな所にもってきたから、まじめにやれば闘わざるをえなかったんだよ。
しかし、俺は線が細いから、闘いにたえられなかったんだな。
人間なんて弱いもんだな。
なんかの本に書いてあったけど、もっとも人間らしく生きようと思っている人間が、
なんで非人間的にあつかわれるのかな。
本当に、国家権力ていうものは恐ろしいな。
生きようとする百姓の生をとりあげ、たたきつぶすのだからな。

いいたいことは、山ほどあるが、なかなか出てこない。
さっきまで、いらいらしていたが、なんだか、さっぱりした気持だ。
俺が行ったら、おのやぶれた青行の旗で、くるんでくれや。
できたら、みんなで、みおくってくれ。
俺だけ、ずるやって、もうしわけない。
三里塚空港粉砕!
最後まで、三里塚に生きつづけてください。みんな。元気で。

1971年9月30日 三ノ宮文男
(享年22歳 第二次強制代執行の直後10月1日、自宅の裏山で自ら命を絶った)


「裁けるか この闘いを -1980 ・三里塚・獄窓・法廷から-」
三里塚芝山連合空港反対同盟救援部
全国三里塚救済連絡会 開講阻止決戦統一被告団発行冊子より

社会 | 02:12 | comments(2) | - | - | - |

(C) 2020 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.